大原利博・小原小春

大原利博・小原小春

 人 物

 大原おおはら 利博としひろ
 ・本 名 藤田 花吉
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 小原おはら 小春こはる
 ・本 名 藤田 小春
 ・生没年 ??~??
 ・出身地 ??

 来 歴

 大原利博・小原小春は戦前活躍した漫才師。夫婦漫才であったという。利博が胡弓、小春が三味線を受け持ち、器用に合奏する音曲漫才を得意としたというが謎まみれである。

 大原利博の前歴は一切不明。

 小原小春は、帝劇の女優に同じ芸名の人物がいるが、無関係であるようだ。

 元々は小原節の歌い手だったらしく、浅草の小原節興行に名前が出てくるほか、レコードか何枚か残っている。動画サイトで見られる小原節の小原小春と同一人物とみていいだろう。

 1931年11月14日から京都座に「小原小春」というのが出ているが、この小春と同一人物だろうか。『近代歌舞伎年表京都編』によると、

○十一月十四日~二十四日 昼夜二回開演 京都座 
 全国万歳諸芸大会 北岡興行部専属連 
【番組】小原節(家元小原小春) 空中万歳(石黒政之) コミツク(チャップリン高見狂助) 音曲万歳(凸廼家馬坊 あさひ家君勇) トランク抜け大魔術(天長斎天女 天清 天洋) ハイクラス万歳(天修・光子親子)

 コンビ結成年も不明。いつの間にか漫才界にいる。

 芸風も不明であるが唯一残った写真を見ると、音曲漫才だったらしく、小春が三味線、利博が胡弓を持った合奏をネタにしたようだ。他には小春の小原節なども看板だった模様か。

 1940年4月、靖国神社臨時大祭に出席。この時の写真帳が唯一面影を偲べるものとなっている。

 戦前及び戦時中は主に東宝笑和会に出演していた模様。以下はその出演録。

 1941年4月中席、「漫作・正美、志ら菊・江戸ッ子、貴代子・龍鷹、浪花大関、香津子・蝶治、ワンダー栄光、光児・光菊、小春・利博、吉川ショウ、シカク・マンマル」。

 1941年8月中席、「柳家千枝造・千枝里、柳家三壽、祗園千代子・捨勝、橘ノ円十郎・雅世・サユリ、朝の家登喜子・美登里、壽美枝・由美子、東奈歌蔵・笑楽、池田武司・泰山、小原小春・大原利博、東喜美枝・都上英二」 。

  1942年3月中席、「浪速シズ子・シカク、梅川玉輔・梅奴、モモコ・キヨシ、日本ニュース、松旭斎天雷・天晴、邦子・喜代子、坊主、善司・文雄、小原小春・利博」。

 1942年6月下席、「小菊・フク子、東喜美枝、玉龍亭一山、林家染壽・小芳、日本ニュース、山路はるみ・タンゴ、吉川一郎、小原小春・利博、五万楽他、並木一路・内海突破」。

 1943年1月中席、「林家染寿・小芳小林美津子・比呂志、源輔、唄の家一八・茶目丸、鈴木義豊一行、宝家大坊・小坊、小原小春・利博、並木一路・内海突破、吉原家〆吉・〆坊」。

 1943年発足の帝都漫才協会の名簿に名前が出ている。これで何とか本名を割り出した次第。

 幹部一覧を見ると、利博は第二部の幹事に抜擢されている。曰く、「第貮部 大原利博、旭ヒカル、林家染雄、吉川一郎、高波志光児、江戸家江戸っ子」が幹事。

 戦後消息を絶つ。どうしたものだろうか。

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