松島家圓太郎・色香

漫才師 マの部
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松島家圓太郎・色香

 

圓太郎・色香

 

 人 物

 松島家まつしまや 圓太郎えんたろう

 ・本 名 島津 秀男
 ・生没年 1900年代?~??
 ・出身地 ??

 松島家まつしまや 色香いろか

 ・本 名 島津 スウ
 ・生没年 ??~戦後?
 ・出身地 ??

 

 来 歴

 古株の夫婦漫才師。創世記を中心に、終戦前後まで10数年近く東京漫才の一線で活躍していたが、謎が多く、その経歴は謎に包まれている。色香はいろ香と書く場合もある。

 圓太郎がバイオリン、色香が三味線を受け持ち、これを合奏しながら、流行歌や俗曲などを歌う――合奏漫才として人気があったらしく、『キング』(1937年5月号)の中にも、

どうぞ、三味線と、ヴァイオリンを二人で半分づつチヤンポンで仲よく弾き乍ら始めませう――

 と、いう掛合と写真が紹介されており、その中に掲載されている写真を見るとヴァイオリンを弾いている様子が伺える。

 両人の経歴はよくわからないが、どうも松島家連という芸能グループにいたようで、『都新聞』(1931年11月20日号)に、

▲初音館 廿一日より

日本チャップリン、猫遊、楽三郎、和助、出羽三、筑峰、一夫、大公坊主、大正坊主、久良坊、いろは、茶福呂、華子、鷹之丞、かぶら、大和家、松島家連舞踊数番

 とあるほか、『都新聞』(1927年1月18日号)の中に、「▲江川大盛館 女歌道楽松島家小玉加入」とあり、『Hawai Hōchi』(1937年9月21日号)の中に「松島家梅子姉妹の舞踊漫才」といくつか見つけることができる。この関係者とみるべきだろうか。こういう連から漫才に転向しても何もおかしい話ではない。

 また、『都新聞』(1932年4月25日号)に、

▲三友館 一日より

大阪女優松島家玉子、尾上多賀女、松島家玉枝、玉奴、玉次、光枝、弘子、つな子、小文に六年振りで上京の萬歳吾妻家美佐男、政之助外に安来節大和家八千代一行出演

 とあるのが気になる。色香は女優だったのだろうか。

 このころから徐々に名前が出てくるようになり、浅草の劇場を中心に活躍。1935年頃に日本芸術協会に所属し、寄席にも出ている様子が当時の『都新聞』などから伺える。

 1939年頃には、籠寅興行と契約を結び、京阪の所劇場にも出演するようになった。『近代歌舞伎年表京都篇』『近代歌舞伎年表大阪篇』を見ても、

四月十七日〜(二十六)日 南座

籠寅演芸部 時局まんざい大会 

【出 演】関東側 轟スゝム・サノアケミ 永田繁子・女一休 吉原家〆吉・〆坊 唄の家成太郎・なり駒 端唄とん子・美代司 ピツコロシヨウ 永田一休・和尚 菊川時之助・大津検花奴 春風小柳・桂木東声 カクテルシヨウ(カクテルジン ウイスキー ベルモットマンハッタン ウオツカ キユウラソ)

 

1939年10月1日 浪花座 

籠寅のまんざい秋季大会 

ススム・アケミ 尚子・代志子 里子・文弥 色香・圓太郎 華枝・茶福呂

駒坊・成駒 種二・ちどり 捨丸・春代 端唄とん子・美代司 小夜子・直之助 

ナンジャラホワーズ アクロバツチツクバー

『近代歌舞伎年表大阪篇』

 また、東宝名人会の昼の部、笑和会にも出演をつづけたようで、記録を見ても、

1941年5月 上席

音曲漫才 春の家金糸・銀糸

ユーモラス漫才 林勝巳・小山慶太郎

小奇術 松旭斎天菊一行

音曲漫才 松島家色香・円太郎

支那見物記 勝昌介・丘みどり

曲技アクロバット 李金来・愛子

珍浪曲模写 荒川千枝子・芳夫

私の見た世界 牧タンゴ・山路はるみ

歌謡問答 大谷ノボル・羽衣小夜子

民謡滑稽 東奈歌三・榎本笑楽

 

1941年8月下席

つた子・龍二

唄と踊り 山村社中

ジャズ漫才 米子・主水

セメンダル・金之助

姑娘と兵隊 アジア楽劇隊

立体漫才 喜代志・源六

珍藝 七五三・都枝

音曲漫才 いろ香・圓太郎

漫劇 波多野栄一一党

 

1943年5月下席

清子

寿三郎・小円

小勝・文雄

八千代・芳勝

日出奴・貞丸

色香・圓太郎

歌蔵

楽三郎・直太郎

ナナ・ミチロー

 と出演を続けている。3回はまずまずといったところ。

 戦時中の大日本漫才協会には理事として招聘され、「理事第三区部長」に就任している。その後も浅草を中心に活躍していたが戦況の悪化に伴い、埼玉の草加へ疎開。

 敗戦後しばらく同地に住んでいたと見えて、1946年5月に発行された『演劇タイムス』(第八号)の中に、

漫才連中も据勝(註・砂川捨勝)が葛飾郡鎌倉町に源一(註・玉子家源一)が埼玉県桶川町に小芳(註・荒川小芳)が亀有町に圓太郎は草加町へと東京を離れた土地の方が食糧事情が好いのかお座敷稼ぎのみに力を注いでゐるが、近来津田沼谷津芳町にキングコングの巣があるとの噂、いくらアメリカさんが進駐してもキングコングの進駐はあるまいと見に行くと林家染団次が納まつてゐたのは大笑ひ。

 と、いう記載がある。ここにある圓太郎が松島家圓太郎とみるべきだろう。

 戦後しばらく活動していた模様であるが、1955年の漫才研究会結成やその前後の漫才大会などには一切関与しなかった所を見ると、廃業した模様か。

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