桂光一・ひろみ

桂光一・ひろみ

光一・ひろみ(右)

 人 物

 かつら 光一こういち
 ・本 名 関根 清一
 ・生没年 1953年6月16日~ご健在?
 ・出身地 東京 北区

 かつら ひろみ
 ・本 名 関根 喜代美
 ・生没年 
1950年代~ご健在?
 ・出身地 東京 北区

 来 歴

 桂光一・ひろみは戦後活躍した漫才師。兄妹でコンビを組んでいたという。両親は東京漫才の幹部・桂竜夫・竜子。光一は若井はんじ・けんじの下で修業をし、少年漫才としてデビューした稀有な人物であった。

 両親は桂竜夫・竜子。当時、二人は北区に居を構えており、そこで生まれた。竜夫夫妻はそのほとんどの生涯北区に住んでいた。兄弟全員北区――と親戚筋に当たる轟夏美氏より伺ったことがある。

 光一は中学卒業後の1967年、両親の友人で上方漫才の売れっ子であった若井はんじ・けんじに入門。同門とコンビを組み「若井こういち・こうじ」としてデビューをしたのがそもそものきっかけ。

 間もなくコンビを解消し、帰京。妹の喜代美が漫才師になりたいと名乗り出た事もあって「桂光一・ひろみ」を結成する。

 兄妹漫才として注目され、漫才協団に入会。父母の後ろ盾もあってめきめきと頭角を現すようになった。

 屋号は言うまでもなく父母の「桂竜夫・竜子」からとったもの。さらに元を辿ると落語家の桂枝太郎に行きつく。

 両者共に10代から舞台に上がっていた事もあってか、達者も達者で知られていたそうである。

 1975年頃より、父母のつてで落語芸術協会に所属。寄席に出られるようになった。

 1975年3月1日、イイノホールで行われた「第23回NHK漫才コンクール」に出場。「お笑いアラカルト」を披露。当日のパンフレットに――

 桂光一・ひろみさん……純然たる兄妹だから……いつも一ツ屋根の下におります。そして……妹のひろみさんは……ルーシーショウのルーシーのように……そして光一君はチャップリンのようなペーソスのある笑いをふりまける男に……。つまり……二人とも別々なことをテンデンバラバラに考えて……型にはまらない漫才師になりたいンだそうです。御両親にはベテランの竜子、竜夫を持ちながら……「親なんて、オヤオヤ・チョイチョイユデアズキでもたべる時だけ一緒で・・・アトは若い二人が好きにやればヨイ』とサ……。

 とある。もう少し実りのある情報を載せてくれないものかね。

 この後、二人はコンビを解消。それぞれ、いずみひろみ、光一光二というコンビを組む。ただ、ひろみは長く続かず、引退をした。

 1976年、光一は弟の次郎とコンビを組み「桂光一・光二」を結成。平成10年代まで東京漫才のホープとして活躍する。

 桂光一・光二はまた別項を記す。

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