2022-12

色物のすべて(仮)

弄珠子ビリケン(奇術)

弄珠子ビリケンは明治~昭和に活躍した奇術師。地天斎貞一の弟子で「貞王」といっていたが、「弄珠子ビリケン」と改名した。これで「ロウキュウシ」と読むらしい。昭和初期まで第一線で活躍し、後年は地天斎貞一の二代目を襲名している。
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海老一柳語楼(太神楽)

「海老一柳語楼(太神楽)- 色物のすべて(仮)」春風亭柳語楼は戦前戦後活躍した落語家兼太神楽の後見。落語家として籍を置きながら、大神楽の方面で出演し、そちらで食っていた――という不思議な人物であった。ある意味では雑芸人といえるかもしれない。
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初代 江川マストン(曲芸)

江川マストン(初代)は戦前戦後活躍した曲芸師。「江川の玉乗り」として一世を風靡した江川一座の出身で、「空中軒マストン」を経て、「江川マストン」を襲名。玉乗り曲技の名人として名声誉れをほしいままにした。倅も玉乗りの二代目江川マストン。
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地天斎貞一(奇術)

「地天斎貞一(奇術)- 色物のすべて(仮)」地天斎貞一は戦前活躍した奇術師。「シルクハット」を独自に改良した「瞞着帽子」という芸で売り出し、西洋奇術黎明期に名を残し、寄席の奇術という領域を確立した功績を残している。帰天斎正一とは別人である。
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国守一誠(剣舞)

「国守一誠(剣舞)- 色物のすべて(仮)」国守一誠は戦前活躍した剣舞の芸人。見事な風格と力強い舞台は日比野雷風・大輪正秀と並ぶ程の人気があったという。剣舞家として色物席にたびたび登場をした。
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春風胡蝶斎(珍芸)

「春風胡蝶斎(珍芸)- 色物のすべて(仮)」春風胡蝶斎は戦前活躍した珍芸を得意とした芸人。落語家から色物に転向し、逆さ獅子と呼ばれる曲芸的な舞踊や足芸、キセルの使い分けなど珍芸で寄席を盛り上がらせたという。
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桃月亭雛太郎(音曲)

「桃月亭雛太郎(音曲)- 色物のすべて(仮)」桃月亭雛太郎は戦前活躍した落語家・音曲師。乃木大将率いる師団に所属し、日露戦争に従軍。二〇三高地の激戦で重傷を負い、まともに働けなくなってしまったために落語界に入り、一家を成したという珍しい人物であった。
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東富士郎(バイオリン演歌)

 東富士郎は戦前戦後活躍したバイオリン演歌・バイオリン漫談家。元々は書生節を演じるバイオリン演歌師であったが、演歌の衰退で廃業。東富士子・桂小文治の身内になり、寄席に出入りするようになった。奇人変人として知られた。
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柳亭雛太郎(舞踊)

「柳亭雛太郎(舞踊)- 色物のすべて(仮)」柳亭雛太郎は戦後活躍した落語家兼舞踊家。落語よりも踊りがうまく、操り踊りや珍芸風の踊りを得意として踊った。芸術協会でも有数の踊り手であったが、40手前で夭折した。
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柳家小満ん(百面相)

「柳家小満ん(百面相)- 色物のすべて(仮)」柳家小満んは戦前戦後活躍した百面相の芸人。元々落語家であったが百面相がうまく、百面相専門の芸人に転じた。目が悪かったが戦後まで活躍した。「ケメコ」のギャグでウケた柳家小せんは実の息子。
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三代目松柳亭鶴枝(百面相) 

「三代目松柳亭鶴枝(百面相)- 色物のすべて(仮)」松柳亭鶴枝(三代目)は戦前活躍した百面相の芸人。コミカルな百面相を得意とし、一時は凄まじい人気を得たが戦時中に思わぬ問題から零落し、失意の最期を遂げた。ロカビリー歌手で『あしたのジョー』などで知られる尾藤イサオは彼の末の息子である。
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名和太郎(腹話術)

名和太郎は戦後活躍した腹話術師・経営者。腹話術からスタートして芸能学院を設立。一時は実業家として大きな成功をおさめた。今や日本の文化としても知られるジャニー喜多川率いる初代ジャニーズ設立に関与した「新芸能学院」は、この人が運営していたもの。
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大川喜代志(歌謡漫談)

「大川喜代志(歌謡漫談)- 色物のすべて(仮)」大川喜代志は戦後活躍した歌謡漫談の芸人。漫才師としても活躍した。落語協会の番付に出て来る「喜代志」とはこの人の事。東喜代駒とは関係はないという。
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三遊亭円福(百面相)

「三遊亭円福(百面相)- 色物のすべて(仮)」三遊亭円福は戦前戦後活躍した百面相の芸人。元々は落語家であったが、落語よりも雑芸の方がうまく色物一座を転々としたという。晩年は老前座として寄席に出勤する傍ら、興行社を経営して余生を送っていたという。漫才の條アキラは息子。
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アダチ龍一(奇術)

「アダチ龍一(奇術)- 色物のすべて(仮)」アダチ龍一は戦後~平成初頭に活躍した奇術師。「アダチ」の屋号通り、アダチ竜光の弟子である。師匠譲りの堅実な奇術を得意とし、落語協会の色物として長い息を保った。
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柳家小志ん(曲独楽)

「柳家小志ん(曲独楽)- 色物のすべて(仮)」柳家小志んは戦前戦後活躍した曲独楽の芸人。幼少期は太神楽の芸人としてスタートしたが、思う所あって曲独楽に転身。後年、落語協会へ参入し、寄席の色物としても活躍した。息子は平成まで活躍した柳家とし松。
東京漫才を彩った人々

青空ピン児・ポン児

青空ピン児・ポン児は戦後活躍した漫才師。ポン児は上方落語の「笑福亭小松」であったが、落語界を追放されて漫才界入り。コロムビアトップ門下でコンビを組んだ。一時は「突破・一路を超えるコンビになる」とまで言われたというが、長続きはしなかった。

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