2017-05

東京漫才を彩った人々

中村目玉・玉千代

中村目玉・玉千代は戦前に活躍した夫婦漫才師。目玉は浪曲漫才を得意とし、浅草の劇場を中心に活躍。戦後も焼野原の東京で立ち上がったものの、終戦後間もなく急逝。玉千代は木馬館の下座になった。
東京漫才を彩った人々

荒川芳勝・八千代

荒川芳勝・八千代は戦前戦後に活躍した漫才師。芳勝は大阪系の漫才師で、名門荒川一門の出身。四つ竹を打ち鳴らし、珍舞踊を踊る珍芸風の漫才で人気を博した。
東京漫才を彩った人々

冨士蓉子

冨士蓉子は戦前戦後に活躍した漫才師。少女漫才からスタートをし、多くの相方とコンビを結成。その達者な芸と美貌から、「東京のミスワカナ」と称されるほど、人気を博した。
東京漫才を彩った人々

竹の家雀右衛門・小糸

竹の家雀右衛門・小糸とは戦前から戦後にかけて活躍した東京漫才の一組である。雀右衛門の煙管の珍芸や中国手品など諸芸全般を十八番にした珍芸漫才であったという。
息吹 ~大正から昭和ひと桁~

荒川清丸・玉奴

荒川清丸・玉奴は戦前に活躍した夫婦漫才師。清丸は玉子家圓辰の門下で、長らく上方にいた。晩年小沢昭一たちに注目され、聞き書きがとられたが、事実誤認や誇大発言なども多く、どこまで本当なのかいまいち信じられない漫才師である。
息吹 ~大正から昭和ひと桁~

都家福丸・香津代

都家福丸・香津代は戦前に活躍した夫婦漫才師。役者上がりの福丸と芸人を親に持つかつ江の芸達者同士のコンビで、かつ江が福丸をコテンパンにやっつける女性優位の漫才で人気を博した。福丸没後、香津代は都家かつ江と改名し、毒舌と愛嬌を振りまく三味線漫談と、独特の味を見せる女優として八面六臂の大活躍を遂げた。
息吹 ~大正から昭和ひと桁~

大津検花奴・菊川時之助

大津検花奴・菊川時之助は戦前戦後に活躍した漫才師。花奴は、震災前後の安来節ブームの担い手として君臨し、人気歌手としても活躍をつづけた。美男美女の誉れ高く、曲芸や安来節を取り入れた芸尽くしの漫才で、戦前戦後の東京漫才の人気者の一組として大活躍を続けた。
東京漫才を彩った人々

宮島一歩・三国道雄

宮島一歩・三国道雄は戦前戦後に活躍した漫才師。「道を一歩ずつ行こう」という言葉を分割して「一歩・道雄」という芸名となった。大柄の道雄と二枚目の一歩の取り合わせ、喜劇役者ならではの独特の間と話術、演技力を武器にしたしゃべくり漫才で人気があった。

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