2023-03

東京漫才を彩った人々

梅川玉輔・梅奴

梅川玉輔・梅奴は戦前活躍した夫婦漫才。玉輔は上方落語の名人・桂文都のせがれで、自身も「桂文都」と名乗っていたが、上方落語の凋落や一身上の都合で廃業。妻と共に漫才師に転じ、東京漫才界の幹部になった変わり種である。
演芸書籍類従

井上宏編『放送演芸史』(演芸書籍類従)

「井上宏編『放送演芸史』(演芸書籍類従)」笑学研究を称する社会学者・井上宏がリーダーとなって相羽秋夫、熊谷富夫、長島平洋、環白穏、都築敏子、山口洋司、古川嘉一郎といった演芸・マスコミ研究関係者がそれぞれ寄稿して生まれたのがこの『放送演芸史』です。
東京漫才を彩った人々

コントふらみんご(みつか・まりこ)

コントふらみんご(みつか・まりこ)は、昭和末に活躍した女性漫才師・コント芸人。斬新で前衛的なシチュエーションとマシンガンの如き応酬で高い人気を得たが、数年で解散した。みつかは、「一人コントの女王」として知られる楠美津香その人。
東京漫才を彩った人々

ミュージカルぼーいず

ミュージカルぼーいずは戦後活躍した歌謡漫談グループ。シャンソンと時事ネタを織り込んだ独特の歌謡漫談、確かな歌唱力で演芸ブーム時代の一時代を築いた。リーダー・志村はクリエイターの志倉富士丸・千代丸兄弟の父としても知られる。
色物のすべて(仮)

石村松雨(バイオリン)

石村松雨は明治から大正にかけて活躍した芸人。寄席にはじめてバイオリン演奏を持ち込んだ奇抜な芸人と伝えられる。セガレの松翠にアコーディオンを仕込み、親子でこれを合奏するという洋楽的な要素溢れる芸で人気を集め、20年近く第一線を走った。
東京漫才を彩った人々

ぴんぼけトリオ(西片健・前村昭・漆原伸)

ぴんぼけトリオ(西片健・前村昭・漆原伸)は戦後活躍した歌謡漫談グループ。灘康次とコンビで活動していた西片健が独立し、バンドマンの前村を誘い、「ぴんぼけコンビ」を結成。その後、バンドマンをやっていた漆原を誘い、トリオを結成。賑やかで達者な歌謡漫談で、演芸ブームの売れっ子となった。
色物のすべて(仮)

三遊亭福円遊(百面相)

三遊亭福円遊は戦前活躍した百面相の芸人である。初代三遊亭円遊門下からスタートし、賑やかな話しぶりに加え、音曲噺、百面相、声色、ステテコなどをこなす器用な芸人であったが、遂に売り損ねたらしく中看板で終ってしまった。
色物のすべて(仮)

海老一菊蔵(太神楽)

海老一菊蔵は戦後活躍した太神楽曲芸師。三代目三遊亭円遊の息子でもある。海老一の正統的な継承者として活躍し、難曲「花籠鞠」を一月足らずで覚えたという達者さで売り出したが、師匠の夭折や諸事情で芸人を廃業。海老一宗家を受け継ぐことなくここに絶えた。
演芸書籍類従

玉川一郎『よみうり演芸館 東京漫才篇』(演芸書籍類従)

『よみうり演芸館 東京漫才篇』は『読売新聞 夕刊』(1960年2月8日号〜3月2日号)に掲載されていた玉川一郎の連載です。玉川一郎の目を通して当時の東京漫才の繁盛ぶりや歴史を振り返った連載物です。
演芸書籍類従

色川武大『寄席放浪記』(演芸書籍類従)

マージャンに命をかける男女の姿を描いた『麻雀放浪記』や直木賞受賞作『離婚』で知られる阿佐田哲也こと色川武大。そんな彼が「退屈な寄席情緒を楽しんでほしい」と、嘗ての寄席通いや芸人との奇妙な交友録を描いたエッセイが「寄席放浪記」である。
東京漫才を彩った人々

東晴々・谷朗々

東晴々・谷朗々は戦後活躍した漫才師。リーガル天才一門の一番弟子に近い存在であった。晴々は後年独立し、「高峰青天」。さらには講談を志し、「神田勢山」と名乗って長らく活動する事となった。

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