とんぼと三吉(東とんぼ・水野三吉)

とんぼと三吉(東とんぼ・水野三吉)

とんぼと三吉(右・とんぼ、左・三吉)

 人 物

 あずま とんぼ
 ・本 名 田崎 勝
 ・生没年 1942年8月11日~2002年11月29日
 ・出身地 大阪 東住吉区

 水野みずの 三吉さんきち
 ・本 名 水野?
 ・生没年 1940年代~ご健在?
 ・出身地 九州

 来 歴

  とんぼと三吉(東とんぼ・水野三吉)は戦後活躍した漫才師・コント芸人。とんぼはWけんじの東けんじの弟子で、かつては田口れんじと「Wコミック」で売れた芸人。水野三吉は「ザ・ハプニング」「笑企業」などのコント集団を経て、漫才になったという変わり種。

 東とんぼはWけんじの東けんじの弟子。経歴は『東京かわら版寄席演芸年鑑2000年』などに詳しい。

 東住吉区の出身で、此花商業高校出身。卒業後、児童演劇劇団の座員として働いていたが「演劇より漫才師になった方がいい」と勧められ、Wけんじの東けんじに入門(1968年入門とあるが、それ以前からやっていたとはいう)「東とんぼ」と名付けられる。

 師匠に何処となく似た風貌が売りで、兎に角身軽な芸が高く評価された。主にストリップやキャバレーの幕間コントで腕を磨いたという。

 1970年に田口れんじとコンビを結成し、「Wコミック」を結成。修行時代に鍛えたコントや身軽な所作を生かした芸を展開し、一躍人気コンビとして売り出した。

 鉄道唱歌のメロディーに乗せて「1、2の3の4の2の5」のフレーズで両手の指で数えるギャグや、徹底的にどつかれる「兵隊漫才」などが売りで、テレビなどにも出るようになったという。 

 これで売り出したものの、田口れんじが借金や不義理を重ねて所属事務所と対立、最終的にコンビはなし崩し的に解散してしまった。

 また、当人も体調不良で一時期入院通院し、思うような活動が出来なかったともいう。

 一方、水野三吉は秘密の多い人である。面識のあった青空うれし氏もはたけんじ氏も「経歴は知らない」「本当に何も自分を語らない」との事であった。

 実際、『東京かわら版』などのプロフィールを見ても、とんぼはしっかり書かれているのに、三吉は一切書かれていない。

 関係者によると「とんぼちゃんとは対等な感じで話していたから同年代では」との由。

 長らく九州に居たが、1960年代に「ザ・ハプニング」のリーダーだった文部おさむに入門し、コント芸人となる。

 1970年10月、師匠が「ザ・ハプニング」の再編を行った際にメンバーとなり、師匠の相方となった。松竹演芸場のパンフレット『お笑いチャンネル』(1972年3月上席)の中に――

最近舞台に意欲をもやして居る一組が出る「ザ・ハプニング」現在は番頭シリーズをつゞけて居る彼は北の果、北海道から「エノケン」に憧れて上京した美少年? 「文部おさむ」新宿ムーランの作者小崎政房に戦後ひろわれて、松竹公園劇場浅草ロック座又は地方廻りなどを経て民放開局と同時にTV界に入り日劇・コマ劇場に出演昭和四十五年十月当時ロック座に出演中の水野三吉(当時は弟子として)を呼んで現在のコント「ザ・ハプニング」を結成当劇場になじみになった、コンビ水野三吉がどれだけ文部おさむにおいつくか。

 という一節がある。

 師匠について演芸場や余興に出演し、腕を磨いていたが、「ザ・ハプニング」は解消。「コント笑企業」に移籍をして、引き続きコント芸人として舞台に上がる。笑企業時代は太田プロに所属をしていた。

 1979年に東とんぼとコンビを結成し、「とんぼと三吉」を結成。浅草松竹演芸場を皮切りに浅草の演芸会や落語会の色物として出演するようになる。

 漫才とコントの二刀流だった関係から、漫才協団には関与せず、東京ボーイズ協会に長らく所属をしていた。

 とにかく芸達者なのは仲間も認める所で、真に迫った演技や見事な掛合で爆笑をもたらした。東けんじゆずりのロイド眼鏡をかけたとんぼがボケ、大顔で彫りの深い三吉がツッコミと、出て来るだけで笑いの取れる得なコンビであった。

 青空うれし氏なども「兵隊コントなんか実にうまかった。根が役者だから長官と二等兵なんかも照れずに演じられるし、どつくどつかれるというそれが明瞭でよかった」と激賞していた。

 実力があった反面、メディアや香盤に恵まれないという一面もあった。そのため、観客よりも仲間内での評価の高い玄人向きの芸――といった評価が付きまとう事となった。

 平成に入ったのちも第一線で活躍し、21世紀と世紀が変わった後も大御所として活動をしていたものの、東とんぼは病に苦しむようになり、思うような舞台ができなくなってしまった。

 病や諸事情により、東とんぼは最終的に自死の道を選んでしまった。この悲劇は今も関係者に伝わっており「とんぼちゃんは可哀想だった」と色々な人から伺っている。

 残された三吉はすっぱりと芸能界から足を洗い、マンション(アパート?)の管理人か何かをして第二の人生に向かった――とはたけんじ氏より伺った。

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