2017-04

東京漫才を彩った人々

浮世亭出羽三・銀猫

浮世亭出羽三・銀猫は戦前活躍した漫才師。バイオリンを弾く漫才で人気があったという。銀猫は噺家、出羽三は上方漫才の浮世亭出羽助の門下の人物であったようである。銀猫は敗戦後の動乱期に偽医者をやり逮捕された。
東京漫才を彩った人々

千代田松緑・都路繁子

千代田松緑・都路繁子は戦前活躍した漫才師。夫婦漫才ではない。松緑は、顔の半分近くある大きなトンボ眼鏡をかけ、曾我廼家五九郎や人気俳優の真似をする声色の特技を持っていて、それを漫才のネタにしていた。都路繁子は女優の出身で、大口から「バスケット」という綽名があった。
息吹 ~大正から昭和ひと桁~

桂金吾・花園愛子

桂金吾・花園愛子は戦前に活躍した夫婦漫才師。花園愛子は、慰問先の中国で戦死し、靖国神社に祀られることとなった悲運の漫才師として著名である。
東京漫才を彩った人々

青柳ミチロー・柳ナナ

青柳ミチロー・柳ナナは戦前戦後に活躍した夫婦漫才師。戦前はセーラー漫才なる水兵漫才を、戦後はしゃべくり漫才を展開して人気を集めたが、その活躍の割には謎が多く残る不思議なコンビである。
息吹 ~大正から昭和ひと桁~

林家染団治

林家染團治は東京漫才創成期から戦後まで40年近くにわたって活躍を続けた。東喜代駒や朝日日出丸・日出夫らと鎬を削った。多くの門弟を育成し、帝都漫才組合の会長や漫才研究会の副会長を歴任した漫才界の功労者であった。ゴリラの真似の名人と言えばこの人の事、ゴリラの染團治と謳われた程。
東京漫才を彩った人々

十返舎亀造・菊次

十返舎亀造・菊次は戦後活躍した漫才師。男女コンビであるが夫婦ではない。亀造は鏡味小仙の門下の曲芸師、菊次は牧タンゴという人とコンビを組んでいた古い漫才師。戦後コンビを結成し、ラジオの人気者として君臨。その粋でさっぱりとした話術は立川談志や色川武大の熱烈な支持を受けた。今日も彼らの文献でその姿や芸を偲ぶことができる。

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