東喜代駒

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東喜代駒ノート

※詳細は上のリンクか「東喜代駒ノート」からご覧になれます。

 人物

東 喜代駒あずま きよこま

・本 名 武井たけい 喜代次きよし

・生没年 明治34年/1899年4月8日~昭和52年/1977年10月10日

・出身地  群馬県館林市

 口上

 東京漫才の元祖と言っても過言ではない漫才師である。上方漫才の影響を受けながらも、その流れに従う事なく、独学で奮闘し、はじめて東京人による東京漫才を完成させた功労者というべきだろうか。

 確かに喜代駒以前にも漫才はあった。だが、その多くは「大道芸」と馬鹿にされるものか、あるいは玉子家円辰や砂川捨丸などといった関西の大御所かその門弟であった。しかも、その大体は漫才単体ではなく、安来節や民謡の一座の「色物」として、時間つなぎに演じてもらっているような有様で、ネタもスタイルもしゃべり方も上方漫才そのものであり、東京の風土に適した漫才は存在しなかった。確かに震災前後に漫才の小さなブームはあったものの、それは安来節の流行に同調するような一過性の流行にすぎなかった。

 そんな中で、東京の風土に適した漫才を創造しようと画策し、上方漫才に準じない道を進もうとしたのが、この喜代駒であった。

 上記は、米屋の若旦那から、漫才師に転向し、まだ漫才が卑しいと見られていた時代に、当時としては大変珍しいラジオ出演や映画、果ては大劇場「市村座」で独演会までを行ったこの怪物芸人の生涯とその記録をまとめたものである。

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