森トラック・辻ダットサン

森トラック・辻ダットサン

 人 物

 もり トラック
 ・本 名 林 萬次郎
 ・生没年 ??~1981年以前?
 ・出身地 ??

 つじ ダットサン
 ・本 名 林 はる

 ・生没年 ??~1981年以前?
 ・出身地 ??

 来 歴

 ボクシング漫才を得意とした夫婦漫才師。森トラックが夫、辻ダットサンが妻。元祖ハチャメチャな芸名の持主ともいえる。

 戦前よりボクシング漫才を得意とし、巡業や浅草で活躍した。その激しい芸ゆえか、大劇場や一流の興行社には入れないという不遇があった。

 経歴には謎が多いが、『アサヒ芸能新聞』(1953年11月2週号)掲載の松浦善三郎『関東漫才切捨御免』に詳しい芸風が出ているので引用する。

 拳闘漫才という世にもアッパレなものである。芸名の感じは男同士のように思われるが 実際のダットサンは女優だから更に珍。四尺足らずのダットサンと六尺有無のトラックが共にパンツとグローヴを着けてコミック・ボクシングをやって、大きなダットサンがノサレてノビてしまうという子供達にも絶対人気のある漫才。ダットサンも決して若くはないようだが、遠くで見ている と、小柄で振袖など着込んで三味線を抱えた図はまことにかわいい。これが「私の生れは宮様の出よ」「おやどこの宮様」「タタミナの娘だようッ」とやるから満場ワアッとならざるを得ない。祭礼の余興等で野外ステージに出ると通りすがりのGIが必ず女のダットサンに声援しているのもおもしろい。 両人共好人物だから人うけは良く、頼まれば少しぐらい 条件が悪い舞台でも引受けてしまう。関東でコミック・ボクシングをやっているのは現在このコンビだけであるからいろどりの関係で重宝がられる。拳闘のクダリにもう一息か二息の新工夫があれば更に良いものになるだらうがコミック・ボクシングを断然採り入れたアイデアと、それを長い間実行している勇気には敬意を表さなくてはなるまい。

 この文献では「トラック=男」「ダットサン=女」となっているが、 『大日本漫才協会名簿』には、トラックが男、ダットサンが女、と芸名が逆さまになっている。

 1943年、帝都漫才協会に参入し、第十部の会員となる。下谷区入谷町に住んでいたという。

 敗戦後、進駐軍慰問の仕事が起きるようになった際、その特異な芸風から漫才師では数少なく進駐軍慰問の許可が下り、キャンプや駐屯地へ慰問に出掛けたという。

 太刀村一雄・筆勇の相撲漫才、大津検花奴・菊川時之助のジャグラー漫才などと共に言葉が伝わらなくともその身振り手振りとコミックボクシングでその面白さが知れるという所に妙味があった模様である。

 また、戦後は王子に居た、とあした順子氏より伺った。それ以上の事は不明である。 

 1955年、漫才研究会の発会時点では健在だったようであるが、なぜか参加していない。そのため、わからないことが多い。

 日本が講話を結び、進駐軍が引き揚げていった後は、キャバレーや余興などを中心に移行する事となったという。

 寄席や演芸場には出演しなかったが、派手で見栄えのある芸でそこそこ稼いだ――というが、1960年代より消息が辿れなくなる。

 1981年付の『芸能人物故者芳名簿』の中に名前がある。それ以前に亡くなったのは確かであろう。

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