2018-12

東京漫才を彩った人々

香川染団子・染千代

香川染団子・染千代とは戦後に活躍した女流漫才である。女性同士のコンビとして30年近く続いた稀有な例である。三味線漫才を得意とし、ヌーボーな味が買われたという。
東京漫才を彩った人々

大江笙子・大江しげる

大江笙子・大江しげるは戦前に活躍した夫婦漫才師。戦後、大江笙子は妹の京美智子やリーガル千太とコンビを組んで活躍。大江茂はバイオリン漫談に転向し、古き良き書生節の演奏者として、昭和末期まで活躍をつづけた。
東京漫才を彩った人々

唄の家一八・歌丸

唄の家一八・歌丸は戦前戦後に活躍した漫才師。夫婦であった。歌丸は茶目丸ともいうが、後年改名した。一八が三味線を受け持ち、歌丸がボリュームのある声とネタで、一八をてんやわんやとさせる音曲漫才で人気を集めた。
東京漫才を彩った人々

富岡 豊・花村 いせじ

富岡 豊・花村 いせじは戦後活躍した夫婦漫才師。両人ともに歌手の出身で、美声が売りであったという。豊のアコーディオンに合わせ、いせ路が歌を歌ったり、洒落を言うオーソドックスな音曲漫才だったようである。
東京漫才を彩った人々

林家染松・明石須磨子

林家染松・明石須磨子は戦前活躍した漫才師。明石須磨子は、浅草オペラで鳴らした女優であるが、別人の可能性もある。よくわからないコンビである。
東京漫才を彩った人々

桂三五郎・河内家芳江

桂三五郎・河内家芳江は戦前戦後に活躍した夫婦漫才師。長らく落語芸術協会に所属し、活動を続けていた。滑稽な舞踊を主体とした漫才を得意としていたそうで、大黒踊りなどという珍舞踊が眼目だったと聞く。
東京漫才を彩った人々

椿晃一・橘眞理子

椿晃一・橘眞理子は戦前戦後に活躍した漫才師。晃一がハーモニカ、眞理子が三味線を受け持ち、合奏する芸で人気があったというが、晃一の夭折で大成せずにコンビ解消してしまったようである。

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