2020-03

東京漫才を彩った人々

隼飛郎・黄金龍尾

隼飛郎・黄金龍尾は戦後活躍した学生漫才コンビ。飛郎は今日も活躍している青空うれしその人である。コンビ自体は短かったものの、学生漫才の系譜に大きな足跡を残した。
東京漫才を彩った人々

林家染芳・春子

林家染芳・春子は戦前活躍した夫婦漫才である。関西曲芸界の大御所、ラッキー幸治の両親として有名である。染芳は内海桂子と一時期コンビを組んでおり、関係を持つこととなった。
東京漫才を彩った人々

東和子・西〆子

東和子・西〆子は戦後活躍した女流漫才師。東和子は東喜美江のはとこ、西〆子は松鶴家千代若・千代菊の長女である。和子は都上英二の後妻となり、二代目東喜美江を襲名した。ギターと三味線の音曲漫才で人気を博したが、二人とも夭折した。 
東京漫才を彩った人々

晴乃ピーチク・パーチク

晴乃ピーチク・パーチクは、戦後活躍し、一世を風靡した漫才師。「行ったかや」「聞いたかや」といった珍語を振りまく漫才と陽気な掛合で人気を集めた。東京漫才のスターと謳われた「チック・タック」の師匠でもある。ピーチクは似顔絵漫談家・画家としても成功した。
東京漫才を彩った人々

銀座ネオン・サイン

銀座ネオン・サインは戦後活躍した漫才師である。コロムビアトップ・ライトの様な時事漫才を得意とし、一時は未来のスターとして期待されたというが、すぐにコンビを解消してしまったという。謎の多く残る不思議な漫才師である。
東京漫才を彩った人々

人見明とスイングボーイズ

スイングボーイズ(人見明・久呂須敏・荒井弥太・西八郎)は、戦後活躍した歌謡漫談グループの一組。人見明はクレイジーキャッツや植木等の映画、男はつらいよ、などといった喜劇映画に出演。喜劇俳優としても名を成したのは有名な話である。
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森信子・秀子

 森信子・秀子とは、玉子家辰坊・八重子の長女と次女として生まれた姉妹漫才師である。秀子は三遊亭小円馬の妻としても有名。辰坊・八重子夫婦には、四男四女の子供がおり、女の子はみな芸能に携わった。上から信子、秀子、百合子、サカエ――上の二人は漫才、百合子は舞踊家から、トレーナーのエディ・タウンゼントの妻、サカエは歌手になった。
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橘ノ圓十郎

橘ノ圓十郎とは戦前に活躍した漫才師。名前の通り、元々は落語家で、掛合噺などで人気があったという。橘ノ一円、青柳燕之助などと組んで初期時代のラジオ演芸で活躍した点は着目すべき点である。
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堀井清水

堀井清水は戦後活躍した電気三味線・浪曲グループ「堀井清水とダイヤグループ」のリーダーである。改造した電気三味線を手に、浪曲や物語を聞かせる独自の舞台を展開。多くの浪曲漫才やボーイズに影響を与えた。
東京漫才を彩った人々

朝日日の丸・東京子

戦前から戦後にかけて活躍した夫婦漫才。日の丸のバイオリンに合わせ、ショーアップされた漫才を得意としていたという。日の丸は、朝日日出夫・日出丸の弟子だったそうである。
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宮田洋容・布地由起江

宮田洋容・布地由起江は戦後活躍した漫才師。男女コンビであるが夫婦ではない。オペレッタ漫才なる音楽入りの漫才を展開し、テレビラジオの寵児となった。洋容は漫才研究会の理事や東京漫才協会の会長として東京漫才の発展に関与し、由起江は後年ふじゆきえと改名し、落語協会系の定席に出演していた。

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