秋田実『大阪笑話史』
編集工房ノア・1984年
漫才作家の父として知られる秋田実が1963年に『大阪新聞』に連載していた「漫才の笑い」なる連載をまとめたものです。秋田実の死後に刊行された関係もあってか、巻末には秋田実の年譜・年表が紹介されており、事実上の「遺稿集」となっております。
1970年代まで第一線で活躍した秋田実ですが、晩年は「古い漫才の芸や芸人たちの姿を残しておくべきである」と思う所があったようで、この本は漫才の思い出、回顧録といった側面が強い出来になっています。
流石は「漫才作家の父」と称せられる秋田実だけあって、その文体は軽快で、時折放たれるユーモアや警句が鋭く、普通のエッセイ集としても愉しく読むことが出来ます。
「笑い」をテーマにしているだけに、古い芸人が沢山出てきますが、売れっ子も古老も奇人も変人も皆敬意をもって、平等に向かい合って描こうとしているのもまた立派な姿勢と言えるでしょう。
今日の「人気番組作家のエッセイ」ではないですが、それに近い感覚で読めるエッセイ集とカテゴライズしても問題ない、と思うほどの出来です。
一方で、秋田実が晩年志した「古い漫才を残したい」という理念もふんだんに生かされており、ただ行き当たりばったりの随筆になっていないのもミソです。多くの漫才師と接し、多くの漫才を見てきた秋田実だからこそ書ける「漫才回顧録」的な側面も強く有して居る、とでもいっておきましょうか。
それこそ「下品」と市民から白眼視された頃の万才から、吉本や寄席によって「ビジネスチャンス」を獲得した諸芸万才、それらの流れを受け継いだ様々な漫才、そして颯爽と現れた「しゃべくり漫才」、漫才ブーム、吉本と新興の大喧嘩――と、秋田実が見聞きして来た「漫才の歴史」が平易な文体と卓抜した記憶力によって構成されています。
エンタツ・アチャコ、雁玉・十郎、ワカナ・一郎といった漫才界の立役者もさることながら、松鶴家千代八・八千代、佐賀家喜昇、浮世亭公園・男蝶といった歴史の陰に隠れた古老や奇人変人の芸や人となりを分析し、エピソードをちりばめています。「生で見聞きして来た」秋田実だからこそ書ける重み、面白さがそこにあるといってもいいでしょう。
また、秋田実は1939年に勃発した新興演芸部と吉本の移籍問題の中心人物だった関係もあってか、吉本だけの漫才ではなく、新興演芸部の漫才師やその騒動についても触れているのが今となっては貴重な資料となっています。
吉本が残り、新興演芸部崩壊した今日、有耶無耶になってしまった点を秋田実は「実はこうだった」と解き明かそうとしています。
『大阪笑話史』と題しただけに話の中心が大阪の漫才になっているのは当然ですが、「東京漫才」に関しても評価をしているのは、貴重なポイントです。
特に、「東京に漫才を持ち込んだ」日本チャップリン・ウグイスの芸風や噂話を記している事や、東喜代駒の功績を記している事、東京方の新興演芸部の関係者(香島ラッキー・御園セブン、玉川スミ、大朝家シゲオなど)に関して触れている事などは下手な東京漫才の本よりもよほど貴重な記述と言ってもいいでしょう。
あくまでも秋田実の「回顧録」という点においては、いささか信憑性に欠ける節もなきにしもあらず――ですが、下手に高慢と化した学術論文よりも余程参考になるのは言うまでもありません。