2021-09

東京漫才を彩った人々

中野四郎・神田一郎

中野四郎・神田一郎は戦後活躍した漫才師。神田一郎は後の青空たのし氏である。岡晴夫の一座から出発し、司会漫才として売り出したが数年で別れた。神田一郎は「青空たのし」と名乗り、東京漫才の花形として活躍。また90近くまでハーモニカ漫談の第一人者として舞台に立ち続けた。
東京漫才を彩った人々

青井しんご・赤井しんご

青井しんご・赤井しんごは戦後活躍した漫才師。「赤い信号・青い信号」の洒落である。赤井しんごは、笹八平と改名し、「一平八平コンビ」で売れに売れた。しんごは鹿島秀月門下の浪曲師出身で、漫才に転向。後年は漫談家として活躍したが、晩年は不遇だった由。

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