吾妻家ぼら・国春
人 物
吾妻家 ぼら
・本 名 鰡 伊三郎
・生没年 ??~1969年以降
・出身地 神戸?
吾妻家 国春
・本 名 鰡 ハルヱ
・生没年 ??~1969年以前
・出身地 神戸?
来 歴
戦前戦後に活躍した夫婦漫才。本名が「鰡」(ぼら)という珍しい名前の持ち主であった。
長らく上方が拠点で神戸の千代之座によく出ていた事から純然たる東京漫才とは言い難いが、戦時中関東によく来演し、籠寅興行などとも関係を持っていた事から、馴染みのない存在というわけでもなかった。
前歴はよく判らないが、出身は神戸か。
結構古い漫才だったそうで、1930年には一枚看板で舞台に上がっている。以下は『近代歌舞伎年表京都篇』に載った広告の抜粋。
毎日昼正午午後六時の二回開演で重なる顔触は、大正軒豆子・ 大正軒佐市・かつら信枝・かつら可笑・菅原家静子・菅原家三代春・井上ハイカラ・吉野家品子・葉村家奴・葉村家徳丸・都家春子・岸の家のぼる・砂川徳枝・泉金弥・橘家千代子・橘家梅三郎・京楽家辰遊・鳴戸家小人丸・荒川千花・緑・幸八・吾妻家ばら・秋山文夫・川口天楽・田中五楽で、他に余興として曲芸夏雲忠、奇術ジヤクター時天・天平と特別出演する米国産の世界的博士大はそれ、観客の注文によつて常識、計算等に動物として驚異的の頭脳のさへを見せ、今回の呼び物の一つとなつてゐる。観覧料は一等席金六十銭、二等席金四十銭、三等席金二十銭の破格大割引で見せると。」(「京都日出新聞」(註・1930年)1.6)。「「全国名人座長万歳大会」を十七日で打上げる…。」 (同紙1.4)
以降は神戸の千代廼座を中心に活躍。西条凡児、五条家菊二、中村種代・隅田川ちどり、都家駒蔵などが仲間であったという。
上方修業時代の松鶴家千代若と交友があったそうで、桂米朝『一芸一談』にゲストで呼ばれた際、
米 朝 それから、千代之座にボラさんという人がいました。
千代若 ボラ。はい。
米 朝 ボラというのは、あれ、本名なんですね。鰡伊三郎いうてね、それで名字がボラというんですよ(笑)
千代菊 あの人も面白いわ。
米 朝 面白い漫才でしたわなあ。
と語っている。
漫才的には、猥雑で一流の寄席には出演できなかったそうであるが、その芸と爆笑は確かなもので、千代之座では大変人気があった漫才だったという。秋田実編纂の『漫才』(No.16)に
地元出身の(ぼら・国春)がこれまた、神戸好みの至極ガラの悪い、そしてたくみな芸風で人気をかっさらっていた。なにしろぼらヤンは相手の国春(妻クン)に頭をコツかれて振り廻され、その挙げ句に顔を国春の股(また)の処へぶっつけた、とたんに鼻をつまんで「風呂行きやァ……」のやってよろこばれていた点では、吉本漫才のオトロシヤ事(喜昇芳子)のコンビと好一対であった。春風、秋風、三十年!! 喜昇クンもぼらヤンも相手は失ったが健在と聞く。
とある。この記事が出たのは、1969年の事。その当時、ぼらだけは健在だった模様。以降の消息はよく判らない。
コメント