三遊亭福円遊(百面相)

三遊亭福円遊(百面相)

素顔(右)と百面相を演じる福円遊

 人 物

 三遊亭さんゆうてい 福円遊ふくえんゆう
 ・本 名 新井 徳次郎
 ・生没年 1858年9月21日~昭和初期
 ・出身地 ??

 来 歴

 三遊亭福円遊は戦前活躍した百面相の芸人である。初代三遊亭円遊門下からスタートし、賑やかな話しぶりに加え、音曲噺、百面相、声色、ステテコなどをこなす器用な芸人であったが、遂に売り損ねたらしく中看板で終ってしまった。

 生年と本名は『芸人名簿』より割り出した。

『古今東西噺家紳士録』に掲載された山本進の解説によると――

明治10年代入門、明治32年真打。
柳派と三遊派を行ったり来たりして改名を重ね、同じ名前を二度名乗ったりしているので、改名年代もなかなか確定しにくい。遊人のときに生人形で売り出し、い圓遊と改名して一応真打の披露をしたらしい。その後再び柳派へ行き、また三遊派に戻って出直すが、結局は中看板に終わった。大正元年の<演芸倶楽部>に「百面相が得意な三遊亭遊人が器用で又仮声を遣ったが、これは風変わりに滅多に他人が遣らぬ尾上幸蔵や市川小團次を遣った」と見える。晩年は専ら百面相を売物にした模様で、顔付類に名前が見えるのは大正14年ごろまで、それ以後見えなくなるので、大正末頃の没かと思われる。

 更に落語家辞典などを手繰ると以下のような転々たる遍歴を追っている。柳派・三遊派、両者に渡り鳥したのが出世を妨げる遠因となったのではないか。

 詳しい前歴等は不明であるが、10代で落語家になったらしい。

 1870年代初頭――4代目麗々亭柳橋の下に入門して柳作。1890年ころに柳右と改名した後、3、4年後初代三遊亭圓遊門下に移って遊人となる。

 1899年に真打昇進して、三遊亭い圓遊。

 1901年には3代目春風亭柳朝門下に移って春風亭小柳朝に改名するが、1902年頃に初代圓遊門下に戻って三遊亭遊團次(遊團治とも)に改名している。

 1903年には三遊亭福圓遊となり、これが生涯の芸名となった。当時は百面相の他、声色や落語も演じた。ただ、声色は尾上幸蔵、市川小団次(両方ともに脇役)が得意で演者ばかりが得意になっているという有様であったという。

 1907年、『芸壇三百人評』の中に当時の福円遊の芸が紹介されている。

二百七十 三遊亭福円遊 子供が本でも稽古する様な話し口、声色は大橋屋にチイ高では買手が無く、人形は向ふ河岸の鶴枝に及ぶべくもあらず、遊人、い円遊、小柳朝、遊團治、など時候の変り目に名をかへる量見のしツかりな相な男。

 1907年11月、師匠の円遊を失う。師匠が死ぬ寸前、「俺は死ぬ」という怪談じみた話を聞いた、という伝説が興津要『落語笑いの年輪』の中に残っている。曰く――

 1907年10月15日、師匠の圓遊について谷中の天王寺の墓参りに同行。この時、圓遊は「もう俺は近々ここに来るんだ」とツブヤイた。福圓遊が「そんなことあってたまるもんですか」というと、圓遊は「もうすぐだ」と、「談志、萬橘、円太郎と死んで残るは俺だけだ」といった。
 果たして4日後の18日から寝付き、11月26日に圓遊は亡くなっている。

 1912年、三芳屋より『滑稽百面相』を発行。当時の落語と芸風がうかがえる。

 1913年4月、立花家橘之助一座の色物として台湾へ渡っている。『上方落語史料集成』に――

◇栄座の東京落語 常陸山一行太夫元なる立花家橘之助一行の東京落語は本日着台、直ちに同夜より向ふ七日間限り栄座に於て開演すべく、入場料は一等八十銭、二等五十銭、三等三十銭にして出番は左の如し。 浮世はなし(呂栄)東男京五郎(□楽)今様落語(遊好)新作噺し、百面相(福円遊)芝居噺し(花橘)櫓太鼓曲引三都浮世節(橘之助)

 とあるほか、

福円遊の落語はたしかに落付が出来てきた、貫目がついて来た。安本亀八作の人形振は以前よりの彼の身上で全く甘くなつた。高座に変化あるは客に取りて嬉しいが、彼れに取りてはこの百面相は損得何れなるかを疑はるゝ。要するに百面相の如きは子供瞞しに過ぎぬ。若し彼れにしてしう雀時代よりの人気を後援として其の特有の話才を発揮し落語専門にて押し通したなら、落語家としての彼れの地位はもつと進んで居らぬかと思はるゝ。何も橘之助老嬢のお伴して台湾三界まで「カバン」(彼れ自身の)を持参するに及ぶまい。

 という批評が紹介されている。落語は相応に上手かったらしいが、遂に百面相に終わったのは覇気が足りなかったせいもあるのだろうか。

 最晩年は日本演芸会社に所属し、高座に出ていたが、1920年代に入ると高座に余り出なくなり、1925年の顔触れを最後に香盤からも消える。消息不明。

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