吉本萬公・近松近枝

吉本萬公・近松近枝

 人 物

 吉本よしもと 萬公まんこう
 ・本 名 吉本 萬五郎 
 ・生没年 ??~1953年以降
 ・出身地 鳥取県? 

 近松ちかまつ 近枝ちかえ
 ・本 名 吉本 チカ 
 ・生没年 ??~1953年以降
 ・出身地 ?? 

 来 歴

 現在だと色々憚られそうな名前であるが、れっきとした漫才師。戦前から戦後の一時期に活躍した。

 萬公は、鳥取の出身で民謡と三味線と琴に通じていたという。安来節の立花梅奴の一座で活躍した所から、安来節の出身か。

 戦前の『都新聞』などを見ると「吉本万五郎」名義で安来節の三味線として各劇場に出演している様子が確認できる。

 近枝の前歴はよく判らない。

 安来節衰退後、漫才に転向。長らく浅草で活躍していた。琴を弾き、歌を歌う不思議な漫才を十八番としていたそうで、波多野栄一『寄席と色物』の中に、

吉本万紅・近松 琴を引いていたと思うが?

 とあるのが確認できる。

 戦後も巡業などで活動を続けていたが、1953年夏に、引退。『アサヒ芸能新聞』(1953年12月1週号)掲載の『関東漫才切捨御免』に

今年の夏、長い東京生活におさらばをして故郷の鳥取に帰ったとかきいている吉本万公(立花梅奴が放送する時の琴はこの人)が相方の近松近枝と音曲をやっている時、近枝が唄って男の万公が三味線を持つ。

 とある。以後の消息は不明。

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