小桜金之助・桃の家セメンダル

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小桜金之助・桃の家セメンダル

 左・桃の家セメンダル、右・小桜金之助

 人物

小桜 金之助こざくら きんのすけ

 ・本 名 
 ・生没年 ?~戦後?
 ・出身地 

桃の家もも や セメンダル

  ・

 ・本 名 
 ・生没年 ?~戦後?(昭和十三年時点で中年を迎えていた)
 ・出身地 北国(どこ?)

 

 来歴


古参ではあるが、謎の多いコンビ。花輔・デブよりかは一応記録が残っているが、それでも圧倒的資料不足である。なので分かる範囲でしか綴れない。

 前歴は全く分からない。唯一の手掛かりが「主婦の友」(昭和13年12月号)にて行われた「大女と小男のユーモア合戦」と称された座談会でセメンダルが以下のように発言しているくらいか。

 桃の家 私の藝名もお客様がつけたんですよ。これでも娘時代は九貫八百、生れは雪國ですから色が白くて肺病やみと言はれて、二十二まで縁談がまとまらなかったんです。
 桃の家 私も縁づいてから(筆者註・小桜金之助か)、どん/\肥えて来ました。さうすると幟なんか「セメンダル」になってきた。誰の幟かと訊いてみると、お前のだといふんです。太つてコロコロしてゐるからつけたんでせう。
「大女と小男のユーモア合戦」182~187頁
 

 古参である証拠としては、昭和2年に於ける都新聞の記載と大衆芸能資料集成の中の松鶴家千代若の発言(使いまわしであるが、これくらいしか資料がない)があげられる。

▲江川大盛館 三日より深田繁子米子検若吉(註・安来節)、万歳小櫻金之助加入

(「都新聞」昭和2年5月3日 9頁)

 千代若 そう、昭和三、四年ですね。その時はまだ五、六組しかいませんでしたよ。立花家デブ・花助、小桜金之助・セメンダル、荒川末丸、東喜代駒、林家染団治、荒川清丸位でした。

(「大衆芸能資料集成 7巻」 343頁) 

  このうちの半数が殆ど正体不明だというのは皮肉なような気がするが、漫才という芸はやたらめったら結成と解散を繰り返し、問題が起こるとすぐ足を洗って消息不明になる傾向にあるのでこれが風潮だと言われれば、「仕方がない」というより他はない。

 昭和10年3月21日から、松竹座で行われた『第二回松竹座漫才大会』(『読売新聞』昭和10年8月21日号 夕刊3頁)に、19組近いコンビの一員として、出演しており、漫才と「せんきょ音頭」なるものを披露している。

 昭和16年6月に浅草松屋ホールで行われた帝都漫才協会の幹部会で小桜金之助の姿を確認することができる。(身近な資料では「東京漫才のすべて」の解説書12頁)

 この時点で幹部であったことを踏まえると、昭和10年に発足した帝都漫才組合時代から参加していたと考えられる。

 その一方で、昭和18年度の役員名簿を見ると、すでにその名前はない。役員を辞したという可能性が高いと推測されるが、もうこの時点では辞めていた可能性も否定できない。

  現時点で分かるのはこれくらいであり、その後の消息や目立った行動は確認できていない。終戦とともにぷっつりと消息が途絶えている。手元にある故人名簿にも記されていない。
  
 青空うれしによると、京成高砂の極楽寺(今は廃寺)の「芸能塚」の中に、セメンダルの遺骨があったそうである。だが、極楽寺が廃寺となると同時に遺骨も散逸したので全く行方がつかめないのが現状である。手の尽くしようもなく、「不明」としか言いようがない。

なお、関西にも宮川セメンダルという漫才師がいたが、これは同名の他人であるものだと思われる。ちなみに「セメンダル」とはセメント樽の略であると同時に、現在の「大根脚」や「ベイマックス」、「マシュマロ」といった恰幅のいい人間へ向けた皮肉交じりの言葉だと推測する。
 

芸風

 

 このコンビの不思議な所は、正体がほとんど明らかになっていないにもかかわらず、その芸だけは何故か書き残されているという点である。そのおかげか、舞台の様子を一応想像することができる。

波多野栄一「寄席と色物」(昭和53年)の中に、

小桜金之助・セメンダル 雪駄直しのまねを見せるのが売物実に巧く天下一品

 と、いう一節があり、また後輩の大空ヒットも自叙伝「漫才七転び八起き」の中で、
 小桜金ノ助という人の、畳屋の仕方芸。座ったまま、針を出して糸を通して、それらは針や糸を持っているのではない。あるという感じ、それがものの見事に生きているのだ。
そして畳をぬっていく有様、畳が仕上がって行くのが見えるような、畳があるように見えるから妙。これも至芸だ。
(大空ヒット「漫才七転び八起き」147~148頁)
  と、こちらは畳屋であるが、やはり同じように、職人の真似がうまかったというような証言を寄せている。
 
 また、上記の写真を見て頂ければ分かると思うが、セメンダルは恰幅のいい大女、小桜金之助は痩せ型の男性だったので、多分体型や体格差などもネタにしていたのではないか。
 
参考文献

参考文献とはいうものの、上記の引用文及びその原本程度の資料しか残されていない。都新聞、東京新聞など、当時、娯楽色の強かった新聞に何か記されているかもしれないので、引き続き調査を行う。

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