大日本太神楽曲芸協会名簿と説明

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 以下の名簿は『大衆芸能資料集成 第二巻 太神楽』(1981年)に掲載された戦時中の大日本太神楽曲芸協会(現太神楽曲芸協会)の名簿である。『大衆芸能資料集成 第二巻 太神楽』が入手困難になりつつある今、面白い資料として取り上げた。

 なお、原本では住所まで記されているがプライバシーの関係上、除外した。今はなんやかんやとうるさい時代であるので困った話である(誰が別にどうこうするわけではないのに)。住所を参照にしたい方は、原本を読んで下さい。

昭和十八年八月発行

東京都日本橋区呉服橋三丁目五番地
警視庁公認技芸者団体 大日本太神楽曲芸協会
電話 日本橋一〇一三番

東京都下谷区入谷町二九六番地
事務所 電話 根岸〇〇六八

水戸市瓦谷浜田一番地 茨城支部

郡山市細沼町七五番地 東北支部

会長
鏡味小仙

副会長
鏡味小鉄 海老一海老蔵

常任理事
たぬき家金朝 海老一由之助 翁家喜楽 柳家小志ん

理 事
宝家楽三郎 丸一小松 丸井愛之助 丸一信太郎 バンカラ唐茄子
豊来家宝楽 宝家直太郎 バンカラ新坊 春の家金波 幸若鶴寿
丸井徳寿 片岡清之助 日廼出家栄坊 扇家鶴寿 たぬき家光朗

茨城支部長
柳家菊蔵

茨城副支部長
海老三幸太郎

東北支部長
明石重太郎

東北副支部長
佐藤勝治

会 計
丸一時次郎 江川マストン

相談役
巴家寅子 翁家和楽 湊家小亀 日廼出家小直 東洋一郎
富士松ぎん蝶 柳家三壽 

顧 問
坪野房治 清水三郎 田中千代吉

茨城支部

支部長
柳家菊蔵

副支部長
海老三幸太郎

常任理事兼会計
海老三銀二郎 
丸一とめる

理 事
海老一市郎 海老駒家已代奴 海老丸五楽 海老一三之助 宝来家宝楽 小松家要之助

会 計
丸一米楽

相談役
海老の家千之助 玉川家初太郎 磯の家嘉之助 柳家豊壽 柳家朝蔵
巴家友吉 桐の家福助 

書 記
柳家正楽 

顧 問
根本義雄

東北支部

支部長
明石重太夫

副支部長
佐藤勝治

常務理事
三升家豊八 翁家友弥 花の家権太夫 翁家菊一 翁家小三
田村家萬秋 翁家小蝶 

一部部長
秋葉貢

副部長
明石家清丸

二部部長
富士三郎

三部部長
千歳世家鶴太夫

会 計
高砂家六助 明石家豊楽

相談役
翁家菊之助 原孝吉

顧 問
荒木義夫

会員名簿(隣組別 イロハ順)

 第一部

 世話人 バンカラ新坊 砂山芳之助

 世話人 たぬき家金朝  石井康雄

 世話人 海老一由之助  助堀由之助

 世話人 日廼出家栄坊  板橋亥太郎

 世話人 たぬき家光朗  伊藤喜美二

 世話人 たぬき家六三郎 舟津政治

     たぬき家静奴  岡田健蔵

     前田ホコ    前田鍋吉

     桜川蝶平    加藤長之助

     十返舎亀造   石橋諦治

     海老一海老蔵  笹川武三郎

 第二部

 世話人 春の家金波   篠塚清一

 世話人 宝家直太郎   岡崎直太郎

 世話人 宝家楽三郎   萩原光重

 世話人 丸一小松    永松松五郎

     春の家末子   岩佐末子

     東洋一郎    吉川市太郎

     東洋雪美    町野一子

     宝家竹二郎   萩原武雄

     都家寿々子   福島洋子

     丸一時次郎   川崎時之助

     丸一幸造    端山藤次

     藤井団八    藤井恵太郎

     富士廼家幸一郎 宇田川仁市

     富士松ぎん蝶  天野春好

     興亜仙八    阿部錈一

     湊家柳歌    田口公

     日廼出家小鶴  小沼勝治

     日廼出家小直  大谷直次郎

 第三部

 世話人 宝楽家宝楽   斎藤清太

 世話人 巴家松太郎   千葉留吉

 世話人 丸一信太郎   宮坂昇

 世話人 江川小マストン 迫与三郎

     宝楽家楽坊   松本正一郎

     巴家小松    金田壮三郎

     若松司郎    副島司郎

     鏡味小鉄    鏡味多介

     片岡政之助   井沢昌孝

     高橋昇     池原王仁

     上田竜児    林正一

     上田新児    大谷新一

     上田清児    安田喜代次

     柳家三壽    川島信雄

     丸一丸勝    松田勝太郎

     丸一小信    相沢信雄

     丸一新太郎   中川信太郎

     上田芳児    原元芳晴

     柏かつら    関口貴美枝

 第四部

 世話人 柳家小志ん   鈴木俊一

 世話人 丸井徳寿    水尻徳三郎

 世話人 丸一喜楽    市川八十吉

     飯塚はつ

     翁家和楽    石井貞吉

     翁家正太郎   水谷正太郎

     若菜亀三郎   若菜亀雄

     若菜歌子    蛯原歌子

     栗原ふく

     栗原録子

     柳家小長    鈴木長治

     丸井小登久   水尻照三

     翁家健坊    石井六八

     丸一勝奴    市川定子

     富士廼家月子  宇田川むめ

     富士廼家幸三郎 宇田川勝治

     港家歌女助   古沢賢吉

 第五部

 世話人 片岡清之助   関根関次郎

 世話人 丸井愛之助   太田愛司

 世話人 幸若鶴寿    村山金太郎

 世話人 扇家鶴寿    古谷鶴寿

     片岡竹松    木村松太郎

     片岡幸昇    関根幸次郎 

     宝川潮之助   小沢清太郎

     宝家あづま   清水東一

     竹沢藤治    石原照子

     丸一政次郎   菊池政次郎

     丸一小政    菊池勝司

     丸一小菊    菊池千代

     小林辰三郎   小林宗太郎

     幸若寿太郎   中山富士雄

     湊家うさぎ   矢島浅次郎

     湊家小亀    後藤長吉

 第六部

 世話人 バンカラ唐茄子 藤間市太郎

     花の家小琴   中村正雄

     巴家寅子    小俣寅吉 

     鏡味小仙    鏡味六三

     吉田亀次郎

     横井輝子    横井明理

     横井正楠    横井栄三

     高橋正夫

     丸一仙寿郎   生駒弥太郎

     前川隆

 特別会員

 佐々木チヨノ

 佐々木寿恵能

 桜川寿呂作 豊田榮三郎

 水野長吉

 春風亭左団次 田村銈次

 花柳長寿 鈴木銀蔵

 地方会員

 今廼家善之助 永山善太郎 栃木県今市町

 飯田義達 前橋市

 坂東春太郎 円谷春太郎 深谷

 坂東藤世 宮島茂 深谷

 片岡兼三郎 沢田薫 川越

 南條勝太郎 市川幸四郎 甲府

 桐廼家松太郎 斎藤十作 北甘楽郡福島町

 桐廼家豆太郎 篠塚平吉 千葉県香取郡豊浦

 桐廼家清 奥村清 栃木県安蘇郡佐野町

 菊池遠太夫 菊池欽太郎 宇都宮市

 桐廼家笑燕 加藤龍太郎

 都家遠若 巨勢幹一

補 足

 太神楽の人はよくわからないのが多い。親方筋はともかくも弟子筋となると、いました、程度で終わる。仕方ないこととはいえ。

 この中で漫才師なのは四人。

 春の家金波

 港家柳歌

 小林辰三郎(東キタハチ)

 十返舎亀造

 である。詳しくは当人たちのページに書いてあるので参照。

 鏡味小仙は十一代目。おっとりとした芸風で、寄席向きの曲芸を完成させたほか、親分肌の持ち主で多くの門人をまとめ上げた。戦後まもなく死去。真山恵介『寄席がき話』に、「こんなザマになるなら大日本とつくうちに死ねばよかった」と臨終で呟いた、というエピソードが出ている。

 たぬき家金朝はもともと関西系の人。東西交流で上京し、柳家三語楼一門におさまった。いわゆるナンセンス喜劇を得意とし、長らく人気があった。

 宝家楽三郎は、宝家竹二郎、宝家利二郎などの親父。戦後はキッチントリオという名前でジャグリングをやった。

 豊来家宝楽は水戸太神楽の流れをくむ人。生まれは茨城県久慈郡天下野――現太田市。天下野神楽の流れをくむ大高神楽の大高浅吉に入門し、大高清太郎と名乗り、修行を積む。独立後、清太郎神楽の名前で、家元大高松次郎の子、太高増勇を後見に、茨城県を巡業した後、翁家和楽の影響と招聘を受け、上京。宝楽と名を改めた。
 松明の取り分けやナイフなど、豪快な芸を得意とし、戦後は進駐軍慰問の花形であった。この人の弟子が、林家染芳の息子、ラッキー幸治。叶家洋月の息子、叶家勝二であったのは、奇縁というより他はない。

 バンカラ新坊は、滑稽掛け合いで人気があった。バンカラ辰三郎の良き相方でもあった。バンカラ一門は元々川越の丸井神楽の出身。

 巴家松太郎は寅子の弟子。戦後は娘たちを率いて、太神楽や滑稽茶番を中心に活躍していた。一時は寅子襲名の話も出ていたという。

 片岡清之助は曲芸一筋の人。子供には片岡幸昇と、漫才の東竜子がいる。戦後まで活躍したというが。

 柳家菊蔵は、水戸大神楽の大御所。後年、柳貴家と名を改めた。この人の倅が柳貴家正楽(寿翁)。正楽は名人の誉れ高い人で鴨川嘉之助から十七代目水戸大神楽宗家を贈られている。更にその子供たちが今の正楽と勝蔵。色々あるので書くのは控える。 

 海老三幸太郎は、真船神楽の親方。海老三の名前は、元々鰐淵神楽系の海老一から独立した時に「海老」と当時の鰐淵の親方であった「三之介」の三を組み合わせてできた。

 丸一とめるは、変な名前であるが、小野寺神楽二代目という由緒ある家柄の人であった。「藤の家とめる」ともいう。

 海老駒家巳代吉は、野口神楽の十二代目で、戦前権威を持っていた。

 海老丸五楽も野口神楽の系統をひく人。海老の紋は水戸太神楽の大切な神紋で、このマークからとった芸名が多くできた。それにしても屋号が多すぎである。水戸太神楽はとにかく派生が多いのでやっていられない。

 丸一時次郎は、元々水戸太神楽の人であったが、十一代目小仙の妹と結婚し、丸一に入った。倅は先年亡くなった鏡味次郎。今のボンボンブラザーズはこの人の弟子。

 江川マストンは玉乗りの名人。一時期東富士子を妻に娶り、二代目マストンを授かる。マストンの名の由来は、マストンが寄席進出に当たり、江川梅吉では憚りがあると、懇意にしていた柳亭左楽に相談した所、下座のおますさんが飛んできた――それを見てマストン、といったそうだが、詳細は不明。
 ただ、気をつけてほしいのは、江川マストン=江川の玉乗りではない、ということである。江川の玉乗りは江川興行がやっていた大風呂敷の一座であり、マストンはその一人に過ぎない。もっとも、江川の玉乗りが衰退、廃業する中で玉乗りを演じ、江川の名前を残した所を見ると功労者では、ある。1955年死去。

 巴家寅子は、茶番や滑稽義太夫で売った人。滑稽義太夫(チャリ義太という)の実力は本物で、この至芸で放送やレコード吹込を果たしている。それもそのはず、この人の前身は竹本住大夫の弟子。うまいのは当然である。その前は厚木で太神楽をやっていた。
 1907年、義太夫から演芸畑に飛び込んで巴家寅子。長らく寄席や名人会で活躍した。余談であるが、小沢昭一は、客席で騒いでいたらこの人に高座から叱られた――という話を度々書いている。
 戦後もしばらく活躍していたが病を得、1954年春亡くなった。この人の倅は小俣さん、といって松竹演芸場の社員だったとか、キャンディーズをプロデュースしたとか、ちょっとした名物人間だったと聞く。

 翁家和楽は先年亡くなった和楽の父親。六八も息子である。この人も色々と複雑な経歴を持った人である。

 湊家小亀は茶番で売れた人。『江戸ッ子萬歳』なる洒落たレコードも出している。弟子に宝川潮之助、がんもどきなどがいる。

 東洋一郎は曲芸で売った。弟子に東洋小勝がいる。但し、『笑魂系図』では、東洋勝久の弟子となっている。この小勝さんも大須で活躍した。奇縁である。

 富士松ぎん蝶は太神楽ではなく、俗曲師。盲人ながらも三味線を器用に弾きこなし、即興都々逸などで人気があった。落語協会等に所属しなかったため、寄席との縁はなかったが木馬館や松竹演芸場には度々出演した。落語家よりも漫才師の方が何かと知っている人が多かったりする。長生きした事もあってか、音源が残っている。

 日廼出家小鶴は、前橋の神楽の出身。日廼出家小直はレコード等で活躍した、一時期、一座に居て笛を吹いていたのが、日廼出家笛亀で、この人は後年、笛の曲弾で一世を風靡。名人の誉れ高かった。

 柳家三壽、この人は後年古今亭志ん生門下に移り、古今亭志ん好と名乗った。なんでこの人が太神楽曲芸協会に入ったのかは不明。晩年は予備として寄席の活躍は少なかったものの、お座敷や個人の会ではその才能を遺憾なく発揮。越後屋や品川の馬、など貴重な噺を披露した。94という長命を誇った、明治生まれの最後の噺家。

 磯の家嘉之助、この人が十六代目水戸大神楽宗家の看板を守っていた鴨川嘉之助である。

 海老一海老蔵(1904年8月28日~1964年12月9日)は、海老一一派の親方。この人の弟子が染之助・染太郎。また、その兄弟子に菊蔵もいた。この人は三代目三遊亭円遊の息子で、母と妹は立花色奴・小奴という名前で漫才をしていた。前途を期待されたが早く廃業している。
 人間としては優しく、仏様のような人であったそうだが、晩年は病がちであった。この人の妻は、春本助次郎の妹で、娘が今の桂文楽の妻。
 余談であるが、今関西で活躍している海老一鈴娘はこの人の直系の弟子ではない。(海老蔵の師匠、先代海老蔵には海老一鉄五郎という弟がおり、この人は後年関西へ移住した、鉄五郎の弟子に鉄夫という人物あり、この人の弟子が、海老一太郎。太郎の弟子が鈴子、鈴子の弟子が鈴娘。ややこしいことこの上ない)

 富士廼家幸三郎、この人は曲独楽で売った。戦後、富士幸三郎と名を改め、松竹演芸場などを中心に活躍した。富士廼家幸一郎は義理の親父だという。 

 興亜仙八は、鯉淵神楽の出身。小仙に招聘される形で、「仙八」と名を改めた。

 江川小マストンは、マストンの息子。後年二代目を襲名した。母親は東富士子であるが、『元祖・玉乗曲藝大一座 浅草の見世物』によると、産んですぐに別れたため、育ての親は別だったそうな。東富士子の弟子が、落語協会で活躍した東富士夫。東富士夫は太神楽曲芸協会ではなく、大日本漫才協会に入った。理由は判らんよ。
二代目襲名後は進駐軍や劇場で活躍したが、公演の場が無くなったため、半分引退。子供たちにも芸を仕込んだが、宝石商やサラリーマンになった。晩年は池袋で自転車置き場の係員をやって余生を過ごしていたが、80を過ぎてNHKやビートたけしの番組などに出演、活躍した。

 柳家小志んは、オールドファンには懐かしい名前である。曲独楽の名人である。父親は太神楽の柳家とし松、倅も同じく柳家とし松。三代続く曲芸の家であった。父・とし松は天下野神楽の出身で、後年東京に出てきた。名前は柳家三語楼に貰ったというが――小志んと息子は、戦後、大津検花奴・菊川時之助たちとハワイ巡業に出ている。

 柳家小長は、小志んの弟だったらしいが詳細不明。奇人だったとかで、青空うれし氏いわく「面白い人だった」。

 翁家健坊は和楽の息子。ここだと六八が本名のようであるが、和楽家のお墓には「石井健一 昭和十九年十月二十五日」とある。戦死したと聞く。

 片岡竹松は、大朝家豊子の夫。戦後は社中を率いた他、妻の豊子と夫婦漫才のような事をした。ご遺族は健在。また、詳しく書きますか。

 片岡幸昇は東竜子の兄。竜子についてはまあ追い追いと。

 宝川潮之助は小亀の弟子、この人の倅が三遊亭圓丈氏の『悲しみの大須』に出てくるヤクザ顔負けの小亀、こと、三代目港家小亀。

 竹沢藤治は、曲独楽界隈の名跡で池波正太郎の作品にも出てくる。この人はどんな関係なんだろう。

 小林辰三郎は、東キタハチ。名跡預かりとして参加した模様か。この頃にはもう一人前の漫才師として売れていた。

 丸一仙寿郎は、後年、十二代目小仙を継いだ。どうやらこの襲名は一代限りだったらしく、死後、名前は遺族に引き取られ、今の小仙(仙翁)の襲名はなかなか揉めたという。芸養子に迎えられることなく、本名「生駒」で通した点を見ると十一代目の遺族にも一理あることはある。

 坂東春太郎は巡業で売った人。元々は日の出家系統の人だった――と『笑魂系図』にある。この人の弟子に、一時期千日前劇場などで活躍した坂東ひでおがいる。

 菊池遠太夫、この領域になると民俗芸能になるのでまだ手が出せない。清水一朗氏が資料持っているとか仰っていたが?

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