東京漫才を彩った人々 松川洋二郎・北村榮二郎 松川洋二郎・北村榮二郎は戦前戦後活躍した漫才師。両人ともに兵隊漫才で人気があったという。榮二郎はかつて立花六三郎との名コンビで知られた。洋二郎は東駒千代と結婚し、晩年は大空ヒットやワタナベ正美のマネージャーをしていた。 2020.11.05 東京漫才を彩った人々漫才師 カ行漫才師 キの部漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
東京漫才を彩った人々 松廼家錦治・小原福奴 松廼家錦治・小原福奴は戦前戦後に活躍した夫婦漫才。三味線と唄の民謡漫才を主としたという。古いことは確かなようであるが、戦前の活躍は皇軍慰問で活躍した以外はよく判らない。巡業中心の漫才師だった模様。戦後も活躍し、東京漫才協会に所属したという。 2020.09.17 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 オの部漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 丸の内権三・助十 丸の内権三・助十は、戦後活躍した漫才師。戦後直後にデビューしながら、売り出すのは1960年後半というすさまじく変則的なコンビであった。1966年、漫才コンクール特別賞を受賞している。芸名の由来は、岡本綺堂『権三と助十』であろう。司会漫才を得意としたそうな。 2020.08.23 東京漫才を彩った人々漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 青木長之助・松葉栄子 青木長之助・松葉栄子は戦後活躍した夫婦漫才。青木長之助は浅草で人気を博した青木の玉乗りの子孫筋で、子飼いの芸人であった。栄子は戦前にしては珍しい大学出身の女性で、異色のコンビであった。三味線も踊りも達者な漫才師として浅草を中心に活躍を続けたが、パッとした人気を得ることなく自然消滅をした。 2020.04.19 東京漫才を彩った人々漫才師 ア行漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 松島家圓太郎・色香 松島家圓太郎・色香は戦前に活躍した夫婦漫才師。圓太郎がバイオリン、色香が三味線を受け持ち、これを合奏して俗曲や流行歌を演じる――当時としてはハイカラな芸の持ち主だったようである。 2020.02.28 東京漫才を彩った人々漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 高原妙子・松林桂右 高原妙子・松林桂右とは戦後に活躍した夫婦漫才。ギターとアコーディオンというオーソドックスな音曲漫才を得意とした。元々は長野県下の楽団の出身だったらしいが、後年東京漫才になった。太神楽曲芸協会に所属し、大道芸大会や寄席で出演したサイクル松林は実の息子。晩年、息子に先立たれた。 2019.01.20 東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 牧タンゴ・山路はるみ 牧タンゴ・山路はるみは戦前に活躍した夫婦漫才師。浅草を中心に活躍したが、タンゴが夭折した。山路はるみは後年、「亀造・菊次」として売れに売れた十返舎菊次である。PCLレコードに「はやり唄・女給」のレコードを吹き込んでいる。タンゴの素性がよく判らない不思議なコンビでは、ある。 2019.01.04 東京漫才を彩った人々漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師 ヤの部漫才師 ヤ行漫才師逆引き事典
東京漫才を彩った人々 松平操・春風枝左松 松平操・春風枝左松は、戦前戦後活躍した夫婦漫才。松平操は、漫才の中にハーモニカを取り入れた先駆者の一人であり、大空ヒット、都上英二らと鎬を削った。枝左松は女道楽の出身で、何でもござれの芸達者な人であったという。 2018.07.07 東京漫才を彩った人々漫才師 ハの部漫才師 ハ行漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典飛翔 ~昭和ひと桁から日中戦争前後~
息吹 ~大正から昭和ひと桁~ 前田勝之助・隆の家百々龍 前田勝之助・隆の家百々龍は、戦前に活躍した夫婦漫才師。勝之助は、節真似で戦後の放送の人気を総なめし、一世を風靡した前田勝之助その人であり、百々龍は隆の家萬龍の妹。その名前の通り、浪曲節真似と音曲を得意とした。 2017.09.09 息吹 ~大正から昭和ひと桁~東京漫才を彩った人々漫才師 タの部漫才師 タ行漫才師 マの部漫才師 マ行漫才師逆引き事典