唄の家一八・歌丸

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唄の家一八・歌丸

 

 人 物

うた 一八いっぱち

・本 名 ??
・生没年 ??~1960年代?
・出身地 ??

うた 歌丸うたまる

・本 名 ??
・生没年 ??~1960年代?
・出身地 ??

 来 歴

 男の一八が三味線を弾き、巨体の女である歌丸が朗々たる美声で民謡を歌う、古風な民謡漫才を得意としたコンビだという。但し前歴は不明。

 1933年頃の顔付には茶目丸・一八名義で出演し始め、ブームが起きた1935年には一枚看板として活躍している。成る程古いコンビである。

 1955年の漫才研究会発足の折にも、古老として参加しているが、活動の中心は巡業や余興であったせいか、主要の寄席や漫才大会には出演しなかったと見えて、栗友亭や当時の番組表でその名前を見かける事は殆どない。

 一時期は息子の歌扇を入れて、トリオで漫才をやっていたそうであるが、後年、歌扇が映画業界に行ったため、またコンビに戻った、と松浦善三郎『関東漫才斬捨御免』にある。これが唯一といってもいい、二人の動向を示すものなので引用しておく。

数少い民謡一本槍の漫才。女の歌丸が芋俵に衣装を着せた感じ?で、男の一八は鶴の足のような体格だからコントラストは妙。これをネタの中で強調するとなお面白いと思うが現在の内容は民謡本位。一八の三味線で歌丸が約廿貫程の巨軀から美声を張り上げて定評ある「磯節」をはじめとして次々に諸国民謡を唄いまくる。農漁村の者には大受けどう言う加減かこのコンビ西にファンが多く、一年の半分を西に旅する。時には息子の歌扇が踊りで加わって、最後はにぎやかに安来節を演ることもあってこれがまた好評。ただし最近は歌扇が映画の方に首を突っ込んでいるそうでめったにこのトリオを観る機会がなくなった。

『アサヒ芸能新聞』 1953年11月2週号

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