吉田留三郎『かみがた演芸漫才太平記』(演芸書籍類従)

三和図書 1964年

『かみがた演芸漫才太平記』は、吉田留三郎が『大阪朝日新聞』に1959年から3年間、定期的に連載していた『漫才太平記』を加筆・修正した上でまとめあげた一冊です。当時、演芸界の生き字引であった吉田だけに色々な裏話、逸話が豊富であるのが最大の特徴です。

『漫才太平記』と称しただけに、漫才の歴史から振り返り、そこから自身の演芸評論家時代、そして今――という形で構成を取っております。序盤は「にわか」「茶番」「軽口」など、漫才の前身芸。吉田はギリギリこれらの芸に間に合った世代だけに、実感のある物の描き方をしています。 

 若い当時、まだ生き残っていたニワカ師の逸話、ニワカや茶番、軽口の生き残りで漫才に移行した芸人たちの逸話や芸風、ニワカや軽口との差異などを述べていて、非常に参考になります。

 また、女道楽や曲芸、雑芸と言った漫才と関係の深い芸にも触れているのが、博学で知られた氏らしいチョイスです。東京に比べて資料の少ない関西の雑芸・珍芸の領域を様々な思い出や資料を駆使して描いて行きます。桜家駒之助、立花家喬之助といった関西で活動した女道楽の姿や人となりがかかれているのはこれくらいなものではないでしょうか。 

 そして、なんといっても白眉は「自身が見聞した漫才師たちの記憶や芸」の記録です。秋田実も相当の書き手でしたが、吉田留三郎はそれに勝るとも劣らないルポや逸話を綴っています。エンタツ・アチャコや雁玉・十郎、ワカナ・一郎といった戦前の漫才の花形たち、吉本・新興演芸部の対立や自身の勤務体験、そして戦後――目まぐるしく変わって行った漫才と漫才師たちの芸や人となりを鋭く、あぶり出していきます。その記憶力や表現力の高さには舌を巻かざるをえません。 

 また、当時(1950年代~1960年代)の角座や浪花座風景、上方漫才の動向や消息、さらには東西交流について触れられているのも、今となっては非常に貴重な資料になっています。

 今や語り草となっているてんや・わんや天才・秀才がまだ若手扱いを受けている頃というのですから、その古さが伺えます。

 さらに、美和サンプク新山悦朗春日淳子・照代など、関西に縁がある東京漫才師たちの経歴や逸話を、「この人たちは関東の人だから」と遠慮する事なく書いているのは非常に貴重です。

 その人となりを書く傍ら、東京漫才の面白さや欠点、方向性を自身の直感で描いているのも見ものでしょう。 

 あくまでも一人の回顧録――といえばそれまでですが、秋田実と並んで大阪笑芸を支えてきた人のいう事だけに、その辺の連中の描くいい加減な書物よりよっぽど信ぴょう性があるのは事実で御座いましょう。

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