小桜金之助・桃の家セメンダル

小桜金之助・桃の家セメンダル

左・桃の家セメンダル、右・小桜金之助

 人 物

 小桜 金之助こざくら きんのすけ 
 ・本 名 塩見 金助
 ・生没年 ?~1954年以降
 ・出身地 

 桃の家もも や セメンダル 
 ・本 名 塩見 タカ
 ・生没年 ?~1954年以降(1938年時点で中年を迎えていた)
 ・出身地 北国(どこ?)

 来 歴

 古参ではあるが、謎の多いコンビ。花輔・デブよりかは一応記録が残っているが、それでも圧倒的資料不足である。なので分かる範囲でしか綴れない。

 金之助の前歴は謎が多い。然し、古いのは確かで、大正末期には東京へ来ている。『都新聞』(1925年2月18日号)の広告に、

▲三幸劇場 十八日より桃の家隆子、小櫻金之助加入

 とあるのが初出だろうか。以降、東京に移住したとみえて、『都新聞』(1927年10月22日号・27日号)に、

▲第二館 萬歳小櫻金之助セメンダル、日の丸、源六、源一、花の家娘連加入

▲万歳小櫻金之助一座 廿六日より五日間深川衆楽座

 という記載がある。この時点で一座を持っていたというだけでも、売れていたのであろう。この後、セメンダルと出会い、結婚した模様か。

 セメンダルの前歴は全く分からない。セメンダルは安来節の出身だろうか。

『主婦の友』(1938年12月号)にて行われた「大女と小男のユーモア合戦」と称された座談会でセメンダルが以下のように発言している。

桃の家 私の藝名もお客様がつけたんですよ。これでも娘時代は九貫八百、生れは雪國ですから色が白くて肺病やみと言はれて、二十二まで縁談がまとまらなかったんです。桃の家 私も縁づいてから(筆者註・小桜金之助か)、どん/\肥えて来ました。さうすると幟なんか「セメンダル」になってきた。誰の幟かと訊いてみると、お前のだといふんです。太つてコロコロしてゐるからつけたんでせう。 

 古参である証拠としては、昭和2年に於ける都新聞(「都新聞」1927年5月3日)の記載と大衆芸能資料集成の中の松鶴家千代若の発言があげられる。

江川大盛館 三日より深田繁子米子検若吉(註・安来節)、万歳小櫻金之助加入

 千代若 そう、昭和三、四年ですね。その時はまだ五、六組しかいませんでしたよ。立花家デブ・花助、小桜金之助・セメンダル、荒川末丸、東喜代駒、林家染団治、荒川清丸位でした。

  このうちの半数が殆ど正体不明だというのは皮肉なような気がするが、漫才という芸はやたらめったら結成と解散を繰り返し、問題が起こるとすぐ足を洗って消息不明になる傾向にあるのでこれが風潮だと言われれば、「仕方がない」というより他はない。  

 1935年3月21日から、松竹座で行われた『第二回松竹座漫才大会』(『読売新聞』昭和10年8月21日号 夕刊3頁)に、19組近いコンビの一員として、出演しており、漫才と「せんきょ音頭」なるものを披露している。  

 1941年6月に浅草松屋ホールで行われた帝都漫才協会の幹部会で小桜金之助の姿を確認することができる。(身近な資料では「東京漫才のすべて」の解説書12頁)  

 この時点で幹部であったことを踏まえると、昭和10年に発足した帝都漫才組合時代から参加していたと考えられる。  

 その一方で、昭和18年度の役員名簿を見ると、幹部こそ退いたものの、評議員に選出されている。ここから本名を割り出した。  戦後は一線こそ退いたものの、健在だったらしく、松浦善三郎『関東漫才切捨御免』(『アサヒ芸能新聞』1954年5月4週号)に、

小桜セメンダル・錦之助

昔はこの種の芸名が注目を引く意味で流行したもの。大正時代の遺物の感無きにしも非ずであるが、今日としては何か漫才のノスタルジャがあって、その意で採りあげた。女ながらセメンダルのように肥っているから異名が横滑りして芸名になったそうだ。錦之助の「草履直し」がかつて一興ありしネタであったが、これも時代の変化に伴ってとかく忘れられ勝。

 と、紹介されている。  

 青空うれしによると、京成高砂の極楽寺(今は廃寺)の「芸能塚」の中に、セメンダルの遺骨があったそうである。

 だが、極楽寺が廃寺となると同時に遺骨も散逸したので全く行方がつかめないのが現状である。手の尽くしようもなく、「不明」としか言いようがない。

 なお、関西にも宮川セメンダルという漫才師がいたが、これは同名の他人であるものだと思われる。ちなみに「セメンダル」とはセメント樽の略であると同時に、現在の「大根脚」や「ベイマックス」、「マシュマロ」といった恰幅のいい人間へ向けた皮肉交じりの言葉だと推測する。    

  芸  風

 このコンビの不思議な所は、正体がほとんど明らかになっていないにもかかわらず、その芸だけは何故か書き残されているという点である。そのおかげか、舞台の様子を一応想像することができる。

 波多野栄一「寄席と色物」(昭和53年)の中に、

小桜金之助・セメンダル 雪駄直しのまねを見せるのが売物実に巧く天下一品

 と、いう一節があり、また後輩の大空ヒットも自叙伝「漫才七転び八起き」の中で、  

小桜金ノ助という人の、畳屋の仕方芸。座ったまま、針を出して糸を通して、それらは針や糸を持っているのではない。あるという感じ、それがものの見事に生きているのだ。
そして畳をぬっていく有様、畳が仕上がって行くのが見えるような、畳があるように見えるから妙。これも至芸だ。

 と、こちらは畳屋であるが、やはり同じように、職人の真似がうまかったというような証言を寄せている。    

 また、上記の写真を見て頂ければ分かると思うが、セメンダルは恰幅のいい大女、小桜金之助は痩せ型の男性だったので、多分体型や体格差などもネタにしていたのではないか。  

コメント

無断コピー・無断転載はおやめください。資料使用や転載する場合はご一報ください。

タイトルとURLをコピーしました