2022-02

東京漫才を彩った人々

ベレーミヤオ・左キヨ子

ベレーミヤオ・左キヨ子は戦後活躍した漫才師。ベレーミヤオは芸名の通り、ベレー帽をかぶりそれをトレードマークとした。キヨ子は三味線を抱え、小唄端唄を聞かせたという。実力はあったが、中年から漫才師になったせいもあってか遂に売れなかった。
東京漫才を彩った人々

宝大判・小判

宝大判・小判は戦後活躍した漫才師。戦後の高度経済成長の中で旧弊な兵隊漫才を得意とし、アナクロな人気を集めた。小判は四人存在する。初代は俳優、二代目は後の大瀬しのぶ、三代目は元少年漫才、四代目はのど自慢大会入賞者とそれぞれ異色の経歴を持っている。
東京漫才を彩った人々

松鶴家千とせ・宮田羊かん

宮田羊かん・松鶴家千とせは戦後活躍した漫才師。なかなか達者なコンビであったが、割かし早く別れてしまった。千とせは後年漫談家となり、『わかるかなあ~』という独特の漫談で爆発的な人気を集め、宮田羊かんは鶯谷で店「よーかんちゃん」を開き成功を収めた。
東京漫才を彩った人々

滝の家鯉香・お鯉

滝の家鯉香・お鯉は戦前戦後活躍した女流漫才。ただ、芸風や肩書は「女道楽」といった方がいいのかもしれない。それでも寄席色物の傑物であり、漫才師と交友深かったのでここに採録をした。鯉香は戦後ピン芸人となり、ノンキ節の名人として寄席の人気者となった。
東京漫才を彩った人々

湊家小亀

湊家小亀は戦前活躍した芸人。本業は太神楽曲芸師で、港家の家元株であった。その立ち位置上、漫才師と換算していいのか判らないが、東京漫才の成立には大きな影響を及ぼした存在であり、「江戸っ子萬歳」などという名乗りもした事から漫才師として取り上げることにした。

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