大瀬しのぶ『わだス大瀬しのぶでござんス タレント・漫才、泣き笑い人生 大瀬しのぶ自伝』(演芸書籍類従)

大瀬しのぶ『わだス大瀬しのぶでござんス タレント・漫才、泣き笑い人生 大瀬しのぶ自伝』

トリョーコム 1985年

 東北の大スターを自称した漫才師・大瀬しのぶの自伝です。兎に角昭和の漫才師は自伝を書かない中で、これだけの自伝を書き上げた事は特筆すべきでしょう。

 青森の片田舎に生まれた彼は、自然の中でのびのびと育ち、空襲や飢えといった都会出身の芸人にありがちな悲壮な戦争経験があまりありません。子供のころの記憶ははなはだ牧歌的で、「本当に1930年生れなのか」とあきれてしまう程です。

 戦後直後、奉公に出されたしのぶ少年ですが、悪ガキっぷりを発揮して就職してはクビという無法っぷりを見せます。そのクビのなり方、解雇の原因が与太郎顔負けのノンキさ、バカバカしさをもっていて思わず笑ってしまいます。

 その後、役者を目指して巡業一座に飛び込んでみたり、親戚のいる岐阜へ引っ越してセールスマンになってみたり、セールスマンを解雇されてにわか作りの興行師になったり――とこれまた放浪生活を送ります。

 特ににわか作りの興行師となって、舞鶴にプロレス興行を呼ぶという一世一代の大博打の下りは本当に面白いです。

 信用も金もない(しかも無銭飲食ギリギリの事をしていた)しのぶが口先だけで東京のプロレス団体を信頼させ、舞鶴市民も信頼させ、最終的にプロレス団体を呼んでしまって「素晴らしい興行師さまだ」と舞鶴市民から褒められる――というのはなんだか「日本昔ばなし」を見ているようなものです。

 その後、彼は芸人を目指して東京へ上り、司会者、俳優の下回り、宝大判・小判として兵隊漫才――そして、「大瀬しのぶ・こいじ」を結成するに至るまでが描かれます。

 コンビ結成後の苦難や木馬館で泣かされた話など、「浅草は芸の街」という一端を見せられます。落語家やビートたけしなどがよく言う「客が厳しくって変なネタをやるとヤジが飛んだ」などが嘘ではない事の証となりましょう。

 一方、浅草の街にあった人情や客のやさしさなども朴訥に記されていて、これが不思議な説得力を持たせます。

 その中で「方言漫才」を開拓し、徐々に飛躍するまでが描かれていきます。

 最終的には「しのぶ・こいじ」コンビで漫才コンクールを優勝して、人気コンビになる――というところで自伝は終るのですが、付録としてこいじの略歴と、1985年2月、盛岡署で講演した「人に負け、世間に負け、おのれに勝て」の速記が出ています。

 この二つは決して長くないのですが、大瀬こいじの人となりとしのぶの話術・人生観を知る上で貴重な資料となっています。

 しのぶの朴訥な文体、喋りも相まって、非常に面白く読みやすい作品なのですが、惜しむらくは入手困難な点でしょう。筆者も一冊持っていますが、5000円近くとられました。

 その後、遺族に出会うのですから、遺族にねだっておくべきだったかもしれませんが、遺族に出会う前から調べてはいたので、結果としてどうなったのか、そこはどうしようもない事でしょう。

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