ぴんぼけトリオ(西片健・前村昭・漆原伸)

ぴんぼけトリオ(西片健・前村昭・漆原伸)

右から前村・西片・漆原

 人 物

 西片にしかた けん
 ・本 名 西片 健
 ・生没年 1932年1月30日~?
 ・出身地 東京 荒川区

 前村まえむら あきら
 ・本 名 前村 敏明
 ・生没年 1934年3月15日~2013年以前

 ・出身地 鹿児島県 鹿屋市

 漆原うるしばら しん
 ・本 名 漆原 伸
 ・生没年 1932年8月31日~?
 ・出身地 秋田県

 来 歴

 ぴんぼけトリオ(西片健・前村昭・漆原伸)は戦後活躍した歌謡漫談グループ。灘康次とコンビで活動していた西片健が独立し、バンドマンの前村を誘い、「ぴんぼけコンビ」を結成。その後、バンドマンをやっていた漆原を誘い、トリオを結成。賑やかで達者な歌謡漫談で、演芸ブームの売れっ子となった。

 経歴は『歌謡漫談読本』に詳しく出ている。

 まずリーダー格の西片健から。昭和七年一月、東京の下町、荒川に住む菓子屋の次男坊として生まれた。
 終戦後数年して、家業の菓子屋を嫌い、少年のころの希望であった流行歌手となる……といっても所属会社は「大衆音楽普及会」解りやすくいうなれば艶歌師である。
 夜は花柳界を職場とし、昼はビクター学院などに通い、明日の明星たらんと勉強に励んでいたころ、ダイナ・ブラザースの一員であった灘康次の知遇を得て、カンカンコンビを結成、ボーイズ界の仲間入りをする。
 芝居に魅力を感じ、一年足らずでコンビを解消、大竹タモツを師とした「劇団ニュー喜劇」の結成に参加。ところが約半年で退団。心機一転、再びボーイズ界に復帰。 昭和三十六年五月、前村昭と組み、「ぴんぼけブラザース」を結成。 翌三十七年六月、漆原伸を迎え「ぴんぼけトリオ」と改称、現在に至る。
 ぴんぼけ切っての女形漆原伸は昭和七年八月、秋田にて音楽家の長男として生まれる。天才少年の誉れ高く(?)多くの楽器をマスター、地方劇団では名子役として活躍、青年期にはトランペット奏者としてジャズ界に活躍、その後病気のためアルトサックスに転向、昭和三十二年、アキレタ・トリオ結成に参加したが、三十六年脱退、司会業となる。翌年ぴんぼけに加入した。
 魅惑の低音前村昭は、これはズーッと南のはずれ鹿児島県出身。家業の自転車屋を嫌い、十六歳で家出、放浪の旅に出る。関西を振り出しに東京に落着くまで、手足の指を全部折っても間に合わないほどの職種を経験、最後にバンドボーイとなり、ドラム、ギター、ピアノ、歌を習得したが……古人いわく、「器用貧之」。場末のキャバレーでピアノを弾いている所を、西片にスカウトされ、ぴんぼけを創る。

 また、生年月日と出身地は『文化人名録』から割り出した。

 漆原は秋田工業高校の出身だという。西片は旧制中学最後の生徒で、旧制中学卒業――として経歴を記している。なお、一部文献では前村は「1940年生れ」と書いていることがある。トンデモナイ経歴詐称である。

 歌謡漫談家としては西片が一番経歴が古い。1956年、川田晴久から独立した灘康之(後に康次)とコンビを組んだのだから、相当に古い。ただこのコンビは長く続かず、西片は軽演劇、灘は再編成をして「モダンカンカン」を作り上げる。

 音楽界で活躍していた西片と前村がであって、1961年に「ぴんぼけコンビ」を結成。西片がギター、前村がエレキギターであった。

 1962年6月、アルトサックスの漆原を加え、「ぴんぼけトリオ」を結成。主に浅草の演芸場やキャバレーで芸を磨いた。

 1965年には、ボーイズ協会に加入。初期メンバーとして名前を連ねている。

 いささか軽率な所こそあったものの、とにかく賑やかでテレビ・ラジオにも呼ばれるようになった。「金曜テレビ寄席」を筆頭に数多くの演芸番組に出演、ボーイズの売れっ子として人気を集めた。

 特に、西片は巨漢で髭面な所から「ヒゲカバ」の愛称で慕われた。1960年代のトリオブームでは、漫画トリオ、てんぷくトリオ、トリオ・ザ・パンチ、かしまし娘などに並んで、人気トリオとして雑誌や新聞で紹介されている。

 1967年、漆原が脱退。漆原は「あきれたダンディズ」へと引き抜かれた。

 残された西片・前村は他の歌謡漫談のメンバーを引き抜いて「ザ・ぴんぼけ」として再出発した。『週刊平凡』(1967年4月27日号)に――

 お笑いと歌の声帯模写とおとくいの”ぴんぼけトリオ”が”ザ・ぴんぼけ”と改名した。
 これまでサックスを吹いていた漆原伸が抜けたのを機会に、”宮本二郎とスクラップサンズ”で活躍していた山田昌と藤井節のふたりを新たにくわえ、トリオから四人編成のチームにメンバーチェンジしたもの。
 ”ぴんぼけトリオ”としてファンの人気もつかみ、ついさいきん、後援会ができたばかりというときがときだけ、一部には「あれは金銭問題で仲間割れしたんだ」と「いやリーダーのうばい合いが原因らしい」と、まことしやかなデマまでとんでいるが、リーダーの西片健は、
「仲間割れだなんてとんでもない。トリオもだいぶ年をとり、クタビレてきたので、このさい思い切って若返りをはかったんです」
 といい、これからはドリフターズのように、コミックな演技もする、大型チームにするそうだ。

 その後、10年ほど活躍。ただ、メンバーの入れ替えはあったようで、4人になったり5人になったりした。

 さらに前村は「アイドル・フォー」を結成して、ムード歌謡の方面で活躍した。初期メンバーは、藤井節、山田昌、大月純。

 1971年に、人気アニメ『天才バカボン』のテーマを歌唱。「西からのぼったお日様が東に沈む~」というフレーズは今なお知っている人もいるんじゃないだろうか。

 しかし、演芸ブームも衰退し、キャバレー人気も落ちた事から1979年に全てのチームを解消。西片・前村共に「ボードビリアン」に転身した。

 西片は1983年頃までボーイズ協会に在籍していたが、いつの間にか消息が途絶える。

 前村は晩年、弟の経営する芸能事務所で働いていた――と風の噂であるが。

 2013年時点で、前村は歿していた模様。歌手のまつざき幸介のブログ「赤塚不二夫さんと前村明さん」の中に、「今は亡き前村さん」とあり、遺族も「祖父はなくなった」と書いている。

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