2019-11

東京漫才を彩った人々

曾我廼家童三

曾我廼家童三は東京漫才の初期に活躍した漫才師。戦前人気を博した兵隊漫才の先駆けの一組でもある。元々は曾我廼家喜劇の座員のひとりで、喜劇役者として活動をしていたが、肺病のために夭折した。
東京漫才を彩った人々

美田朝刊・夕刊

美田朝刊・夕刊は戦後活躍した漫才師。三国道雄・宮島一歩の弟子にあたるという。コンビ名の由来は「見た朝刊・夕刊」というしゃれである。時事漫才と物まねを得意とし、漫才コンクールでも優勝を獲得したが、早くに解散した。朝刊は芸能会社の社員となり、夕刊は後年独立し、拝啓介の名前で声帯模写や司会者としても活躍した。
東京漫才を彩った人々

大空マナブ・中村ハマ子

大空マナブ・中村ハマ子は戦前戦後に活躍した夫婦漫才である。ハーモニカの曲弾きを得意とし、大分のラクテンチを拠点にしていた。マナブの息子は、浪曲漫才の大空かんだである。

無断コピー・無断転載はおやめください。資料使用や転載する場合はご一報ください。