Wぽんじ(永尾ぽんじ・東ぽんじ)

Wぽんじ(永尾ぽんじ・東ぽんじ)

 人 物

 あずま ぽんじ
 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~健在?
 ・出身地 茨城県

 宮尾みやお ぽんじ
 ・本 名 ??
 ・生没年 ??~健在?
 ・出身地 鹿児島県

 来 歴

 Wぽんじは戦後活躍した漫才コンビ。Wけんじ門下であったが、経歴にはとにかく謎が多く、消息さえうまくたどれない。

 唯一の経歴は1972年3月13日に開催された「第20回漫才コンクールパンフレット」くらいか。

東ぽんじ(茨城)永尾ぽんじ(鹿児島)
お師匠さんは・・・

東ぽんじ…Wけんじ
永尾ぽんじ…宮尾たか志
これまでは?……
永尾君は、理容師のコンクールでは全国で三位に、くいこむ天晴れ?な技術者それが…成る日、日劇の歌謡ショーで宮尾たか志の司会ぶりを見て「ガパーッ」と進路を変更、ただちに弟子入りを熱望して…6年の歳月が流れたそうでございます。
一方、東ぽんじ…彼は農家のアトトリ息子に生れながら性来の…ユーモアな器量を鏡で見て一念発起?…Wけんじの裏木戸をたたいて…入門しました。俳優にもなりたいと思ったことがありました」と彼は言う…やがて…永尾君と組んで今年で3年目が来ました。
これからは?……
大阪のいとしいしさんのような、芸に余裕のある漫才をやりたいとか 「僕の顔のサ…この面白そうで、奇怪な顔これが…僕の芸の邪魔しそうなので口惜しいーンです」とは東ぽんじの言葉でした。
「僕もこの顔が僕の邪魔になるンで困ってます」とは永尾ぽんじの言葉でした…。分ってんのかな?二人とも?

 若手のころは「Wぼんじ」とも称したらしいが、これまた判然としない。

 もともと司会者であった宮尾を、東が誘う形でコンビを結成。建前上はWけんじ一門であったという。

 コンビ結成は1969年。その頃の名簿を持っていないため、本名がわからない状態にある。これもどうしたことか。

 唯一それらしい話題を挙げると、1972年に「Wけんじ一門会」が開かれた際に、サラリーマン出身の青木博志という青年と仲良くなった。宮尾は青木と同じ九州男児だったこともあり、息があったという。

 青木は「芸人になりたい」と打ち明けてきたので、二人はWけんじを紹介した――これが漫才協会の名物男であったチャンス青木その人である。

 1972年3月13日、第20回NHK漫才コンクールに出演。ただし入賞は逃している。

 1973年ころまで活躍が確認できるが、コンビ解消は早かった。如何せん師匠のWけんじやWチャンス以上に謎の多い存在である。

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