浜浩一・三島詩子

浜浩一・三島詩子

 人 物

 はま 浩一こういち

 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~197
0年以降?
 ・出生地 関西?

 三島みしま 詩子うたこ

 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~1970年以降?
 ・出生地 関西?

 来 歴

 戦後活躍した夫婦漫才。ショー形式の漫才を得意としたそうで、詩子がギター、浩一がトランペットやクラリネットを吹く漫才であったというが――如何せん謎が多い。

 二人とも経歴不明。浩一は元々は関西の芸人だったそうで、朝日日の丸の仲間だったという。ショーをやっていた模様か。

 戦後、太刀村一雄などの引き立てで上京を果たし、東京漫才師の一員となったという。

 その経緯及び芸風が『アサヒ芸能新聞』(1954年2月3週号)掲載の『関東漫才切捨御免』に出ているので全文引用する。

関西から東上し仲間入りをしてから四年位になるのではないか。上京当時角力漫才の太刀村一雄氏から引き合わせられたことがあるが、おとなしい性格という第一印象は今も変らない。舞台も昨年暮浅草の公園小劇場で久し振りに見たが幾らか二人のナマリが取れたほかはさして変っていないようだった。
浩一がトランペットを吹いてボケの役、詩子がギターを持って歌謡曲の弾き語り、スタイルから区分すれば、歌謡漫才の分野に入るもの。どちらも今一息吹っ切れて無い感じで 上京当時の舞台はどこか身体の具合が悪いのかと思っていた位空気が相当拔けているような力の弱いアクションで、しかもその後も相変らずなので、初めてそれが浩一の特味でありカラーであり、トーンにしているのだなとあわてて気が付いた次第。
とすれば今のボケかたを更に徹底させたらどんなものか?全然笑顔を見せない往年のバスター・キートンのようにアクションのボケでカバーする。難しい事ではあるが今後発展するは此の辺ではあるまいか。
詩子の唄は日森麗子に就て述べたと同じでまだまだ重い。ウマい唄い方を聴かせるより楽しい感じのする歌を客と共に唄うように努力すれば、天来のセミクラ調の美声も所を得るわけで、もっとリズミカルたちのを選曲すること、尚オペラのプリマドンナでは無いのだから今のロングスカートの舞台は異議あり。
此のコンビに望むもの、すなわち――明朗、溌溂、躍動。

 1955年、漫才研究会設立に伴い、入会。初期メンバーとして名を連ねた。但し発足記念大会には出演していない。

 それ以降は松竹演芸場や巡業などを中心に活動していた模様か。1961年の漫才研究会名簿には既に名前が消えている。

 中央の劇場や寄席の広告などではあまり名前を見かけない。

 古い芸人さんに聞いても「名前は聞いた事があるが、直接的な付き合いはないので知らない」(うれし氏)、「木馬とかに出ている覚えはある事はあるけど、芸風や想い出というとねエ……」(ノリロー氏)など、いい返事は得られなかった。

 晩年は「宮浩一」と改名し、浅草の木馬館や巡業で活動していた模様。

 フリーの割には、結構遅くまで漫才を続けており、冊子『漫才協団 漫才グループ21 No.2』(1970年11月吉日発行)に掲載された現役の漫才師たちの名簿の中に、「宮浩一・三島詩子」名義で活動している様子が確認できる。

 この事から、1970年まで活動していたのは間違いないが、以降になると消息が途絶えがちになる。漫才協団に所属していなかったため名簿からも探れず、詳しい消息までは判らない。

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