2020-02

東京漫才を彩った人々

松島家圓太郎・色香

松島家圓太郎・色香は戦前に活躍した夫婦漫才師。圓太郎がバイオリン、色香が三味線を受け持ち、これを合奏して俗曲や流行歌を演じる――当時としてはハイカラな芸の持ち主だったようである。
東京漫才を彩った人々

リーガル天才・秀才

リーガル天才・秀才とは戦後・平成にかけて活躍した東京漫才の人気者である。巧みなユーモアと、独特な視点から切り込んだ時事漫才を武器に幅広い活躍をつづけ、「天秀コンビ」で慕われた。面倒見の良い性格から、「高峰一門」を形成。多くの東京漫才師を育成した他、国立演芸場創設などに関与した。
東京漫才を彩った人々

酔月楼とり三・唄の家なり駒

酔月楼とり三・唄の家なり駒は戦前活躍した漫才師。関西弁と標準語のイントネーションの違いで漫才をやるという不思議な芸の持ち主であった。とり三の姪が春風亭枝雀の妻に当たる。
東京漫才を彩った人々

シャンバロー(柳四郎・岡三郎・邦一郎)

シャンバロー(柳四郎・岡三郎・邦一郎)は戦後活躍した歌謡漫談の一組である。岡と柳は長唄出身という変わり種で、邦楽をベースにした独特の演奏技術やとぼけた味で売れに売れた。長らく落語芸術協会に所属し、寄席の看板としても活躍した。岡三郎の孫娘は、池田有希子である。
東京漫才とは何か

立見二郎・とん子

立見二郎・とん子は戦前に活躍した夫婦漫才師。二郎は東京漫才の先駆けの一人として活躍した。升の上で踊る芸や三味線の曲弾きなど、古典漫才風のネタを得意にしていたと伝えられている。
東京漫才を彩った人々

クリトモ一休・三休と第一球

クリトモ一休・三休と第一球は戦後活躍した漫才師。リーガル千太・万吉門下の俊英としてスタートしたが、一休は三河島事故で急死を遂げた。第一球はその後の相方で、今日のハウゼ畦元。三休は地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球である。

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