石田信夫『安来節』(演芸書籍類従)

石田信夫『安来節』

中国新聞社・1982年

 中国新聞の記者だった石田信夫氏が取材生活の傍らで「中国地方を代表する民謡・安来節を研究する人はいるが、大衆芸能的な側面ではどういう広がり方をしてきたのか」という疑問と地元愛から完成させた一書です。

 安来節が島根県を中心とする一大民謡である事は、今更言うまでもありませんが、安来節の研究の多くは「どういう民謡として成立して来たか」「民謡的な旋律はどうか」という民俗学、音楽としての側面ばかりで、「大衆芸能としての安来節」という形では迫られませんでした。

 安来市を中心に残る安来節一座を足掛かりに、「演芸・公演で活動しているあなた方は誰から安来節を習いましたか」「どういう安来節を演じて来ましたか」と論を展開させていきます。その興味対象と取材は地元だけにとどまらず、大阪・東京へと伝播していきます。

 それこそ安来節中興の祖と謳われる渡辺お糸の売り出し、そして上京から安来節のレコードの話、東京公演のデータ集計――と様々な視点から、「なぜ安来節は受け入れられたか」という問題に迫ろうとしています。

 この取材の足の広さがこの本の最大の特徴といっていいでしょう。島根周辺に残る安来節一座や歌い手を軽く取材して終り――ならその辺の郷土史に終わっていたでしょう。しかし、筆者は郷土史だけにとどまらず、戦前戦後第一線で安来節と関係を持ち続けていた人々に取材を試みているのです。

 特に貴重なのは当時生き残っていた漫才師たちの談話です。喜利彦の研究領域が「漫才」なのでそれに興味向くのは当然でしょうが、この本に語られている回顧録の数々は、「安来節の栄枯盛衰」と同時に、「漫才の進出記録」でもあるわけです。

 当時隠棲しながらも生き残っていた大和家八千代、大津検花奴。安来節一座で稼いでいた事がある長老の松鶴家千代若桂喜代楽。そして色々あって島根に戻っていた大美不二、五条家秀若――と東京漫才関係者をあげるだけでもザっと出てきます。

 石田信夫氏のメモを少し見たことがありますが、その取材の形跡は凄まじいものでした。それこそ「足で稼ぐ」を体現化したようなメモや取材録――その執念は今の研究者でもなかなか見られないものです。

 私個人が石田氏と少しだけ交友がある故、点が甘くなるのかもしれませんが、この本で初めて知った事が相当ありました。中でも1980年頃まで大美不二が生きていた――これだけで私は飛び上った程です。

 その感激ぶりに石田氏へ手紙を送ってしまったほどです。すぐ億劫がる喜利彦がこれだけの衝動に駆られるのは珍しい事です。

 あまり大々的に発行されなかった事もあり、入手しづらいのが難点ですが、漫才及び民謡史を知る上では絶対に欠かせない、実に素晴らしい名著だと太鼓判を押す事ができます。

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