色川武大『寄席放浪記』(演芸書籍類従)

色川武大『寄席放浪記』

広済堂出版・1986年
河出書房新社・2007年

 マージャンに命をかける男女の姿を描いた『麻雀放浪記』や直木賞受賞作『離婚』で知られる阿佐田哲也こと色川武大。

 薄暗く儚い人々の姿や人間の闇や肉欲を描いた作品で人気を博しましたが、そんな彼は「将来寄席の席亭になりたかった」と呼ばれる程の演芸フリークでした。

 戦争や統制、家族や友人との問題を抱えて鬱屈を繰り返していた青春時代、色川青年は学校にも自宅にもろくに行かず、補導員の目を盗みながら映画館と寄席、時には盛り場に出入りする――という流浪の日々を送っていました。

 紳士淑女が出入りする高等な劇場よりも、古ぼけた寄席や浅草の雑踏とした色物席、映画館を愛好した色川青年。

 そこに出る名人や人気者はいうまでもなく、芸がなければ生きてこられたかどうか分からぬ奇人変人、一芸に打ち込む老芸人の姿、かつては売れっ子で今や見る影もない芸人の末路――様々な人間悲喜劇は彼の大きな衝撃を与えたと言います。

 映画、麻雀と並んで演芸の存在は、彼の人生には大きな影響を及ぼしたのはいうまでもありません。

 そんな経験を持つ色川が「自分が見聞きしてきた演芸家や喜劇役者、映画俳優たちを」「寄席を見るような気分で」「極上の退屈を味わってほしい」というスタンスで描いたエッセイ集がこの『寄席放浪記』です。

 エッセイの体を取ってはいますが「これは記録しておきたい」と色川本人も思うところがあったと見えて、本人の随筆や回顧録に加え、矢野誠一、立川談志、鈴木桂介などの友人とともに「昔の演芸は、喜劇はこうだった」という対談を遺しています。

 今となっては、この忖度のない対談が貴重な資料になっています。矢野誠一も立川談志も私淑する先輩だけあってか、自分たちの感情や思い出を、さも戦友が久方ぶりに再会したような心持ちで話し合っています。

 大好きだった桂文楽や古今亭志ん生といった落語の名人の回顧録からはじまり、色川が見始めた頃にはすでに盛りを過ぎていた桂小南や八代目桂文治、相応に腕があったのに売れなかった柳家つばめや三遊亭小円朝、果ては落語よりも奇人変人ぶりで売った橘家圓太郎、柳家小半治にまで話題を広げていきます。

 そして何よりも白眉なのは色物の回顧録をまとめた「色物芸人たちの世界」です。今となっては「よくぞ書き残してくれた!」という代物ぞろいです。

 剣舞と奇行を売りにした源一馬、大正琴の吉岡錦正、尺八の立花家扇遊、三味線西川たつ、果てはシャンバロー大空ヒット都上英二の曲弾にまで広げていく「楽器の芸人たち」、富士松ぎん蝶と再会する話、和妻を得意とした一徳斎美蝶の芸風を丹念に記した「整理の人」、女漫才から漫談まで取り上げる「女芸人あれこれ」、そして一時は売れっ子でありながらも零落した石田一雄・八重子を記した「ポパイよいずこ」など――珍重すべきエッセイぞろいです。

 無論、色川から見た芸人たちの姿・形や回顧録であり、信憑性という点においては些か怪しい点はあります。記憶違いや誤認も存在します。

 しかし、これだけ緻密に書いたエッセイもまずありません。たかがエッセイ、されどエッセイ――色川武大の記憶力の良さ、演芸への愛が見事に昇華された演芸ファン必読の一書といえるでしょう。

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