朝日日の丸・東京子

漫才師 ア行

朝日日の丸・東京子

日の丸・東喜世美(京子)

 

 人 物

 朝日あさひ まる

 ・本 名 吉川 一正
 ・生没年 ??~1981年以前
 ・出身地 関西?

 あずま 京子きょうこ

 ・本 名 吉川 富子
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 

 来 歴

 戦前から戦後にかけて活躍した夫婦漫才。日の丸のバイオリンに合わせ、ショーアップされた漫才を得意としていたという。

 日の丸の前歴には謎が残るが、朝日日出丸・日出夫の弟子だったという。然し、ここで謎になるのが、後年、朝日日出夫を継いだ人物も朝日日の丸と名乗っていた点である。更に、この二代目日出夫は、戦後日の丸と組んでいたことがあるので、なおわからない。

 以下は、『都新聞』(1938年10月6日号)の「呑気な商賣に悩み在り 漫才に夫婦別れ續出 笑の世界に笑へぬ悲劇」及び同紙「トリオが演ずるスピードアップの漫才劇 あきれた観劇記」(10月7日号)の記事である。

 ジャズ漫才で賣つた朝日日出夫、同日出丸の組があり、これは先月、これまで十年に亘るコンビを敢然と断つて日出丸の方は弟子の日の丸を二代目日出夫に仕立て、同じく弟子の日出若と共に、今度はコンビならぬトリオを組んで、新らしいジャズ漫才に踏出した

(10月6日号)

 

朝日日出丸、日出夫、日出若のトリオといつても、これまでの日出丸、日出夫のコンビに、新しく日出若といふのが一枚加はつた、といふのではありません 日出丸こそは、今までのあの日出丸に違ひありませんが、日出夫の方は二代目日出夫で、あの永年賣つた初代(といふのも仰々しいが)日出夫は都合あつて夫婦別れをして去つた事は演藝而既報の通り、そしてこれまでの弟子の日出丸が二代目日出夫を襲つて、それにもう一人役者上りの日出若が加はり、二人漫才行詰り打開の意味もあつて新形式の三人漫才に進出したのですが、このトリオとかういふ次第です。

(10月7日号)

 これが同一人物かまではわからない。

 それからしばらくして独立したらしく、浜浩一(戦後漫才に転向)などと共に漫才ショーを展開。

 さらに、知り合った女性と結婚して、夫婦漫才を結成。朝日日の丸・朝日照千代と名乗った。戦時中、浅草の劇場などに出演している様子がうかがえる。

 妻の富子も日の丸同様、前歴には謎が多く、よく判っていないが、大日本漫才協会名簿の中に「朝日照千代 吉川富子」とあるのが確認できる。戦前の漫才コンビ「日の丸・照千代」の片割れであった事は間違いない。戦後、東京子と改名した模様か。さらに「東喜世美」と改名。理由はわからない。

 戦後、同門の朝日日出夫(二代目)とコンビを結成。1951年8月、浅草花月劇場の梅澤昇一座の公演の合間に、「朝日日の丸・日出夫」として活動している様子が確認できる。

 然し、『都新聞』で「日出丸の方は弟子の日の丸を二代目日出夫に仕立て」と記されたのを見ると、果たしてこの日の丸は吉川の日の丸なのかどうか――と、前後の経緯が頗るややこしくなってしまっている。

 間もなくコンビを解消し、妻の富子と、夫婦漫才を再結成。この頃の経緯が『アサヒ芸能新聞』(1953年11月3週号)の松浦善三郎『関東漫才切捨御免』に詳しいので引用する。

才界(財界にあらず、漫才界の意なり)で最もインテレクチュアルに見えるのがこの日の丸。本姓吉川で一頃一座を組んでショウ?をやっていた時分が浜浩一。今はもうすっかり解脱?して野心は全然なく、東京子と「お宮貫一」を ネタに漫才一筋道。商売道具のバイオリンケース(もちろん中味在中)をさげている姿 を見ると、芸術の深淵に呻吟するバイオリニストと早合点する。素手でも映画の助監督ぐらいにはフメル。そういうスタイルの日の丸が、舞台に出ると浪曲の声帯模写をやったり、アチャラカ金色夜叉をやるのだから世の中は複雑である。東京子はいつ見ても若く美しい。舞台での京子のなんとなく素人臭い芸風が「かえって良い」と喜んでいるファンも多いのだから世の中は更に複雑なり。「金色夜叉」や「婦系図」は今日の若い人達でこれらの小説の全部を知っている者は少いと思うが演劇 と違って漫才では「海岸」と「湯島」のほんのサワリしか演らないのだから、どうせ演るなら一段とていねえに筋立てをして、見せたりきかせたりする工夫をすれば、効果は倍にあがるだろうと思うがどうだろう。

 1955年の漫才研究会創設には関与しなかったが、後年入会している。

 1961年、宮田羊容が漫才研究会を脱会した折には夫婦で漫才研究会を離脱している。『読売新聞夕刊』(同年4月27日号)の中に、

東京漫才協会は東急文化会館と提携、五月五日夜に「東急文化・漫才まつり」を宮田洋容・布地由起江、宮島一歩・三国道雄、隆の家栄竜・万竜、杉ひろし・まり、桜川ぴん助・美代鶴、朝日日の丸・東喜世美、ロマンス・ガールズ(服部清美、三峰多枝子、美良野由美)らの出演でひらくが、子どもの日なので漫才の内容もそれにちなむものを公演する

 とある。但し、1963年11月に行われた『東京漫才変遷史』には出演しているので、間もなく復帰した模様か。

 しかし、再び脱会したらしく、1965年頃の名簿から名前が消えるようになる。フリーになったのだろうか。

 1970年頃まで「朝日日の丸・浜てる美」名義での活躍が確認できる。このてる美は、京子なのかどうかまではわからない。

 1981年までに物故した『芸能人物故者芳名簿』の中に、夫婦そろって名前が出ているので、その間に没したようである。

 私生活では、娘に恵まれたそうで、これが漫才界でも評判の美人だったという。青空うれし氏によると、「日の丸さんの家は、入谷にあって、時々行ったが、日の丸さんじゃなくて、その娘さん目当てだった。確か二人娘がいて、両方かわいかったが、特に姉娘の方が、本当に美しい、あんなに美しい人はそういるものじゃない、ってくらいの美貌の持ち主で、若手時分には、本当に惚れたものだよ。本当に美しかった」とのことである。

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