マキノ洋子・日の本照美

マキノ洋子・日の本照美

 人 物

 マキノ 葉子ようこ
 ・本 名 牧野 容子
 ・生没年 1927年6月25日~2018年?
 ・出身地 東京

 もと 照美てるみ
 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 来 歴

 戦後活躍した女流漫才師。マキノ葉子はマキノ洋一・初江の妹。戦後のアプレゲール的な芸風を売物にして人気を集めたが、5年でコンビを解消した。

 マキノ葉子の経歴はマキノ葉子・ヤマト菊栄で詳しく書いた。

 父親は神田來山という講談師であり、幼い頃から芸人として高座に上がった。10代で兄とコンビを組み、「江戸家松之助・蓉子」としてデビュー。

 1948年、兄がマキノ初江と結婚して夫婦漫才を結成した為、コンビ解消。同僚の日の本照美とコンビを結成する。若い頃は「マキノ洋子」「牧野洋子」とも称した。

 日ノ本照美は謎が多く、経歴は謎だらけである。戦前、寿美の家照美という漫才師がいたがこの人の後進だろうか。

 当時、数少ない女流漫才という事もあり、若くして頭角を現すようになった。『関東漫才切捨御免』(『アサヒ芸能新聞』1953年11月4週号)に芸風が出ている。

 終戦後のスタートダッシュは見事なもので「新婚旅行」をひっさげて、洋子の笠置シズ子張りのイミテーションソングとともに一頃の人気は放送に実演に大活躍であったが、このところ息切れて一服の感がある様に思えるが如何。
 照美が丈夫でないと聞いているかその為か、ネタの「新婚旅行」が受けなくなったか。洋子の唄が当節マッチしなくなったか、旅が多すぎたためか――どこかに人気の推移した原因がある訳だ。まだまだ両人とも若い美人で舞台もしっかりしているのだから、往年の新鮮味を取り戻してニューセンスの台本のもとに中央で張り切れば、女流の少い今日、かつての地歩からくずれ落ちる事はあるまいと思う。
 照美のイット、洋子のギャグは定評のあるところ。更にこの長所を発揮して一ふんばりする事を祈るや切。

 照美・洋子コンビで人気を集めたが、1953年頃にコンビを解消。

 葉子はピンに転身し、「女猫八」と自称した。『アサヒ芸能新聞』(1954年7月3週号)掲載の「関東芸能人斬捨て御免」に――

★マキノ葉子(吹き寄せ)
 昨年まで照美・洋子でながいあいだ女流漫才として売れっ児であったが、流行の「家庭の事情」でこれもコンビわかれ。照美の消息はまだきかないが、洋子は葉子とかえて、手なれた三味線を横抱きに誰に気がねもいらぬ一人舞台。漫才当時から好評の声帯模写をさらにみがいて、これをネタににぎやかな笑いの舞台を見せている。
「関東漫才評」で書いたが、この人の笠置シヅ子はおもしろい。こんどはそのほかにもあれこれとりいれて、ちょっとした都家かつ江氏の一人トーキーの小型といったところ。かつ江氏の方は江戸風の音曲ばなし的であるが、葉子の方はぐっと当世風。若い層にはよいかもしれない。三味線はしっかりしているし、若いし、本人も漫才時代の看板をわすれて、再出発というかたい決心のもとにこの新型でおして行くといっているから期待したい

 その後も数年ほど活動を続けていたが、1959年に後輩とヤマト菊栄とコンビ結成し、「マキノ葉子・ヤマト菊栄」として再出発。女流漫才の貴重な逸材として昭和末まで活躍を続けた。

 一方の照美はその後も健在だったらしく、『左翼文化運動便覧 1960年版』の中に「日ノ本照美」なる名前を確認することができる。

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