椿晃一・橘眞理子

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椿晃一・橘眞理子

椿 晃一つばき こういち

・本 名 ??
・生没年 ??~1956年?
・出身地 ??

橘 眞理子たちばな まりこ

・本 名 ??
・生没年 ??~??
・出身地 ??

 来 歴

 素性がほとんどわからないコンビである。幸い(?)にして写真が一枚残っているので、それを載せる為だけの頁のようなものである。

 古老の芸人を尋ねてみたが、皆、「知らない」との返答であった。そのくせ、雑誌の速記などにこのコンビが出ているのだから、謎は深まるばかりである。当時、漫才の速記が雑誌に掲載されるということはそれなりの人気を集めていた証拠だからである。 

 活動は戦前から確認する事が出来る。大体1938年頃から、ちょくちょくと番組の中に現れるようになる。

 波多野栄一氏の『寄席と色物』だとなぜか「椿健一・真理子」になっている。その中には、

確かハーモニカを吹いたが若くして亡くした

 とあり、また研究会当日の写真でも、

椿晃一・橘真理子 ハモニカも三味の『六段くずし』などでご機嫌

『サン写真新聞』より

 というコメントと共にハーモニカを吹いている写真が載っている。ハーモニカが売り物だったのは間違いないようだ。

 さらに漫才研究会が発足した直後に行われた日本テレビの取材と、ニッポン放送で行われた幹事の座談会に出席している。

 その後、「東京漫才倶楽部帳」の中を見ると、1956年12月、「会員に紹介する人々」として、「椿マリ子・広太郎」というコンビが記載されている。となると、この前後に椿晃一が亡くなったか、引退したのではないだろうか。広太郎という人がどんな人物だったのかもわからない。因みにこの時、宮城けんじが音羽アキラとコンビを組んでやっているのが確認できる。

 その後の消息は不明である。何かきっかけや繋がりがあれば、そこから広げる事もできるだろうが、いかんせん何一つ消息が分からないので、手のつけようがない。

 ハーモニカという立派な芸を持ちながらも、都上英二らの華やかな舞台に負けてしまった嫌いがあるのではないだろうか。そう考えてみると華のない、パンチに欠ける芸人だったのではないかと思えてならない。

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