ラジオの発展と漫才の出演

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ラジオの発展と漫才の出演

 1925年3月22日、JOAK(NHK東京第一ラジオ)が開設され、ラジオ放送が開始された。当初は実験的な放送演目が多かったが。視聴者の増加や放送技術の向上により、演芸放送も増えるようになった。

 しかし、漫才は「下品」「新興」と見なされ、落語や浪花節などと比べ、不遇な扱いを受け続けてきた。以下は漫才が国民的な人気を得、ラジオに出演の人気番組になる前に、関与をした漫才師たちの一覧と放送演目である。こう見ると、漫才単体が殆どなく、「安来節」や「吹き寄せ」といった出演の方が多いことに気づかされる。

1926年

 4月10日 『俚謡雑曲』(午後9時〜)で、大和家八千代一座がJOAK(NHKラジオ)に出演。「小原節、安来節、鴨緑江節」を披露。
出演者は大和家八千代、春子、清子、大和家かほる。尺八・大和家信夫、鼓・大和家すみ子、三味線・林若次。

 7月24日 桂金吾が『安来節』(午後8時頃〜)の太鼓方としてラジオ初出演。但し漫才を演じることは無かった為、漫才放送としてはノーカウントである。
 他の出演者は、唄・大社捨子、山崎光子、松江検鶴子、小原節・中山喜一郎、鼓・多納花子、尺八・佐々木清太郎、三味線山崎政子。

 8月24日 東喜代駒・喜代志、『滑稽掛合噺』(夜8時〜)でラジオ初出演。東京漫才における最初の放送でもあった。演目は『難題問答』『鴨緑江節』『数え歌』『越後獅子替歌五段返し』。

 9月25日 大和家かほる、『安来節』(午後8時半頃〜)の歌い手として出演。

1927年

 3月10日 柳家梧楼(リーガル万吉)、『擬宝珠』(午後0時10分〜)でラジオ初出演。この時はまだ落語家としての出演であった。『擬宝珠』は先年柳家喬太郎が復活させ、今では人気演目になっている。

 6月13日 大津お萬が『安来節』(午後8時30分〜)でラジオ初出演。この頃にはもう浪曲物真似を得意としていた。

 7月3日 橘ノ円十郎、滑稽掛合噺『演藝デパート』(午後3時10分〜)に出演。他の出演者は橘ノラジオ、青柳燕之助。

 8月12日 大和家八千代、『安来節』(午後8時〜)に出演。当時の人気を伺わせる。

 8月21日 橘ノ円十郎、漫劇『芝居行脚』に出演。メンバーは橘ノラジオ、青柳燕之助。

 9月4日、大和家かほる玉子家つや子、『歌道楽浪花萬歳』(午後3時半〜)に出演。名称が仰々しいがその中身は普通の音曲漫才であった。諸事情のため、『萬歳』と名乗れずこのような形になった、という。
三味線方に西村源一。

 9月11日 大津お萬『浪花節物真似』(午後3時半〜)で、ラジオに出演。天中軒雲月『安兵衛婿入り』宮川左近『天野屋利兵衛』篠田實『五郎正宗』木村友衛『河内山』などを語った模様。

 9月30日 雷門助六、春風亭柳枝の主宰で放送落語劇『松竹梅』(午後7時25分〜)を放送。滑稽噺『松竹梅』を喜劇風に仕立て上げた。この中に春風亭枝雀が出演している。

配役
鳶頭松五郎  雷門助六
大工竹次郎  春風亭柳橋
左官梅吉   春風亭枝雀
女中お花   雷門善六
伊勢屋久兵衛 春風亭柳昇
隠居吉兵衛  春風亭柳枝

 10月14日 大津お萬、『安来節』(午後9時10分〜)に出演。前座に大津豆子という子供の歌い手が出演しているが、この子は大きくなって、冨士蓉子と改名した。

 11月6日 橘ノ円十郎、掛合漫劇『穴手本集珍蔵』(午後1時〜)に出演。タイトルは『仮名手本忠臣蔵』のもじりである。
他の出演者は、橘ノラジオ、橘ノ百円、橘ノ立花、桜川仙平、青柳燕之助。百円は後年落語家に戻り、橘家圓太郎を名乗った。奇人として有名である。

 11月13日 春風枝左松・三升家三喜之助、音曲『浮世節』に出演。

1928年

 2月26日 橘ノ円十郎、掛合噺『カフエ馬鹿囃子』(午後2時40分〜)に出演。他の出演者は、橘ノラジオ、柳亭左喬。

 3月4日 水茶家博次・博多家人形、『地方俚謡大会』(午後8時15分〜)に出演し、『博多節』『佐賀の梅ぼし』『肥後節』『熊本節(おてもやん)』を披露。

 4月5日 大津検花奴、『安来節』(午後8時半〜)に出演。安来節の花形として紹介されている。
 他の出演者は、唄・出雲家米子、森山淺乃、三味線・奥井市三郎、尺八・田村春雄、鼓・秋田新市

 5月1日 水茶家博次・博多家人形、『博多小唄』(午後8時〜)に出演。『黒田節』『島田金谷』『俺が国さ』『博多四季』を披露。ここまでは漫才、女道楽というよりも邦楽鑑賞の趣が近かった。

 6月30日 春風枝左松・三升家三喜之助、『吹寄せ』に出演。三味線二挺抱え、長唄清元常磐津義太夫端唄小唄流行歌なんでもありの作品を弾き語った。

 7月8日 水茶家博次・博多家人形、『端唄』(午後8時〜)に出演。『夏は蛍』『エンカイナ』『伊予節』『新作掛合都々逸 痴話喧嘩』を披露。ここから掛合漫才風のネタを演じるようになり、笑いに重点を置くようになる。前述の『痴話喧嘩』は人形博次時代の大当たりのネタで、レコードにもなった。

 7月22日 橘ノ円十郎、掛合漫劇『藝のなる木』(午後2時20分〜)に出演。他の出演者は、青柳燕之助、橘ノ百円。

 8月31日 水茶家博次・博多家人形、『博多節』に出演。『博多節』『ガラガラがき』『ぼんち可愛や』『祝ひ目出度や』『博多四季』『掛合都々逸 新世帯』を披露している。

1929年

 8月12日 東喜代駒・駒千代、『掛合音曲』。『館山節』『深川くづし』『滑稽浪花節』『塩原多助』を披露。

 9月6日 桂金吾・花園愛子、ラヂオ風景『走馬燈』に萬歳師の役として出演。『煙草づくし』なるネタを披露した。
 この作品は吉井勇の『俳諧亭句楽』を下敷きにしており(吉井勇が放送指揮をとった)、句楽たちが昭和の浅草に紛れ込んで、その風俗や流行に驚く、というコメディータッチのドラマであった。
 他の出演者は、落語家句楽(小堀誠)、落語家焉馬(大矢市次郎)、講釈師典凌(菊池正之助)、講釈師貞龍(伊志井寛)など。

1930年

 2月1日 水茶家博次・博多家人形、『音曲五つ』(午後0時5分〜)に出演。『御座付き』『恋の神楽坂』『伊予節』『根無草』『登山小唄』を披露。

 2月23日 春風亭枝雀・花菱、『小唄レビュー』(午後8時〜)に出演。花菱は枝雀の弟弟子。

 6月8日 東喜代駒・駒千代、『困つた代物』に出演。レビューを看板に、しゃべくり漫才風のネタを展開した。この頃から漫才の萌芽がみえるようになる。

 9月7日 『俚謡俗曲大会』(午後0時30分〜)に、大和家八千代『安来節』、鉢呂八重子『追分』、大津お萬『安来節』出演。

 10月4日 水茶家博次・博多家人形『音曲吹き寄せ』(午後0時5分〜)に出演。『秋草』『弓張月』『浅くとも』『肥後節』『俺が国さ』『黒田節』『筑後節』『アルプス小唄』を披露している。

 11月16日 三升家三喜之助、『ふきよせ』に一人出演。清元『春雨』、『御座付き』、『ほととぎす』『都々逸』、『文弥くづし』、大津絵『三味線七不思議』、『木更津甚句』を披露。

 11月29日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『赤穂事件』に出演。赤穂浪士の寸劇から『唐人お吉』『祇園小唄』『銀座小唄』『銀座セレナーデ』などの替え歌を披露。

1931年

 4月16日 大津お萬、俗曲『吹き寄せ』(午後0時5分〜)に出演。三味線は、後年漫才師になる松本庫吉が担当した。

 5月21日 東喜代駒・駒千代、『掛合噺』に出演。『二つ三つ四つ』『知った振り』『都々逸』『深川くづし』を披露。

 10月19日 朝日日出夫・日出丸、滑稽掛合『家庭ジャズ』(午後0時5分〜)でラジオ初出演。純然たる東京漫才としては、喜代駒、かほる・つや子に次いで3組目。

 12月16日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『呑気なもんだね』(『親父はダー』とも)に出演。この漫才には喜代駒の三女、マツ子も出演。『子供は正直』『商売往来』『アパートの忘年会』といったコント風の漫才を展開。

1932年

 4月8日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『金のなる國』に出演。金の有り余る国で起こるドタバタを歌謡曲やお笑いにして一席のストーリーにしたもの。喜代駒の三女マツ子、それに東貞水なる人物が参加している。ご遺族によると「この貞水さんは喜代駒の妻の弟だった気がします」。

 8月8日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『人生いい加減な道』に出演。銀座の風景を中心にしたレビュー調の漫才を展開。このとき「マンゲキ」なる名称を用いている。

 12月10日 東喜代駒・千世子、掛合噺『いいぢやありませんか』に出演。京都篇、東京篇の二部構成の作品。千世子は東駒千代の改名。

 12月29日 朝日日出夫・日出丸、掛合噺『運勢判断干支萬歳』(午後0時5分〜)に出演。この頃には音曲漫才からしゃべくり漫才へと移行し始めている。

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