大川喜代志(歌謡漫談)

大川喜代志(歌謡漫談)

 人 物

 大川おおかわ 喜代志きよし
 ・本 名 鈴木 太郎
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 長野県

 来 歴

 大川喜代志は戦後活躍した歌謡漫談の芸人。漫才師としても活躍した。落語協会の番付に出て来る「喜代志」とはこの人の事。東喜代駒とは関係はないという。

 経歴には謎が多いが、真山恵介『寄席がき話』に一応出ている。

 お次は歌謡漫談の大川喜代志。長野伊那谷の産で東洋音楽学校(今は大学)を出?、歌手として小林千代子の一座や宮城千賀子の座にもいたことがある。南信男が元の名。それが、リズムドンヤーズとか、ウエスタンバンドなどを組織、一方の旗頭だったが、生来のヌーボー型とて
「他人とゴチャゴチャは面倒くせえ……」
 と、昭和三十年に桂文楽の門に入り、一人で高座せましと歌いまくっている。ボリュームのある声帯と独特なおかし味も、この経歴からすればサコソというところ。

 なお、真山氏は「昭和30年に文楽門下……」と書いているが、実際はそれ以前より寄席に出ているため、もっとさかのぼれるのではないだろうか。

 なお、本名は清水一朗氏より教えて頂いた。名簿から取ったので間違いはないだろう。

 1952年頃、コメディアン出身の真木多加志とコンビを組み、落語協会系の寄席に出るようになる。

 ただ、芸の評判はよくなく、清水一朗氏は「覚えてない」、青空うれし氏は「セコな歌謡漫談というか……」という評価である。

 一番過激なのが立川談志。同じ協会にいた事もあってかボロカスに書いている。『立川談志遺言大全集14』の中で、

 ドレミファ・バッテリーという、真木多加志・大川喜代志というコンビ。これは酷かった。
 ギター(多加志)とアコーディオン(喜代志)だが、まるで素人。もっとも喜代志さんは歌い手だし、歌はイケたが、喋りはいまいうトウシロウ。多加志さんはギター持ってるだけ。弾く真似だけ。高座の後ろからギターの音を探したが、聞こえなかったっけ……。ま、いいや、昔のハナシだ。

『第三章 勿体ない芸』

 とこき下ろしている。凄まじい次第である。

 1954年頃、コンビを解消し、一人舞台で出るようになった模様。ちなみに相方の真木は相方を転々とし、坂野比呂志とコンビを組んでいる。皮肉にもこちらは1980年代まで漫才界にいた。

 1960年春頃、落語協会を退会。その後の消息は不明。

 芸人さん何人かに聞いたところでは「漫談みたいな事をやっていたようだが?」というあいまいな答えのみ。情報お待ちしております。

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