銀座ネオン・サイン

銀座ネオン・サイン

左・ネオン 右・サイン

 人 物

 銀座ぎんざ ネオン
 ・本 名 東原 新
 ・生没年 1920年代?~?? 
 ・出身地 ??

 銀座ぎんざ サイン
 ・本 名 三井 雅夫
 ・生没年 1920年代?~??
 ・出身地 ??

 来 歴

 戦後活躍した漫才師だというが、その経歴・人物等が殆ど謎に包まれている。よくわからない、といえば、これだけで記事が終わってしまう存在である。

 澤田隆治氏旧蔵の写真の中に一枚写真があるばかりで、いったいどのような経歴を辿って来たのかさえ、把握しきれない。もはや写真置き場である。

 ただ、本名のみ『漫才研究会名簿1963年度』より割り出した。

 数少ない証言や記録のみ記していこう。コンビ結成は戦後。面識のあった青空うれし氏によると、「コロムビアトップ・ライトなんかと同じくらいなのではないかと思うが?」とのことである。

 1955年、発足した漫才研究会に入会。同年春に行われた漫才研究会発足記念漫才大会に出演している。上の写真はそれを撮ったもの、と澤田隆治氏の弁。

 1955年4月8日、NHKラジオの演芸番組に出演。当時の番組表から確認できる。

 1957年7月、浅草松竹演芸場7月上席に出演。以下はそのパンフレットに記載された出演者たち。

7月上席

五一郎劇団   乙女の純情
デン助とクイズ狂時代
中野弘子蝶々座 股旅恋の三度笠

三絃歌謡漫談 玉川一恵
立体漫才 銀座ネオンサイン
落語  三遊亭歌風
浪曲(新進横綱十七才)藤田知子

 これ以降消息がつかめなくなる。あした順子氏によると、「この二人は一杯芸名を持っていて司会なんかをやって……結局司会や一人芸に行っちゃったの」とのことであるが、真偽は不明。

 また、うれし氏によると、「このコンビはトップ・ライトみたいな舞台でね、一時はトップ・ライトを追い越せ追い抜け、みたいなくらいの人気を瞬間的に集めたんだが、すぐにダメになった記憶がある」。

 源氏太郎氏が断片的に話していたことによると、銀座ネオンの方が、後年赤羽に土地を持っていて、ボロイ車と家とで、なんか暮らしていた――とかなんとかであるが、源氏太郎氏もよく覚えていないとのことであり、源氏太郎氏亡くなってしまった今、確かめるすべはない。

 1964年の名簿には名前が出ていないので、1963年頃改称した模様か。

 ネオンは本名・東原新名義で数年間漫才をやっていたが、こちらも廃業してしまった。

 なんともとりとめのない、無責任極まりない記事になってしまったが、判らないものは、判らないのでしようがない。この二人の関係者が出てくるのを祈るばかりである。

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