大津万由美・万之助
人 物
大津 万由美
・本 名 東原 春江
・生没年 ??~1955年以降?
・出身地 ??
大津 万之助
・本 名 東原 豊次
・生没年 ??~1955年以降?
・出身地 ??
来 歴
大津お萬の弟子で、夫婦だったと聞く。万之助は戦前「廣見孝也」と名乗っていた。なぜこんな名前で、後年改名したのか不明。
昭和10年代より、浅草の舞台に現れるようになり、浅草漫才の一組として活躍した。
戦後も漫才を続投し、「剣劇漫才」を看板にして、地方回りを専らに活躍した。
『アサヒ芸能新聞』(1953年11月3週号)の松浦善三郎『関東漫才切捨御免』に詳しい芸風が出ているので引用する。
◉大津万由美 万之助
慰安会の会場で子供のお客さん達が少々ダレテ来て場内が騒がしくなっている時でも、地方の劇場における興行で一パイひっかけた兄ちゃん達がヒヤカシ半分で、意味もなく「面白くねェぞ」とドナリはじめた時でも、このコンビが登場すればたいてい客を舞台に引きつける。看板の「剣劇漫才」の通り、最初から両方の口調と呼吸が激しく、万由美の機関銃的シャベリは定評もの、たいがい客の方でのまれてしまう。万由美がクラリネットを吹いて万之助が浪曲をうなるクダリはおもしろいめったにやらないが万之助の「酔態」をみせるところがまた秀逸。興に乗ると客にウシロを見せて立小便の型を演ずる。実に細い芸で客は元より舞台袖にいる進行係までが本水を出すのではないかと、びっくりする位真に迫る。あまり上品なものとは勿論いえないが「写実」もここまで行けば論難の城の外。トリにお目当ての剣劇。万由美が手甲脚絆にあやだすき、着物の裾を高々と巻り上げ、太い足を見せて(色気あり!)女侠客の気持で大立回りをやる。景品に万之助の「トンボ変り変型」がつく。ともかく珍重すべき目の漫才の一つ。
酔態のションベンという芸がすごい。今ならば、コンプライアンスやらなんやら怒られそうな時代であるが、当時はこういう芸が一種の看板芸として認められていたのである。「魚釣り」のションベン、林家末廣の「うんこ噺」などと並ぶ傑作ではないだろうか。
1955年の漫才研究会設立に関与し、会員として所属している様子が窺えるが、間もなく名簿から名前が消える。如何せんよく判らないコンビである。
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