大空ヒット『漫才七転び八起き』(演芸書籍類従)

大空ヒット『漫才七転び八起き』

青磁社・1989年

 東京漫才の大幹部として知られた大空ヒットが最晩年にまとめた自らの一代記です。「七転び八起き」と題した様に、幼少期からはじまって芸能界入りの顛末、漫才界入りの事情、喜代駒の身内になって東京漫才界の仲間入り、戦後の「ヒット・ますみ」結成と解散――といった転々とした人生が描かれています。

 よくも悪くも左派インテリとして好かれたりも嫌われたりもした大空ヒットですが、こうした自伝になると持前の頭の良さと論理的な物言いが存分に発揮され、芸人が執筆したとは思えないほど、よくまとまった自伝となっています。

 戦後生まれでもなおゴーストライターにそれらしく書かせる芸人が多い中で、これだけ明瞭な自伝を一人で書き上げた1910年代生まれの漫才師が存在したことを我々はもっと知るべきではないでしょうか。驚くべきはその記憶力で、実に色々な事を覚えています(執筆時70代だった事を考えるとなおさらに)。

 実家を飛び出して劇団に入ったころの思い出から、まだ漫才が覇権を取る前の話、永田キングを見て「ナンセンス」を志した話、五条家弁慶に弟子入りした話、漫才修業の話、都上英二とコンビを組む話――と、その経験の一つ一つが漫才の市民権獲得と繋がっているのではないか、と錯覚するほどのレベルです。

 壁にぶつかっては挫折し、その中で新たな道を発見して突き進むさまは、読みごたえがあります。

 その記憶力の凄さは都上英二とコンビを解消して、上京を志し、東喜代駒の門下に入った後も続きます。

 如何せん自分を格好よく、周りをえげつなく書く芸人が多い中で、大空ヒットは都上英二とのコンビ解消や東喜代駒との出会い、喜代駒から紹介された駒千代との印象なども忖度することなく、自分の正直な心、印象を描いています。その正直な印象が逆に「こういう人柄だったんだろうか」と不思議な愛着を持たせることに成功しています。

 駒千代とのコンビ解消後、大和家かほるとのコンビ結成――さらに、吉本への参入と吉本の離脱、戦時中にかほるとデキてしまう事など、吉本との対立で言われた文句や自身の女性関係も普通に描いてしまう所に「これは絶対書きたかったのではないか」というヒットの強い意思を感じます。

 戦後はかほると別れて、ますみと再婚、ますみとコンビを組んで「大空ヒット・ますみ」の大人気ぶり、自分の漫才観を説き続けてきますが、最終的には自身の思惑通りにはいかぬ漫才研究会や漫才界隈に挫折し、情熱を失くしてしまいます。

 この情熱を失くすシーンもその当事者でしかなければならない冷ややかな目があり、30年近く漫才協団の会長として漫才界を牛耳ったコロムビアトップのよくも悪くも強引な手法を遠回しに批判しています。何かと円満に描かれたがる中で、ここまでトップ陣営の批判をした漫才師も珍しいのではないでしょうか。

 結末はますみと離婚し、別の女性と再婚するもののうまくいかず、自身も老齢による病気に倒れ、老母の介護の傍らで再起を祈る――といった形となっています。ただ、この本を出したすぐ後に大空ヒットは死んでいるので事実上の遺言だったと考えてもいいのかもしれません。

 普通の自伝ならまず入れないであろう若かりし頃の写真や漫才師時代の写真、そして近況の写真を入れている(この写真がまた貴重な資料になっています)点を考えると、ヒットは自らの死期を悟っていたのでは、という錯覚さえあります。

 何はともあれ、既に老境に達し、人気も権力も薄れ、自らの死期も悟るようになり始めた老芸人が、弱音を吐く事なく、自分の一代記を世に解き放って見事な幕切れを行った――これだけで拍手喝采ものではないでしょうか。

 数多くの弟子を育て、「大空一門」の隆盛を築いたヒットですが、最後の最後で史上最高傑作を放って死んだ、といっても過言ではないでしょう。

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