2019-09

東京漫才を彩った人々

桂竜夫・東竜子

桂竜夫・東竜子とは戦後活躍した夫婦漫才。落語芸術協会に所属し、寄席を中心に活躍した。竜子が、竜夫を散々にやっつける女性優位漫才を展開。リュウタツさんの綽名で慕われた。桂光一・光二は息子たちである。
東京漫才を彩った人々

出雲友衛・北條恵美子

出雲友衛・北條恵美子は戦前・戦後に活躍した夫婦漫才である。友衛は、名人と謳われた吉田奈良丸の弟子だけあって、声が自慢で、昔仕込んだ浪曲漫才を得意とした。戦後も浪曲節真似で活躍をつづけた。
東京漫才を彩った人々

コロムビアトップ・ライト

コロムビアトップ・ライトは戦後活躍した漫才師。司会漫才という新しいジャンルを創設し、青空一門の総帥として長らく活躍を続けた。トップは参議院議員としても有名。両人共に司会者としても売れた。
東京漫才を彩った人々

内海桂子・好江

内海桂子・好江は戦後活躍した女流漫才である。桂子と好江は師弟関係ではない、純然たる他人コンビであった。派手で達者な三味線漫才と個性的なキャラクターで一世を風靡したほか、歯切れのいい男勝りの江戸っ子キャラとして、俳優やコメンテーターとしても活躍した。
東京漫才を彩った人々

東家市丸・砂川捨奴

東家市丸・砂川捨奴は戦前活躍した漫才師。浪曲漫才を得意とし、市丸の浪曲節真似が当たり芸であったという。夫婦のようであるが、夫婦ではない。両人ともに元々は関西系の漫才師だったという。砂川捨奴は、上方漫才の大御所、砂川捨丸の弟子であった。戦前の吉本の看板でもあった。
東京漫才を彩った人々

玉松ジロー・大国三歩

玉松ジロー・大国三歩は戦後活躍した漫才師。玉松ジローは、「玉松」の屋号の通り、伝説の夫婦漫才「玉松一郎・ミスワカナ」の弟子である。大空ヒットとコンビを組んでやっていたことがある。

無断コピー・無断転載はおやめください。資料使用や転載する場合はご一報ください。