小沢昭一『私のための芸能野史』(演芸書籍類従)

小沢昭一『私のための芸能野史』

芸術生活社 1973年
(後に新潮文庫・ちくま文庫からも発行)

 個性派俳優として、コメディアンとしても活躍した小沢昭一。個性的な風貌と飄逸な演技、それに落語や浪曲に裏打ちされた確かな話術や司会ぶりで高い人気を集めました。『小沢昭一的こころ』は昭和〜平成を代表する名ラジオ番組として知られ、今なお多くのファンがいるほどです。

 そんな小沢昭一ですが、俳優稼業の傍らで「放浪芸研究家」としても活躍をしました。「放浪芸」とは書いて字のごとく「商売や生活のために生まれた芸能、そこから派生した庶民の芸能」と称するべきでしょうか、「スポットライトばかり当たるものだけが芸能じゃない、芸能にはもっと深い歴史や流れがあるはずだ」と、持ち前の好奇心と探究心を活かして研究を大成させました。

 その背景には学生時代に師匠として仰いだ演芸研究家・正岡容の独特な論考や主張、そして若き日の教え、芸能研究家で大学教授だった郡司正勝や友人で落語研究家としても知られた桂米朝の影響や激励があったといいますが、ここでは割愛いたします。

 さて、「滅びゆく放浪芸をなんとかして記録せねばならない」と志を抱いた小沢昭一は多忙を極めていた俳優業をセーブして、放浪芸を求め全国を放浪する日々を送るようになりました。

「ここにこんな芸能が残ってる」

 そんな噂を聞けば東北にも九州にも飛んでいき、採録をする。時には「そんなもの忘れた」「知ってるけどやらない」という年寄りたちをなだめ、褒めちぎり、なんとか採録したりーーとこの採録事情も収録されています。

 小沢昭一の奮闘によってギリギリ採録することができた、あるいはそれを機に復興ムードが持ち上がる(猿回しなど)と、様々な影響を今日まで及ぼしています。

 この本はそんな放浪芸散策の中でも大衆芸能に近いものをピックアップして、その放浪探索を記したものです。

 収録された演芸は、絵解き、節談説教、ストリップ、女相撲(トクダシ)、浪花節、漫才、梅坊主かっぽれ、万歳などです。

 ほとんど採録されてこなかった分野にスポットライトを当てて、「なぜそれが興行として成り立ったか」という謎に迫っています。

 廣澤瓢右衛門の「浪花節昔話」、小沢昭一の「万歳メモ」など見応えの多い作品揃いで、しかも小沢昭一の飄逸で、嫌味のない文体と貴重な写真で構成されております。

 漫才研究的に白眉なのは、大朝家五二郎、荒川清丸、柳亭鏡之助という漫才と雑芸の古老が三人集って昔話をする鼎談です。

 この時、小沢昭一が略歴をメモしてくれたことにより、この三人は今もその前歴を伺うことができるのです。

 その中で荒川清丸は「自分は梅坊主一座にいた」と発言し、小沢昭一を感激させました。そして、荒川清丸一代記が書かれるキッカケとなります。

 この清丸一代記が今日の清丸評価に強く響いているのはいうまでもないでしょう。清丸関係の資料の原書はこれか、同時期に取られた鎌田忠良のインタビューかと思います。

 しかし、何度も言うようにこの本はあくまでも「放浪芸」という特殊な立ち位置から成り立っており、「漫才史」でも「正史」でもありません。清丸に限らず、発言者たちの多くが「どこか事実誤認や勘違いをしている」という点を踏まえないと思わぬ地雷を踏み抜きます。

 特に「清丸東京漫才元祖説」などははったりもいいところで、小沢昭一に語っている経歴と新聞記事や出演記録の齟齬の激しさに呆れるばかりです。悪く言えばインタビュー相手の見栄やハッタリが多分に含まれるので、それを見抜く力がないと大変なのです。

 さらに、清丸をはじめとして、彼らの中に向けられる興味は「放浪芸的な何か」であって、今隆盛を極めている漫才や落語にはほとんど目もくれられてません。ある意味では「放浪芸人の一人」という形で評価しているのに留まっている、というべきでしょうか。

 一方、小沢昭一に罪があるかと言われるとそれも違います。小沢昭一は聞き手である以上、相手の発言に疑問符をつけられない立場です。 

 ましてやヨイショしてなだめながら話を聞いている立場であり、小沢自身の知識にも限界があるため、「嘘も本当もあるがままを書いている」というべきでしょうか。

 今考えると小沢昭一はこの当時にしては破格の素晴らしい仕事をしたと言えましょう。驚くべき仕事です。これによって残った記録の恩恵を我々はうけています。

 一方、せっかく残してくれた記録だからこそ、きちんと整理整頓を行ってより立派な資料にするのは後進のつとめではないでしょうか。この一冊はそんな研究者のカルマを突きつけるような気がします。

 と、まあ難しいことを書き連ねましたが、小沢昭一ファンや放浪芸ファンは買っておいて損はない一冊だと思います。

 普通にエッセイ集、小沢昭一の旅日記としても読めるので、普通に良くできた本になっている――管理人はそう思っております。

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