玉川一郎『よみうり演芸館 東京漫才篇』(演芸書籍類従)

玉川一郎『よみうり演芸館 東京漫才篇』

『読売新聞夕刊』(1960年2月8日号〜3月2日号)

『よみうり演芸館 東京漫才篇』は『読売新聞 夕刊』(1960年2月8日号〜3月2日号)に掲載されていた玉川一郎の連載です。

 この「よみうり演芸館」は書いて字のごとく、読売新聞の紙上で「演芸に関する」連載を載せたものであります。ここでは東京漫才の例をあげましたが、それ以外にも「上方漫才」(秋田実)、「浪曲」(永田貞雄)、「色物」(林家正楽)、「落語」「奇術」「活動写真」「舞踊」「女剣劇」などあったはずです。

 それこそ2、3年ほどリレー形式でやっていたのではないでしょうか。個人的にすべて採録したのはこれだけなので偉そうに申し上げられませんが、それこそ百を超える連載数になっていた事は確実に言えます。

 全体的なそれは全国の図書館や大学に置いてある読売新聞のデータベース、通称『ヨミダス』で見ることができます。平成以前の紙面検索ができるバージョンでしたら、「よみうり演芸館」と入れるだけでバッと出てくると思います。

 執筆者はユーモア作家で漫才の良き理解者でもあった玉川一郎です。当時、氏は「漫才コンクール」の審査員を筆頭に漫才台本の執筆や漫才研究会の外部理事として東京漫才の裏側を支えていた存在です。

 部外者が書いている点には評価がわかれそうですが、漫才師に描かせると何を書くかわかりませんし、玉川一郎という知性のある人が知性の目で「東京漫才とは何か」を突き詰めようとしています。

 根がユーモア作家だけに文体は甚だ軽妙、読みやすさの点では執筆陣の中でもずば抜けています。芸人たちの逸話や馬鹿話をさらりと書いて嫌らしくならない点は、流石玉川一郎――と感心するほどです。

 特に貴重なのが、当時の漫才コンクールの様子や、まだ現役だった漫才師の動向を伝えている点です。喜代駒、都家かつ江辺りは第一線で活躍していたので何ですが、村松清(元・東喜代志)、東亭花橘などの消息を伝えているのはこれ位なものです。

 また、当時第一線で活躍していた漫才師の逸話や経歴が詳しく記されており、これも貴重です。さらに紙面には写真も掲載されており、荒々しい画質ながらも芸人たちの風貌を拝むことができます。

 以下はその執筆リストと大体のあらすじです。

2月8日号 ”ばかげた商売じゃ”部隊長ドノは嘆く(都家香津代・福丸の逸話)
2月9日号 ラジオの草わけ かつ江の色もの(喜代駒、かつ江、東亭花橘などの話)
2月10日号 兵隊劇から誕生 千太・万吉コンビ(千太万吉誕生秘話)
2月11日号 ”二人こみ”で金15円 当時の吹き込み料(千太万吉、ヤジローキタハチの話)
2月12日号 関東勢に欠ける”体あたり”精神(ヤジローキタハチ、源一音之助、大朝家五二郎の話)
2月13日号 二枚目志願から発奮 一流芸人に(突破一路、宮田羊容、一歩道雄、トップライトの逸話)
2月15日号 花嫁置き忘れ 旅に出たぴん助(ぴん助、てんやわんや、鶴夫亀夫の逸話)
2月16日号 インテリコンビ 南道郎・国友昭二(道郎昭二の人気と逸話)
2月17日号 ラジオ放送から三年間締め出し(突破一路の逸話)
2月18日号 テレビコンビ英二と喜美江(テレビラジオ番組の分析と英二・喜美江の話)
2月19日号 若手の登竜門 NHKコンクール(コンクールの順位と逸話)
2月20日号 楽しくてつらい コンクール審査(1959年10月に行われた第6回NHK漫才コンクールの批評)
2月22日号 ヒョンな因縁 コンビの由来(ヒットと英二の出会いと別れ、トップと並木一路のすれ違いの逸話)
2月23日号 二年ほどで閉鎖 南千住の栗友亭(栗友亭盛衰記)
2月25日号 安心感もてるトップ・ライト(トップライトの人気と批評)
2月26日号 人生と一緒にうごく”笑い”(有名人に聞く漫才観)
2月27日号 新形式ねらいつぎつぎ変わり種(野坂昭如・野末陳平の漫才コンビ『早稲田中退・落第』のお話)
2月29日号 変転の多い女女コンビ(栄龍・万龍、色奴・小奴の逸話)
3月1日号 ”もう帰ろうよ”ではじまる虚無派(千代若・千代菊の逸話、晴乃ピーチク・パーチク改名秘話)
3月2日号 それぞれ一城のアルジ 第三者の演出がほしい(完結)

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