大空ネット・ワーク

大空ネット・ワーク(左)
人 物
大空 ネット
・本 名 竹之内 幸二
・生没年 1950年7月6日~ご健在?
・出身地 鹿児島県 鹿児島市
大空 ワーク
・本 名 中塚 英憲
・生没年 1953年4月27日~ご健在?
・出身地 北海道 深川市
来 歴
大空ネット・ワークは昭和に活躍した漫才師。最新鋭のネットワークという言葉を芸名にした漫才師である。ただし、売り出す前に別れてしまった。両人とも大空ヒットの弟子にあたる。
大空ネットは元々の大空せんり・まんりのせんり。大空ヒットの息子である大空まんりとコンビを組んでいたが、1978年にコンビを解散。浪人していた。
新しい相方の二代目ワークは弟弟子にあたる。
出身は北海道。相方が鹿児島生まれだったこともあり、「北海道生まれ・鹿児島生まれ、両方とも日本の端っこの生まれ」というクスグリもあったという。
高校卒業後、上京。萩本欽一の弟子になるが、1年足らずで彼のもとを去った。そのため、「半身入門」などと自嘲することもあったという。
1973年、大空ヒットに入門。「大空ゆたか」と名乗る。
1976年、先輩の大空みのるとコンビを組み、「大空ゆたか・みのる」としてデビュー。
1978年、初代ワークと別れたばかりの大空ネットとコンビを組み、「大空ワーク」と名乗る。
両者ともに髪にアフロをかけ、おそろいのスーツで高座に上がったという。恰幅のよく小柄なネットと、シュっとしてコワモテで大柄のワークという対比がよくウケた。
大空一門の末弟子として、数少ない大空一門のホープとして大空ヒットからも可愛がられたという。
1979年春には国鉄の仕事を請け負い、『お伊勢参り東海道中膝栗毛』と称してヤジキタに扮してPRに勤しんだという。
1年半ほどの試運転期間を経て、漫才コンクールの出場資格を得る。
1980年2月、第28回漫才コンクールに出場し、「カラオケ時代」を披露。初出場で準優勝を獲得している。
1981年2月、第29回漫才コンクールに出場し、「タダ酒も芸のうち」を披露。
1982年2月、第30回漫才コンクールに出場し、「二ヶ国語放送」を披露。
1983年2月、第31回漫才コンクールに出場し、「僕の趣味」を披露。
1984年2月、第32回漫才コンクールに出場し、「カラオケ大会生放送」を披露。
1985年2月、第33回漫才コンクールに出場し、「幸福ってなあに」を披露。
1986年2月、第34回漫才コンクールに出場し、「ハウソロジー」を披露。7回挑戦したがコンクール優勝をすることはできなかった。最後のパンフレットに詳しい経歴が出ている。
大空ネット・ワーク
〈ネット〉アフロヘア。昭25・7・6、鹿児島生れ。エノケン最後の弟子。
〈ワーク〉ハンサム。昭28・4・27、北海道深川市生れ。萩本欽一に“半身入門”。
漫才の師匠は大空ヒット。コンビ歴8年。 出場7回目で、今や出場者の中では、古参組になったが、「年一回のレギュラー、がんばります」と屈託のない極楽コンビ。ネットはゴルフを始めて三年目、一向に上達せず、ワークや仲間たちから敬遠される。二人とも酒好き。酒量も上り、健康も上々、このハッピーさを漫才に開花させるのだけが課題。
1987年頃、コンビを解消。
ネットは名前を返上し、「大空とん太」と改名。阿部伝という人と大空とん太・はね太を結成し、新人として再スタートを切った。
しかし、その活躍は長く続かず、1990年に「大空とん太・はね太」を解散。同年、漫才協団も脱退し、消息不明となる。一般職に就いた模様か。
その後はしばらくピンでやっていたが、1993年に「大空ネット・ワーク」を再結成。ただ、この相方のワークは漫才協団非加入であった。
そのため、フリーの仕事ではコンビで出るが、漫才協団の仕事ではピンで出たという。
当時の漫才コンクールのパンフレットを見ると面白い事が書かれている。漫才大会1993年パンフレットに――
コンビは組んでいるが相棒のワークは協団員外である。個人でも司会もやるが、ヤッパ!漫才が大好きである。お酒も大好き。
しかし、その後は余りパッとせず、幽霊会員となった。
2007年、漫才協団を離脱。それ以降の消息は判然としない。

