大空あきら・たかし

大空あきら・たかし(左)
人 物
大空 あきら
・本 名 小暮 登志雄
・生没年 1946年3月25日~??
・出身地 東京都 板橋区
大空 たかし
・本 名 法量 忠三
・生没年 1949年9月24日~??
・出身地 青森県 上北郡
来 歴
大空あきら・たかしは1970年代から平成初頭まで活躍した漫才師。コワモテで小柄なあきら、大柄で太っちょのたかしという凸凹コンビを売りにした。江戸っ子のようにタンカを切るあきら、南部弁まじりのたかしという対比も売りであった。大空一門の新星として評価されたが、長くは続かなかった。
大空あきらの詳しい前歴は判然としないが、高校を卒業して間もなく大空ヒットに入門した模様か。
1964年、大空ヒットに入門。2年の付き人期間を経て独立。
1966年、内田登の大空かなたとコンビを組み、「大空はるか・かなた」の大空はるかとなる。はるか・かなたコンビで司会漫才や地方局のバラエティなどに出演。
はるか・かなた時代に結婚をしているが、妻にトラブルを起こさされ、離婚。1人息子を引き取って男手一つで育てた――という苦労談が残る。
1974年2月13日、はるか・かなたコンビで、第22回NHK漫才コンクールに出場し、「節約時代」を披露。当時のパンフレットに――
①……漫才は、ボケとツッコミの役柄が、はっきりしてないと、本当はいけませんネ。
(ツッコミの方から)「バカ!お前が俺よりムズかしいこと言うな‼」……と、アドリブがとびこんで、そのためにお客様方が笑うようでは、本当はいけません‼
大空はるか・かなたさん比較的ボケとツッコミのハッキリしてるコンビです。熱演中にボケが、インテリくさい事を言っちゃうかな!…いや大丈夫でしょう。若手とは言っても、長いレギュラー番組を地方都市で続けてるキャリアがありますからネ。
しかし、このコンクールを最後にコンビを解消した。
1974年末、弟弟子の大空たかしとコンビを組んで、「大空あきら・たかし」を結成。
たかしは青森県の出身。「法量」という珍しい苗字の持ち主。青森十和田周辺に現存する名前の一つである。
地元の学校を出て上京し、仕事についていたようであるが、芸能界に憧れて、21歳の時に大空ヒットへ入門。
翌年、清水小政(実木ひろし)率いる「コント笑企業」に参加。この頃の仲間が東とんぼ・水野三吉の三吉であったという。
劇場やキャバレーを回っていたが、23歳で脱退。後に大空一門に加入する。そして、兄弟子のあきらとコンビを組んだ。
1975年3月、第23回漫才コンクールに出場し、「通信簿」を披露。準優勝を獲得している。
大柄なたかしが巨体をふるいながら訛り交じりでボケまくり、あきらが威勢のいい喋りで強くツッコむという王道なしゃべくり漫才を得意とした。大空一門の出世株として注目を集めた。
岩手放送やローカル番組でレギュラーを獲得した他、司会漫才としても活躍を続けていたが、コンクールの方はなかなかうまくいかなかったという。
1976年3月、第24回漫才コンクールに出場し、「カントリ・ソング」を披露。
1977年3月、第25回漫才コンクールにで「あゝ結婚」を披露。
1978年3月、第26回漫才コンクールに出場し、「別れは悲しい」を披露。
1979年3月、第27回漫才コンクールに出場し、「ここに現代がある」を披露。
1980年2月、第28回漫才コンクールに出場し、「ジュークボックス」を披露。
『週刊平凡』(1981年1月1、8日号)の『漫才大図鑑』の中でその芸風が紹介されている。
二枚目の都会派あきらがツッコミで、太った田舎派たかしがほどよくボケる。
「彼なんか田舎育ちでね。青森県の字なんとか字そのまた字ってくらい」、「いいじゃんか、オレ田舎モンだもの」、「でもすごいですよ、家なんか大きいですよ」、「湖だって持ってんもん」、「あれ、十和田湖だよ」、「いいじゃんか、庭だって飛行機で見て回ってんだから」、「ホントかよ?じゃ、なんで漫才やってんだ」、「趣味だべさ」――。
いわばふたりのチグハグな言葉のキャッチボールが身上。また、たかしのほうは民謡がお得意で、あきらが体の一部分、たとえば頭を押すと『北海盆唄』がパッとうたわれる。頭が北海道なら胸をさわれば、これが『秩父音頭』といったぐあい。
それぞれの持ち味を加味しての正統漫才で、当面の課題はそれにナウいギャグを加えていくこと。そろそろ浮上が期待されるホープの1組なのだ。
1981年2月、第29回漫才コンクールに出場し、「うさぎ獲り作戦」で準優勝。
1982年2月、第30回漫才コンクールに出場し、「信じる糸」で悲願の優勝。前コンビを含めて9回出場はトップスリーに入る記録である。当時のパンフレットによると――
●大空たかし(青森)S24・9・24生
あきら(東京)S24・3・25生
師匠 大空ヒット
2人「コンビ歴は六年。矢張り、モモ・クリ3年柿8年…新しけりゃ、いいと言うもンジャございません」
あきら「漫才は、喋べりが命ですよ。ボクは正統派ですネ…ダカラ…努力ですネ」
たかし「ボクは、野球が命ですネ…。コント風の動きのあるのが命ですネ。…でも、命はお金でツナガってますからネ。そのお金は。」
あきら「正統派の漫才をミッチリやれば立派に生きられるんです」
たかし「ダカラ…正統派漫才が、ボクの命ですネ」
その後も堅実な活躍を続けたが、東京漫才不況とも重なり、折角の実力を有しながらも飛躍できなかった。
国立演芸場の花形演芸会や地方の仕事などで活動を続けていたが、1990年に事実上のコンビ解消。
2012年頃、大空かんだ氏を訪ねた際にはすでに「両人とも廃業して、今は一般職に就いている」と伺った。

