「東京漫才史」及び余聞

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東京漫才史 The Tokyo manzai histories
~その研究と余談~

 世間に漂う万物の事象の影には、壮大な歴史と時間が滔々と流れています。

 このページは、東京漫才の流れに注目し、一本楔を打って、東京漫才が辿ってきた道を追う――言わば、「東京漫才年譜」とでも申し上げましょうか。
 様々な事象や事件、時代を踏まえながら、東京漫才の成立や栄枯盛衰を知って頂ければ幸いなる次第であります。

※追記 全て一人でやっているので遅筆甚だしです。ご了承下さい。

東京漫才以前
(明治以前~上方漫才の誕生まで)

東京漫才の目醒めと息吹

・東京漫才の発展

 震災以後、堰を切ったように漫才が東京に進出し、少しずつ根を下ろすようになった。当初は安来節や演芸会などといった浅草界隈で流行る一過性の流行だったものが、徐々に認知されるようになり、多くの批判や皮肉を浴びながらも寄席や劇場へと出演するようになった。

 以下の記載は、その頃の『都新聞』に掲載された漫才師の出演記録や漫才大会の記事を抜粋したものである。なお、喜代駒独演会なども多いので、東喜代駒の動向は、喜代駒の頁を参照にして下さい。

1924年

8月30日  ▲帝京座 今回より安来節の花形大津検番の花奴が出演する他関西万歳、玉子や、源丸、立美、三好も加入

12月21日 ▲三幸劇場 安来節大會番外として初上京の安来杵丸、臼五郎が廿日より加入安来名物「餅の曲搗」を出す

1925年

1月3日  ▲三幸劇場 出雲ろく八重いと大合同安来節大会 新加入 安来杵丸 安来臼五郎 玉子家利丸 

2月18日 ▲三幸劇場 十八日より桃の家隆子、小櫻金之助加入

7月16日 ▲御園劇場 安来節従来の一座へ歌道楽花輔加入

8月13日 ▲御園劇場 安来節一座十三日より歌道楽橘の花輔餘興に滑稽一人相撲

11月5日 ▲江川大盛館 安来節一座五日より(追分節)昇玉美音子、同竹流(萬歳)辻井高堂、玉子家利丸新加入

1926年

1月27日 ▲御園劇場 滑稽軽口(豆子、梅子)

3月4日   ▲御園劇場 関西万歳玉子家艶子同末丸新加入

6月19日 ▲浅草劇場 十九日より萬歳花園愛子、桂金吾加入 

10月5日 ▲研究座 六日より阪東隆の家三姉妹一行演藝會で開演

10月8日 ▲研究座 六日より五日間演藝と浪花節一座に安来節隆の家万龍、千龍、百々龍一行加入

12月14日 ▲浅草劇場 十四日より高級萬歳大倉春子大倉寿賀芳(すがよし)、橘の花香(はなか)、橘の花輔加入

1927年

1月6日 ▲御園劇場 大和家三姉妹一座へ荒川小芳林家染団次新加入

2月2日 ▲凌雲座 華嬢経営は一月限りにて二月より松島興行部で経営し各派大演藝會で開場出演者は 初代梅坊主一座、春本助次郎、寶家和楽、港家奈美江、萬歳加藤瀧子、杵屋臼五郎、福本連、染團次、天路幸二、二代目岩てこ 

2月14日 ▲音羽演芸館に源一加入

3月9日   ▲御園劇場 九日より関西萬歳、花園、愛子、桂金吾加入

4月28日 ▲凌雲座 一日より関西萬歳林家染春、同染團次加入

5月4日   ▲江川大盛館 米子検若吉、深田繁子、小櫻金之助、ハレー加入 

6月11日 ▲神田喜楽 十一日夜より小原節安来節競演會桃の家一座小原萬壽、追分一二三、萬歳力丸、桃の家花香、桃香等出演

6月12日 ▲音羽演藝館 十二日より演藝全部差替東喜代志、喜代駒、隆の家三姉妹、隆の家万龍、千龍、百々龍、グルーベル加入

7月4日 ▲凌雲座 日本チャップリン、女梅坊主一座、花の家藝妓連加入

8月3日 ▲凌雲座 變更せる一座は 力春、染團蔵、月子、芳子、仲子、菜種、種二、小鶴、鶴子、時奴、お萬、種春、天洋一座外

8月4日 ▲千歳座 関西万歳、花園愛子、桂金吾、セメンダル、市ちやん、浮世亭駒代、剣舞松尾六郎加入

9月1日 ▲遊楽館 一日より出雲福奴、田村愛子、花の家小奴、文化萬歳都家静代、文雄、珍藝七五三、桃枝等加入

9月5日 ▲遊楽館 諸藝大會へ五日より日本チャップリン、和製メリーも出演し滑稽奇術の種明しを演ずと

9月6日  ▲浅草第二館 女道楽奈美江改め濱の家千鳥、万歳花助、花子加入

9月9日  ▲壽座 万歳芳夫、利夫、金八、小花、花子、花輔加入

9月11日 ▲浅草劇場 初上京萬歳荒川竹春、笑福亭茶福呂等加入

9月14日 ▲御園劇場 お萬一座へ豆子、八重子、琴子、花子加入

10月1日 ▲浅草劇場 一日より関西萬歳大會一座へ荒川ラヂオ、久栄、房丸、小久、時子、茂、竹春、茶福呂、染二、桂公森加入

10月1日 ▲帝京座 松尾六郎、松葉家保子、西村春雄、かほる加入

10月22日 ▲第二館 萬歳小櫻金之助セメンダル、日の丸、源六、源一、花の家娘連加入

10月22日 ▲江川大盛館 安来節清子、歌道楽豊香、萬歳愛之助、捨春、ボラ、國春加入

10月27日 ▲万歳小櫻金之助一座 廿六日より五日間深川衆楽座

12月3日 ▲江川大盛館 三日より万歳東家市丸、小新加入

12月5日 ▲民衆座 五日夜より万歳競演會 東喜代駒、中村力春、荒川ラヂオ、桂駒之助、中村種二、荒川房丸、橘家花輔

1928年

2月8日 ▲帝京座 大和家三姉妹一座へ八日より関西萬歳笑福亭茶福呂、荒川竹春加入 

3月27日 寿座 源一デブ子等加入

5月1日 ▲江川大盛館 節まねお萬出演

5月11日 落語睦会の寄席興行に、セメンダル金之助出演

6月14日 ▲帝京座 十五日より大和家三姉妹一座、萬歳セメンダル、小櫻金之助新加入

6月23日 ▲民衆座 萬歳小櫻金之助、桃廼家セメンダル橘家花輔、デブ子、舞踊川端勝子、丸一潮之助、蝶平加入

6月30日 ▲市村座 一日よりの萬歳親交記念大會に出演する関東関西の顔ぶれは 直之助、朝日、かほる、春雄、保子、六郎、源六、清、啓之助、玉春、清子、染團治、芳春、芳丸、源一友衛小芳、染若、初江、日出男、静子、文雄、駒千代、喜代駒金之助、セメンダル、秀千代、秀夫、花輔、デブ清丸、玉奴、豊丸、小一郎愛子、金吾、力春、力松、小徳、春夫、芳郎、千代治、愛子、秀丸、茶目鶴、仲路、こたつ、夢丸

7月12日 ▲江川大盛館 十二日より安来節演藝會萬歳花輔デブ子加入

9月1日 ▲牛込會館 一日より五日間 花輔、デブ子喜代駒、駒千代、千代次、染春、源一、市太郎、源六、芳夫利丸、小徳等の萬歳に小柳連も加入

9月7日  ▲帝京座 茶目鶴、仲路啓之助、玉春、時之助加入

11月18日 ▲新富演藝場 十八日より清丸、玉奴、圓楽、鶴代、玉枝等の五蝶會

11月22日 ▲水族館演藝場 出雲家ガスタンク、バスケット、小櫻セメンダル、同金之助出演

12月26日 ▲名流大會 廿六日より三日間神田三市場に 圓遊、馬楽、南龍、絃風、登茂江、定子、春之助、小太郎出演

1929年

1月3日 ▲遊楽館 荒川芳一、大倉壽賀若参加 ▲帝京座 大和家春雄かほる参加

2月11日 ▲新富演藝場 十一日より五日間、花の家連、立花家銀猫、同猫丸、岡田小鶴、中村力松、玉春、捨六、玉子家春夫、中村種春等

6月7日 ▲殉難警察官救慰木金寄付演藝會 河村筑水主催で八日夜協調會館に出演者は 左楽遊、小さん、筑陽、出雲友衛、馬楽、筑水、貞山

7月1日 東京落語協会七月上席 上野鈴本演藝場 初御目見得 高級万歳 安子友衛

7月30日 ▲帝京座 丗一日より萬代、デブ子、花輔加入

8月1日 ▲金車亭 日出夫日出丸出演

9月6日 ▲新富演藝場 六日より五日間正次郎、千代次、五九道、春之助、安子、とも江、芳夫源一染団次等の萬歳競演會

10月31日 ▲曲亭馬きん(※三遊亭小金馬この月に改名) 玉子屋源一と共に一日より横濱衛生博へ出演

※この年は、東喜代駒の活躍が目立ち、漫才の広告の半数近くは喜代駒の出演。

1930年

1月5日 ▲江川大盛館 節真似市丸

3月26日 ▲神田喜楽 出羽三、橘三

4月12日 ▲帝京座 十五日より 花奴「文化萬歳」

4月28日 ▲帝京座 丗日よりの新番組は大津検花奴、巴家寅子一座で笑劇「忠臣蔵七段目」喜劇「一萬圓事件」他

5月22日 ▲音羽座 木村時子一黨 万歳 岩てこ、蓉子

6月16日 ▲神田喜楽 十六日より五日間、小柳連、釜仙人、前田鹿子、加代子、花香、一丸、金茶久、出雲巴、安子、みどり、でこ山の演藝會

7月6日 ▲神田喜楽 六日より名流万歳大會 日出夫、日出丸友衛、安子、一丸、金茶久、六郎、和歌子、とんぼ、喜代子出演

7月9日 ▲演藝仲よし會 九、十の両夜、江戸川鈴本亭に、出演者は 絃風、南龍、笛亀、バンカラ与三郎、春之助、若丸、大和家少女連

7月11日 ▲江川大盛館 十一日より〆の家一座、若松家正三郎、玉子家源一、海老一海老蔵

7月12日▲観音劇場 十二日より 東喜代駒、駒千代、梅香家梅香、一徳、砂川一丸、辰奴、東富士子、宝来、小政、太郎、正太郎、静丸、今奴、ぼたん、清子、照子、人形、博次、博王等出演

7月21日 ▲演藝懇親會 橘の榮造とそのグループが出演して廿四日夕五時雷門並木倶楽部に 榮造、君子、光一、光子、夏子、染團治、残月連、三亀松、小芳、房子、千代香、歌吉、梅好、遊輔、鶴蔵、一圓、名良久座、出陣座出演

7月30日 ▲新歌舞伎座 七日より十三日まで變り種の諸藝人を網羅してナンセンス萬歳大會を毎夕五時に開演、出演者は 荒川清丸、玉奴、玉子家吉丸、久奴、松本三吉、政次、轟一蝶、二見家秀子、吉田明月、荒川芳坊、喜楽家静子、林家染團治、加藤瀧夫、瀧奴、東駒千代、喜代駒、大道寺春之助、砂川若丸、東明芳夫、堀込小源太、小幡小圓、清水小徳、八木日出男、大和家初江、大和家雪子、中村直之助、千代の家蝶丸、登美子、玉子家末廣、福丸、浪川奴風、松平操、梅若小主水、砂川雅春、大和家かほる、壽家岩てこ、富士蓉子、朝日日出丸、日出夫、一丸、金花丸、松尾六郎、和歌子、弟蝶、久次、力久、竹乃、亀八、三代孝、デブ子、花輔、正三郎、源一、菊廼家若雀、独唱白井順、混成舞踊石田擁、女坊主澤モリノ外支那曲藝一行等

9月7日 ▲牛込亭 七日より四日間博多家博王一座、出演者は 人形博次、伊達奴、千代松、福丸、市松、小柳、小博、竹丸、芳枝、花子、博柳、音羽、秀峰、小楽、宝楽、博王

9月14日 ▲演藝蟻の會 十五日夜より三日間白金大正館に出演者は 山陽、楽浦、花山、花子、よし子、猿司、伊達子、つばめ、喜代駒、駒千代源一、正三郎、天雷、天菊等

9月21日 ▲演藝蟻の會 廿一日夜より五日間根津歌音本に、出演者は 山陽、圓生、一馬、楽浦、喜代駒、駒千代、つば女、天雷、天洲、時次郎、とし松、源一、正三郎、馬石、猿司、伊達子、花山

10月21日 ▲神田喜楽 廿一日より五日間万歳大會
茶福呂、花子、花輔、デブ子友衛、安子、茶目鶴、仲二、六郎、若子、歌道楽山村連中

10月22日 ▲帝京座 新加入は 万歳若松家正三郎、玉子家源一、柳家美代子、柳家亀八、笑福亭花子、同茶福呂

▲江川大盛館 新加入は 隆の家百々龍、堀込小源太、水中美人天旭齋天栄、柳亭芝楽等

11月21日 ▲萬歳研究会廿一日夜より五反田第一大崎館に、出演者は 源一正三郎染次染團治、もと子圓十郎、三代孝亀八、談之助源六、百々龍小源太繁子一休、松江大正坊主

11月29日▲萬歳研究会廿九、丗の両夜六本木の歌舞伎に、出演者は 百々龍小源太、芳江美代子、立花圓十郎、正三郎源一、三代孝亀八、はま子大正坊主、繁子一休、瀧奴瀧夫

(更新中)

・ラジオの発展

 1925年3月22日、JOAK(NHK東京第一ラジオ)が開設され、ラジオ放送が開始された。当初は実験的な放送演目が多かったが。視聴者の増加や放送技術の向上により、演芸放送も増えるようになった。

 しかし、漫才は「下品」「新興」と見なされ、落語や浪花節などと比べ、不遇な扱いを受け続けてきた。以下は漫才が国民的な人気を得、ラジオに出演の人気番組になる前に、関与をした漫才師たちの一覧と放送演目である。こう見ると、漫才単体が殆どなく、「安来節」や「吹き寄せ」といった出演の方が多いことに気づかされる。

1926年

 4月10日 『俚謡雑曲』(午後9時〜)で、大和家八千代一座がJOAK(NHKラジオ)に出演。「小原節、安来節、鴨緑江節」を披露。
出演者は大和家八千代、春子、清子、大和家かほる。尺八・大和家信夫、鼓・大和家すみ子、三味線・林若次。

 7月24日 桂金吾が『安来節』(午後8時頃〜)の太鼓方としてラジオ初出演。但し漫才を演じることは無かった為、漫才放送としてはノーカウントである。
 他の出演者は、唄・大社捨子、山崎光子、松江検鶴子、小原節・中山喜一郎、鼓・多納花子、尺八・佐々木清太郎、三味線山崎政子。

 8月24日 東喜代駒・喜代志、『滑稽掛合噺』(夜8時〜)でラジオ初出演。東京漫才における最初の放送でもあった。演目は『難題問答』『鴨緑江節』『数え歌』『越後獅子替歌五段返し』。

 9月25日 大和家かほる、『安来節』(午後8時半頃〜)の歌い手として出演。

1927年

 3月10日 柳家梧楼(リーガル万吉)、『擬宝珠』(午後0時10分〜)でラジオ初出演。この時はまだ落語家としての出演であった。『擬宝珠』は先年柳家喬太郎が復活させ、今では人気演目になっている。

 6月13日 大津お萬が『安来節』(午後8時30分〜)でラジオ初出演。この頃にはもう浪曲物真似を得意としていた。

 7月3日 橘ノ円十郎、滑稽掛合噺『演藝デパート』(午後3時10分〜)に出演。
 他の出演者は橘ノラジオ、青柳燕之助。

 8月12日 大和家八千代、『安来節』(午後8時〜)に出演。当時の人気を伺わせる。

 8月21日 橘ノ円十郎、漫劇『芝居行脚』に出演。メンバーは橘ノラジオ、青柳燕之助。

 9月4日、大和家かほる・玉子家つや子、『歌道楽浪花萬歳』(午後3時半〜)に出演。名称が仰々しいがその中身は普通の音曲漫才であった。諸事情のため、『萬歳』と名乗れずこのような形になった、という。
三味線方に西村源一。

 9月11日 大津お萬『浪花節物真似』(午後3時半〜)で、ラジオに出演。天中軒雲月『安兵衛婿入り』宮川左近『天野屋利兵衛』篠田實『五郎正宗』木村友衛『河内山』などを語った模様。

 9月30日 雷門助六、春風亭柳枝の主宰で放送落語劇『松竹梅』(午後7時25分〜)を放送。滑稽噺『松竹梅』を喜劇風に仕立て上げた。この中に春風亭枝雀が出演している。

その配役は、
鳶頭松五郎  雷門助六
大工竹次郎  春風亭柳橋
左官梅吉   春風亭枝雀
女中お花   雷門善六
伊勢屋久兵衛 春風亭柳昇
隠居吉兵衛  春風亭柳枝

 10月14日 大津お萬、『安来節』(午後9時10分〜)に出演。前座に大津豆子という子供の歌い手が出演しているが、この子は大きくなって、冨士蓉子と改名した。

 11月6日 橘ノ円十郎、掛合漫劇『穴手本集珍蔵』(午後1時〜)に出演。タイトルは『仮名手本忠臣蔵』のもじりである。
他の出演者は、橘ノラジオ、橘ノ百円、橘ノ立花、桜川仙平、青柳燕之助。百円は後年落語家に戻り、橘家圓太郎を名乗った。奇人として有名である。

 11月13日 春風枝左松・三升家三喜之助、音曲『浮世節』に出演。

1928年

 2月26日 橘ノ円十郎、掛合噺『カフエ馬鹿囃子』(午後2時40分〜)に出演。
 他の出演者は、橘ノラジオ、柳亭左喬。

 3月4日 水茶家博次・博多家人形、『地方俚謡大会』(午後8時15分〜)に出演し、『博多節』『佐賀の梅ぼし』『肥後節』『熊本節(おてもやん)』を披露。

 4月5日 大津検花奴、『安来節』(午後8時半〜)に出演。安来節の花形として紹介されている。
 他の出演者は、唄・出雲家米子、森山淺乃、三味線・奥井市三郎、尺八・田村春雄、鼓・秋田新市

 5月1日 水茶家博次・博多家人形、『博多小唄』(午後8時〜)に出演。『黒田節』『島田金谷』『俺が国さ』『博多四季』を披露。ここまでは漫才、女道楽というよりも邦楽鑑賞の趣が近かった。

 6月30日 春風枝左松・三升家三喜之助、『吹寄せ』に出演。三味線二挺抱え、長唄清元常磐津義太夫端唄小唄流行歌なんでもありの作品を弾き語った。

 7月8日 水茶家博次・博多家人形、『端唄』(午後8時〜)に出演。『夏は蛍』『エンカイナ』『伊予節』『新作掛合都々逸 痴話喧嘩』を披露。ここから掛合漫才風のネタを演じるようになり、笑いに重点を置くようになる。前述の『痴話喧嘩』は人形博次時代の大当たりのネタで、レコードにもなった。

 7月22日 橘ノ円十郎、掛合漫劇『藝のなる木』(午後2時20分〜)に出演。
 他の出演者は、青柳燕之助、橘ノ百円。

 8月31日 水茶家博次・博多家人形、『博多節』に出演。『博多節』『ガラガラがき』『ぼんち可愛や』『祝ひ目出度や』『博多四季』『掛合都々逸 新世帯』を披露している。

1929年

 8月12日 東喜代駒・駒千代、『掛合音曲』に出演。『館山節』『深川くづし』『滑稽浪花節』『塩原多助』を披露。

 9月6日 桂金吾・花園愛子、ラヂオ風景『走馬燈』に萬歳師の役として出演。『煙草づくし』なるネタを披露した。
 この作品は吉井勇の『俳諧亭句楽』を下敷きにしており(吉井勇が放送指揮をとった)、句楽たちが昭和の浅草に紛れ込んで、その風俗や流行に驚く、というコメディータッチのドラマであった。
 他の出演者は、落語家句楽(小堀誠)、落語家焉馬(大矢市次郎)、講釈師典凌(菊池正之助)、講釈師貞龍(伊志井寛)など。

1930年

 2月1日 水茶家博次・博多家人形、『音曲五つ』(午後0時5分〜)に出演。『御座付き』『恋の神楽坂』『伊予節』『根無草』『登山小唄』を披露。

 2月23日 春風亭枝雀・花菱、『小唄レビュー』(午後8時〜)に出演。花菱は枝雀の弟弟子。

 6月8日 東喜代駒・駒千代、『困つた代物』に出演。レビューを看板に、しゃべくり漫才風のネタを展開した。この頃から漫才の萌芽がみえるようになる。

 9月7日 『俚謡俗曲大会』(午後0時30分〜)に、大和家八千代『安来節』、鉢呂八重子『追分』、大津お萬『安来節』出演。

 10月4日 水茶家博次・博多家人形『音曲吹き寄せ』(午後0時5分〜)に出演。『秋草』『弓張月』『浅くとも』『肥後節』『俺が国さ』『黒田節』『筑後節』『アルプス小唄』を披露している。

 11月16日 三升家三喜之助、『ふきよせ』に一人出演。清元『春雨』、『御座付き』、『ほととぎす』『都々逸』、『文弥くづし』、大津絵『三味線七不思議』、『木更津甚句』を披露。

 11月29日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『赤穂事件』に出演。赤穂浪士の寸劇から『唐人お吉』『祇園小唄』『銀座小唄』『銀座セレナーデ』などの替え歌を披露。

1931年

 4月16日 大津お萬、俗曲『吹き寄せ』(午後0時5分〜)に出演。三味線は、後年漫才師になる松本庫吉が担当した。

 5月21日 東喜代駒・駒千代、『掛合噺』に出演。『二つ三つ四つ』『知った振り』『都々逸』『深川くづし』を披露。

 10月19日 朝日日出夫・日出丸、滑稽掛合『家庭ジャズ』(午後0時5分〜)でラジオ初出演。純然たる東京漫才としては、喜代駒、かほる・つや子に次いで3組目。

 12月16日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『呑気なもんだね』(『親父はダー』とも)に出演。この漫才には喜代駒の三女、マツ子も出演。『子供は正直』『商売往来』『アパートの忘年会』といったコント風の漫才を展開。

1932年

 4月8日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『金のなる國』に出演。金の有り余る国で起こるドタバタを歌謡曲やお笑いにして一席のストーリーにしたもの。喜代駒の三女マツ子、それに東貞水なる人物が参加している。ご遺族によると「この貞水さんは喜代駒の妻の弟だった気がします」。

 8月8日 東喜代駒・駒千代、掛合噺『人生いい加減な道』に出演。銀座の風景を中心にしたレビュー調の漫才を展開。このとき「マンゲキ」なる名称を用いている。

 12月10日 東喜代駒・千世子、掛合噺『いいぢやありませんか』に出演。京都篇、東京篇の二部構成の作品。千世子は東駒千代の改名。

 12月29日 朝日日出夫・日出丸、掛合噺『運勢判断干支萬歳』(午後0時5分〜)に出演。この頃には音曲漫才からしゃべくり漫才へと移行し始めている。

東京漫才の発展と飛翔

 その人気は舞台のみならず、新聞メディアにまで広がった。

 1935年12月24日、『都新聞』の一年の総決算をする記事では、第一に漫才の流行が取り上げられた。以下はその引用。

あさくさ・すうべにいる【上】
漫才全盛の跡を辿る
題材を近代生活に求めよ

今年の浅草を振返つて見て、先づ一番目に目立つた事は、漫才の勃興、隆盛であらう、實に今年漫才が勢ひを得てノシ上つた事には、我人共に驚くべきものがあつた、浅草の漫才をかう盛らせた原動力は、關西で漫才の元締を誇る吉本興行にある、吉本は去年その属する精鋭を引連て、試みに都心、新橋演舞場に出たところ、よく當つた、今春の同劇場興行も續いて當つた、この現象を六區に松竹座、常盤座、金龍館の三館を擁して常に何か新奇な掛物を望んでゐる松竹キネマ演藝部が何條看過しよう、五月に松竹座が一時空いたのを機に、その下旬十日間を、松竹特選漫才大會を開催した、勿論出演者は吉本の關西漫才に對抗してこれには属さぬ所謂關東漫才である、これが豫想外に當つた、初め當業者達は、六區に来る客は流動性を帯てゐるとは言へ、例へば松竹座ならば松竹座乃エノケンについてゐる客がある、そしてその客といふのは浅草で最もインテリ味を帯びてゐる層とされてゐる、その客のついてゐる小屋で漫才といふものをやつて果してどんな結果を得るかと疑惧を持つてゐたが蓋を開けるとそれは忽ち一掃して客は毎日座席を埋めた、そしてこれで「漫才は何と言つても關西が本場だ、關東方の漫才はどれだけ客を惹けるか」と言はれた言葉に對しても、關西の漫才は本場として、勿論これも結構、然し東京の客には、却つて関東方のシツコクない味に惹きつけられるといる話を實證した形にもなつた。これに氣をよくした松竹演藝部では、これを金龍館へ持つて行つて常打に演り、續いて八月下旬には再び松竹座で、今度は都新聞社後援の下に漫才コンクールを開いたがこれも勿論當つて、愈々漫才熱を煽つた、因みにこの時所定の審査員によつて選ばれた優勝者は、一等浪速シカク、同マンマル、二等春風枝左松、松平操、三等都路繁子、千代田松緑等である、松竹演藝部ではこの漫才大會の間に、講談、落語其他の藝人を集めて名人大會を開いたが、これも漫才には押されて成績は挙がらなかつた、一方かう漫才が盛んになると、昨日までは喜劇、レヴユウの舞臺に踊つてゐ者も、浪花節で師匠の湯呑を持飽きた者も、今日は忽ち變る漫才の太夫といふ工合に、漫才師は浅草に溢れる位になつたが、一時には六區の實演劇場、演藝場十五館に亘つて、或はこれを専門に、或は他の掛物の間に出すといふ全盛振りを示したから、この俵作りの漫才も困らずに消化して行つた位だ
ところでかう漫才が増えると中には相當如何はしいのも現れ藝では及ばぬから、エロ味でも行かうとする者もあり其他取扱ふ材料に就ても、相當其筋の頬を勤めさせるやうなのが出て来たので、當局では漸く取締に乗出した、これに周章てたのは當の漫才連中で、芝居などとは全く性質を異にして、當意即妙、變轉自在を生命とする漫才をそんな脚本検閲制度などで縛られては困ると騒ぎ出し、結局組合を作つて自制的に取締れば、といふ事になつて、ヤツサモツサを重ねた揚句九月十三日、目出度く帝都漫才組合の発會式を擧げた、これを機會に一層漫才熱を煽るために組合結成記念關東關西合同漫才大會を市内の大劇場に於て開催の計畫を樹てたが機熟さずか、今年中には實現を見ずに暮れる、これを以て最近漫才熱が下つたと言ふは當らないかも知れないが、多少飽かれ氣味になつた事は否めなからう、松竹の漫才の本城金龍館で、肝腎な松の内だけ漫才を休んで壽々木米若を掛けるのが此間の消息を物語るものだといふ見方をする者もあるが、兎に角漫才にとつては今が緊褌一番の秋らしい組合結成の前後にも漫才は皆個人主義的で不可ないといふ非難があつた、土臺漫才は舞臺に於ても自分だけを考へて他との掛合ひを考へないから漫才全體としての効果を滅ぐ事が多い、よく引合ひに出されるエチオピヤにしても、持出す本人は面白がつてやつてゐても、出る者も出る者もエチオピヤでは聴く方でウンザリ、自分の組だけのつもりでエチオピヤを持出すといふ事のほうが漫才よりも餘ツ程可笑しい、それから揚足取りばかりにギヤグを求めずに、もつと内容的に取扱ふ題材も近代生活に触れさせなければならないといふ話にも耳を傾けるべきだらう、とまれ漫才連は時代といふものと漫才全體といふを事考へて行動する事、先づ来年は前に書いた記念大會でも早早に開いて、一段と漫才熱を煽つてから、更に前進こそ望ましい

・帝都漫才組合の結成

 1930年代初頭より、漫才師の数が激増。それに伴い、漫才師間の協力や情報交換の場が必要になった事。また、検閲上の問題も増えた事により、官憲や興行社などから芸人団体の発足が要求されるようになった。

 しかし、芸人や興行社の言い分がそれぞれ異なっていた事もあり、協議は難航。協議と挫折を繰り返す事となった。何とか形になったのは、9月の事だった――という所をみても、さぞこじれた事であろう。

 1935年9月、帝都漫才組合が発足。はじめて東京漫才は一つにまとまった。以下は『都新聞」』(1935年9月14日号)に掲載された幹部一覧。

日時 昭和十年九月十三日 

午前九時 場所 浅草松屋 六階演芸場

・組合長 大久保 源之丞(東京府会議員)
・会 長 林家 染団治(漫才師)
・理事長 渡辺 正巳
・相談役 林 弘嵩(吉本興業) 川口 三郎(松竹芸能)

・代 表(興行社)

小山 喜一郎 大森 保 町田 梅太郎 宮澤 虎彦 松留 幸太郎
戸張 鐵太郎 沼田 次男 古川 彬高 外村 禮文 山田 剛

・代 表(漫才師)

都家 福丸 大道寺 春之助 千代田 松緑 大朝家 五二郎 立花家 六三郎 日本 チャップリン 中村 直之助 天野 操 玉子家 源一 朝日 日出丸 川路 紫郎

発足時会員 八十餘組、百六十数名

この発足後も会員は続々と増え、1935年末の記録では、「昨年の末限定で九十九組」と発表された(『都新聞』1936年1月27日号)。

 年も改まった1936年初頭、発会を記念して、明治座で漫才大会を行うことが決定。当時としては破格の公演で、『都新聞』はこれを大きく報じた。

帝都漫才組合 結成大會 下旬明治座で、
關東方の漫才を打つて一丸として去年の秋結成した帝都漫才組合が市内大劇場で結成記念漫才大會を行ふべく計畫中の事は既報したが愈々今月下旬廿六日から四日間、明治座に於て華々しく開催される事に決定した、組合内で出場漫才の銓衡及び諸般の準備に當つてゐるが、選ばれてこの舞臺に上る漫才は約十五組の予定である

『都新聞』(1936年2月19日号)

 それから間もなくして披露大会に出演する漫才師たちが『都新聞』に掲載された。そのメンバーは当時の人気者たちで、大顔合わせに相応しいものであった。

▲帝都漫才組合結成披露大會 廿六日より一日まで明治座に 

出演者は 春之助、逸朗、道太郎、樂三郎、染太郎、染二郎、一丸、源一、シカク、マンマル、日出夫、日出丸、〆駒、五二郎、とん子、二郎、喜千代、松緑、紫郎、ポンチ、〆葉、八重子、小芳、繁子、香津代、福丸、百々龍、勝之助、左枝松、操、祐十郎一座

『都新聞』(1936年2月21日号)

 しかし、初日の26日は休演という憂き目に遭遇。理由は至極簡単で、青年将校が高橋是清や斎藤実を血祭りにあげ、クーデターをおこした「226事件」の余波と警戒令を受けて、であった。

 そんなトラブルこそあったものの、3日間の公演は成功に終わり、大きく前進したかと思われたが、公演終了後間もなく、出演メンバーに選ばれなかった者や組合のやり方に反撥する者たちの間で揉め事が起こり、たちまち内紛となってしまった。

 その内紛や怒りの事情を『都新聞』(1936年3月2日号)は右のように伝えている。

 帝都漫才組合が、昨秋結成以来の宿願叶つて廿七日初日(廿六日は休演)で明治座に開いた組合創立披露公演は生憎の戒厳令下で(註・廿六日に二・二六事件が勃発)客足が阻まれたのは残念とされてゐるが、それはそれとして、幸先よかるべきこの披露公演を機として組合内に内紛が怒り近く建直しになるかも知れない模様である、この原因は、この披露公演に、晴れの大舞臺を踏むべき組合員の人選に就て組合當事者が一般組合員に諮るつて公正な詮衡を行はなかつたといふにあり、これに就て組合當時者はこれは三、四月頃の開演の豫定が、明治座を得て邉(にわか)に早まつたゝめ総會を開いて廣く諮る時日が無く、止むなく先づ理事者選で選んだ三十組の候補中から、大久保組合長等が今度の十五組を選定したもので、この措置に就ては非難を受くべきものではないとしてゐるやうだが、一方この披露公演に、大舞臺を踏んだ踏まぬは名前を重んずる藝人にとつて、今後の舞臺生活に相當の影響ありとなすのは尤もな次第で、然るが故に公選によらない今度の詮衡に洩れた多数の者はこれに組合員外の漫才連も加はつて寄々協議の末決議文を作つね組合當時者に突きつけた

『都新聞』(1936年3月2日号)

 関係者は沈静化を図ろうと、以下のような条件を出した。

これに始まつて組合當時者と代表委員との間に於て数次に亘る会見折衡が行はれたがその結果大體左の條項によつて妥協を見出し、この披露公演が終つた後具體化を見る事になつた、それは今回の出演者を月組とし、續いて雪組、花組の出演者による第二回、第三回の披露公演を可及的速かに催して、披露公演出演者の偏頗を除く事、役員の総改選を行ふ事、第一回公演の會計を明かにする事等である、これ等は概ね、この披露公演が終つた直後に開かれる筈の組合総會で實現が期せられる筈だが、帝都漫才組合は當初漫才検閲問題に端を發して警視興行係當局の聲掛かりによつて生れたものであると言ひ條、昨年結成以前からいろ/\波瀾もあつたもので、今度の建直しものの程度に實現するか未知数だが、第一回披露公演を中にしてまたこの紛議は困つたものであるとの聲も一方に高い

『都新聞』(1936年3月2日号)

 しかし、第二回公演や改選の話は有耶無耶になってしまい、話はこじれてしまった。

 1936年3月、ついに脱会者を多数出してしまった。以下は『都新聞』(1936年3月11日号)に掲載された脱退を報じる記事。

遂に爆発!
帝都漫才組合に―― 脱退者相次ぐ
憤怒組相寄つて新團體結成か 組合側頗る冷静

二月下旬明治座に開かれた創立披露公演を巡つて揉めてゐた帝都漫才組合は、公演終つても事態収まらず遂に多数の脱退者を出して却て悪化するに至つた、即ち今度の公演に關し出演者の人選其他に就て、組合當事者の執つた處置を難じて起つた所謂不平組は其後組合當事者と種々接衝したけれどもその措置誠意は認るべきものなしとして、遂に同志四十餘名が連名にて脱退書を突きつけるに至つたもので、この脱退組は新たに漫才組合を作るべく密かに工作を行つてゐる、この實行委員は大和家貞夫、冨士五郎、同十郎、千歳家今助、朝日日出若、笑福亭茶福呂、寶家小坊、常盤楽山、三遊亭福助、市山壽太郎で、これに理事としてただ一人の脱退者日本チャップリンを加へて行く模様であり事務所は目下のところ定まつたものはないが、大體大和家貞夫が連絡の中心となつて計畫をすすめている

 この脱退した組は対抗して『日本漫才協会』を設立したものの、これも間もなく内紛が起き、自然消滅。一部は組合に戻り、一部(冨士五郎・十郎など)は漫才組合に参加しなかった東喜代駒を担ぎ上げ、『漫才新興連盟』を設立。脱会した叶家洋月や桂喜代楽などはここに納まった。

 幹部と目された日本チャップリン、大和家貞夫、笑福亭茶福呂などはフリーを通した模様である。

戦争と平和と東京漫才

焼け跡に甦る東京漫才

漫才研究会結成とその動向

マスコミ時代と東京漫才

第11回 1963.2.23

優勝「時間割」Wけんじ

準優勝「お笑い歌で行きましょう」若葉茂・高山登

三位「僕は読書家」青空うれし・たのし

特別賞「お笑い花嫁学校」都上竜夫・東竜子

都上秀二・西秀一、東晴々・谷朗々、南賢児・伸児、京美智子・西美佐子、マキノ葉子・ヤマト菊栄、新山ノリロー・トリロー

第12回 1964.3.7

優勝「電波時代」大空なんだ・かんだ

準優勝「唄えば楽し」晴乃チック・タック

三位「デラックス流行」青空うれし・たのし

第13回 1965.3.13
優勝「おてもやん」新山ノリロー・トリロー

第14回 1966.2.26
優勝「花の武士道」晴乃チック・タック

準優勝「脱線スポーツ放送」丸の内権三・助十

三位「ぼくは芝居通」青空はるお・あきお

次点「淡島富士子」東京二・京太

第15回 1967.2.25
優勝「わたしの献立」青空はるお・あきお

準優勝「ごめんな物語」赤井しんご・青井しんご

「名城物語」大井海彦・山彦
「二人の旅行」高峰青天・幸天
「マイフェア紳士」大空みつる・ひろし
「約束」北ひろし・南順子
「英訳相撲放送」青空星夫・月夫 
「受付百景」東京二・京太
「わたしはボステス」太平洋子・三升小粒
「男性よ強くなれ」南けんじ・条あきら
「アダムとイブの物語」丸の内権三・助十

16回 1968.3.2

優勝「西武の兄弟」桂菊丸・高丸

準優勝「求む!秘書」志賀晶・榎本晴夫

第三位「いろはにほへと」東京二・京太

特別賞「思い出の兵隊さん」丸の内権三・助十

「若さでぶっとべ」ホリおぼん・こぼん
「女性研究」東京大坊・小坊
「そこに山があるから」大空みつる・ひろし
「商売アラカルト」大井海彦・山彦
「お見合心得帳」高峰青天・幸天
「長生きの秘訣」赤井しんご・青井しんご
「先祖は武士」青空星夫・月夫
「花嫁修業中」北ひろし・南順子

17回 1969.2.15
優勝「忍法虎の巻」東京二・京太

準優勝「わたしは詩人」笹一平・八平

第三位「明治は遠くなりにけり」大空みつる・ひろし

次点「海外旅行」松鶴家千とせ・宮田羊かん

「ぼくらの歳時記」東京大坊・小坊
「ぼくの民俗学」大瀬しのぶ・こいじ
「評論家時代」高峰青天・幸天
「われら青春」月見おぼん・こぼん
「お願いしますよ二、三分」志賀晶・榎本晴夫
「夫婦ポッポ」北ひろし・南順子
「今とむかし」宮田陽司・昇司

18回 1970.2.14
優勝「㊙情報時代」大空みつる・ひろし

準優勝「鬼の居ぬ間」榎本晴夫・志賀晶

第三位「ハプニング桶狭間」松鶴家千とせ・宮田羊かん

「わたしは名取り」北ひろし・南順子
「民間協力」宮田陽司・昇司
「ぼくの教育学」大瀬しのぶ・こいじ
「恋愛作戦DDD」月見おぼん・こぼん
「娼婦夫随」羽沢かんじ・志摩かほる
「ファッションABC」晴乃ダイナ・ミック
「マナー教えます」花園のいる・のいる

19回 1971.4.12

優勝「固い商売」大瀬しのぶ・こいじ

準優勝 榎本晴夫・志賀晶

第三位「お茶の話」松鶴家千とせ・宮田羊かん

獅子のびる・瀬戸こえる、月見おぼん・こぼん、高峰青天・南マチコ、丘エース・谷エース、高峰祝天・高峰祭天、ロマンス清美・由美

20回 1972.3.13
優勝  「間違い電話」丘エース・谷エース

敢斗賞 「ぼくの社交界」あした順子・ひろし

努力賞 「ぼくの闘牛士」月見おぼん・こぼん

榎本晴夫・志賀あきら、獅子のびる・瀬戸こえる、木田P太・Q太、東ぽんじ・永尾ぽんじ、青空球児・好児、泉よう子・たけし、青空ヒッチ・ハイク、東城けん・しん

21回 1973.2.24 NHKホール
優勝 「ボクは名人」(京田勝馬作)青空球児・好児

敢斗賞「エノ・シガのワイドショウ」榎本晴夫・志賀あきら

努力賞「入院」(グループキャンセル作)大瀬うたじ・ゆめじ

「雪の思い出」(柊風太作)Wモアモア
「しゃれ男」(元木すみお作)木田P太・Q太郎
「ガール・ハント入門」星セント・ルイス

22回 1974.2.13 イイノホール
最優秀「ふるさと」新山えつや・東ひでや

優勝 「SLは行く」(遠藤佳三作)春風こう太・ふく太

1番目のグループ
「節約時代」(緑川崇久作)大空はるか・かなた
「僕はキャプテン」青空ピック・アップ
「里帰り」えつやひでや
2番目のグループ
「僕はモナリザ」(古城一兵作)東京丸・京平
こう太ふく太
「フィーリング時代」(京田勝馬作)Wモアモア
3番目のグループ
「珍ずし」(古川新山作)青空ヒッチ・ハイク
「南北体操」星セント・ルイス
「ああ 我幼なかりし頃」(小松良則作)大瀬ゆめじ・うたじ
4番目のグループ
「昔と今」(あべゆうじ作)木田P太・Q太
「くたばれベース・ボール」昭和のいる・こいる
「プレイ・ボール」高峰愛天・敬天

23回 1975.3.1 イイノホール

最優秀「沖田総司」Wモアモア

優勝「通信簿」大空あきら・たかし

第三位「ライバル同志」大瀬ゆめじ・うたじ

「チャチャンカチャン」東京丸・京平
「新婚旅行」青空ピック・アップ
「借りたワイシャツ」大空せんり・まんり
「お笑いアラカルト」桂光一・ひろみ
「テレフォン物語」昭和のいる・こいる
「レストラン」星セント・ルイス

いわゆる、MANZAIブーム

 1970年台後半より、有能な若手が登場するようになり、人気を集めるようになった。NHK漫才コンクールにも、後年の人気者が、続々と出演するようになる。

 ここで面白いのは、優勝したからとて、必ずしも売れたというわけではない点である。これまでは優勝して飛躍する例が多かったのに対し、ツービートやさがみ三太・良太のように優勝を逃しながらも独自の地位を築いた面々が増えた。

 或る意味では、それだけコンクールの権威も色あせ始めていた――とも言えなくはない。

24回 1976.3.6 イイノホール

優勝「民謡あれこれ」昭和のいる・こいる

準優勝「浪曲七変化」さがみ三太・良太

第三位「僕はスポーツマン」ツービート

「同棲時代」青空ピック・アップ
「新婚旅行」東京丸・京平
「カントリ・ソング」大空あきら・たかし
「ブルースリーの伝説」大空せんり・まんり
「ぼくのアパート」高峰愛天・東天
「それは先生」高峰和才・洋才
「君よ変革を志せ」星セント・ルイス

25回 1977.3.5
優勝「医者の息子」星セント・ルイス

準優勝「珍説・大村益次郎」(遠藤佳三作)高峰愛天・東天

「僕はガキ大将」ツービート
「バナナ・ボート」(日高はじめ作)日高やすお・たかお
「あゝ結婚」大空あきら・たかし
「家」桂光一・光二
「僕の体験」(大岩賞介作)東京丸・京平
「こめんなさい」高峰和才・洋才
「夢はデッカク」(遠藤佳三作)さがみ三太・良太

26回 1978.3.3
優勝「もしも……」東京丸・京平

3位「三太・良太の一年生」さがみ三太・良太

3位「ツービートの少年時代」ツービート

「野球の詩」青空ヒッチ・ハイク
「どちらが犯人」青空ピン児・ポン児
「別れは悲しい」大空あきら・たかし
「湯島の白梅」春日富士松・雪雄
「漫才誕生」桂光一・光二
「聖者のような人だった」高峰和才・洋才
「ファッションショー」Wチャンス

27回 1979.3.2

優勝「何が大切」青空ピン児・ポン児

「どうなってんの?」桂光一・光二
「僕の自慢」Wチャンス
「ザ・ヒットパレード」ツーヤング
「応援席のお嬢さん」(遠藤佳三作)高峰和才・洋才
「釣の天才」青空ヒッチ・ハイク
「ここに現代がある」大空あきら・たかし
「ほめ方心得帳」(遠藤佳三作)高峰東天・栄天
「僕たちの予算管理」(遠藤佳三作)東京助・玉助
「シャレ落ち夫婦喧嘩」(遠藤佳三作)春日富士松・しげる

28回 1980.2.29

優勝「エスカルゴ」 青空ヒッチ・ハイク

「平行線」大瀬ゆめじ・うたじ
「ジュークボックス」大空あきら・たかし
「カラオケ時代」大空ネット・ワーク
「お笑い’80」桂光一・光二
「西遊記」高峰和才・洋才
「百獣の王人間」ぽぱい(木田Q太・みのり)

29回 1981.2.27

優勝「平行線パートⅡ」大瀬ゆめじ・うたじ

「タダ酒も芸のうち」大空ネット・ワーク
「ことわざ問答」桂光一・光二
「うさぎ獲り大作戦」大空あきら・たかし
「ことわざアラカルト」高峰凡才・宮城英才
「料理教室」高峰和才・洋才

30回 1982.2.27
優勝「信じる糸」大空あきら・たかし

「怒り」青空一歩・三歩
「お年寄りを大切に」東京助・玉助
「二ヶ国語放送」大空ネット・ワーク
「夢を持とう」桂光一・光二
「ものしり博士」高峰和才・洋才

31回 1983.2.26
優勝「中村先輩の悩み」青空一歩・三歩

「通信論争」桂光一・光二
「運転免許証」東京助・玉助
「結婚相談所」高峰和才・洋才
「花も嵐もぶっちぎり」深水みつか・かおり
「僕の趣味」大空ネット・ワーク

32回 1984.2.25
優勝「今こそ菊池寛」高峰和才・洋才

「親孝行」東京助・玉助
「カラオケ大会生放送」大空ネット・ワーク
「生活のリズム」大空遊平・大海かほり
「日本列島ブーム模様」新山絵理・真理
「ソウルへの道」ピックルス(みつか・かおり)

33回 1985.2.23
優勝「もちつもたれつ」桂光一・光二

「スポーツと観衆」青空きんし・ぎんし
「血液型A・B・O?」東玉助・洸介
「幸福ってなあに」大空ネット・ワーク
「男らしさ女らしさ」大空遊平・大海かほり
「結婚その遠き道のり」新山絵理・真理

34回 1986.2.22
優勝「なんてったってミーハー」新山絵理・真理

「血液型面白ゼミナール」東洸介・玉助
「ハウソロジー」大空ネット・ワーク
「世相ガイダンス」てきさすコンビ
「スポーツクラブ・その光と影」春風こうた・ふくた
「結婚バンザイ!」ペコちゃん

祭りの後と新人たち

そして、現在――

東京漫才、その余聞

おりた氏・中山涙氏に答ふ

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