英主水・川端末子

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英主水・川端末子

人 物

はなぶさ 主水もんど

 ・本 名 藤田 主水
 ・生没年 ??~戦後
 ・出身地 ??

川端 末子かわばた すえこ 

 ・本 名 藤田 よね
 ・生没年 ??~戦後
 ・出身地 ??

 来 歴

 戦前からの漫才師で、戦後も活躍していた割には殆ど情報がない。そのくせ芸歴は古く、1934年にはもう漫才をやっており、

神奈川バザー
けふ店開き 五日間の餘興プロ

◇第一日 △音曲万歳、春の家主水、同米子△太神楽小樂遊連中△曲技東洋二郎△兵隊万歳、龍之助、川路紫郎△ビクター蓄音機演奏……

『横浜讀賣』(1934年5月1日号)

 という記載を発見する事が出来る。以降、昭和10年代の漫才ブームでは浅草を中心に活躍している。

 米子の美貌と三味線、主水のボーっとしたボケと合奏を得意とした音曲漫才であったという。

 上記の写真からわずかにその雰囲気を知る事が出来る他、松浦善三郎『関東漫才斬捨御免』(1953年12月1週号)に、その人柄や芸風が記されている。

 おしまいに二人でハーモニカ、ギター、三味線、ラッパでにぎやかに合奏をやって笑わせるのは、其の一で書いた 武田章路と同じ型で神奈川県一帯にはむかしからの仕事の関係でお客さんも相当居る筈である。
 主水も今の米子とは古い割合に時々モメル事もある模だが、矢張り底に流れるものは ウマが合うというものか。どうやらクサレ縁?らしい。
 此の漫才は斯界の栗島すみ子といわれる米子のスタイルと三味線でモッているように見えるが、主水のボーッとした味も捨てがたい。主水の外柔の性質と米子の「オアイソ」の良い事も客筋におゝいにうけるらしい。
 ネタが十年一日の感あるのが難でどちらも舞台は古いのだから内容に一飛躍あって当然の時期。心気一転して若い者に負けないように斬新なしかも突飛なネタを取り入れて舞台でおいに暴れたら如何。米子の発散する年増盛りのこぼれるばかりのお色気をさらに活用して、もっと動く漫才(隆の家万龍が忙かしいモーションで身体を動かす……あの意味)にしてみたらきっと別の味と人気が出てくるに違いない。もっとも米子に限らず、一般に三味線を持ってしまうとあまり舞台で動かないようだが、これは今後大いに研究改良すべきである。

 1955年発足の漫才研究会にも参加しているが、余興や地方回りが多かったせいか、漫才大会などへの参加は積極的ではない。

 晩年、主水が病気がちだったそうで、波多野栄一は『寄席と色物』の中で、「一寸面白かった主水が病身で気の毒だった」と書いている。1960年代に没した模様か?

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