あちゃらか・ぐるっぺ(入江将太)
人 物
人 物
入江 将太
・本 名 入江 将太?
・生没年 1924年7月17日~没
・出身地 ??
宝 大判
・本 名 犬井 國夫
・生没年 1917年2月16日~1990年代
・出身地 新潟県 新発田市(台湾)
宝 小判 (二代目)
・本 名 小笠原 敏夫
・生没年 1930年7月24日~2004年9月15日
・出身地 青森県 十和田湖町
来 歴
あちゃらか・ぐるっぺは入江将太を中心に結成された兵隊コントグループ。宝大判・小判と行動を共にしたり、大瀬こいじたちと共に若手を率いて兵隊劇を演じていたこともある。一時期人気あったが、経歴に謎が多い。
入江の生年は出演者名簿によって違うが、「1924年7月17日」という記載が一番多い。これをデータとして採録した。
元々は喜劇役者だそうで、喜劇俳優協会に所属していた様子も確認できる。どうも浅草喜劇のスター・清水金一の一座にいたらしい。『笑いの王様シミキン 強いばかりが男じゃないといつか教えてくれたひと』の色川武大の寄稿に――
わりに末期まで焼け残っていた静岡歌舞伎座の定打ちのメンバーの中に、永田キングの相棒だったミス・エロ子が、エロ子という名前のままで出ているのを知って、芸人のしたたかさに、溜息が出るほど感心したことを憶えている。(鬼才の永田キングはその頃精神病院に入院という噂だったが)この静岡歌舞伎座は三崎千恵子や楠トシエも歌手で出ていたはずだったろう。 上野界隈の興行社では、十文字八重子(高屋朗夫人)や、入江將(小型シミキンタイプだった)、 滝譲二(サーカスのピエロ出身小笠原章二郎ふうのバカ殿役が売り物だった)、雪丘純(笑の王国出身の二枚目)などの小一座のビラをみかけたが、多分臨時編成だったろう。
とそれらしい人物が出てくる。永田キングの静岡歌舞伎座時代は戦後直後の話なので、戦後間もない頃から出入りしていたのは事実なのだろう。
一時コンビを組んだことのある新山ノリロー氏も「入江さんは喜劇上りだって当人からも聞いた」との由であった。
シミキンは1950年代に人気が落ち目となり始め、一座も解散となった。そうしたこともあって漫才界に入って来たらしい。
相方を決めずに転々としていたらしいが、まだ前座であった新山ノリローを誘ったという。ノリロー氏いわく――
「1955年に悦朗親父に入門したけど、相方はいないし、ずっとカバン持ちだったんだね。それである時、兵隊漫才の入江さんに誘われて暫定的にコンビ組んだ事あるけど、すぐに悦朗親父に露見して『やめな、やめな』と言われたことがある」。
その後は兵隊コントと役者の二束草鞋を履いていたらしく、シミキンが最晩年に「モカル座」を結成した際、参加している様子が確認できる。
昭和三十五年八月●渋谷東横ホール
※モカル座第八回公演
▽トテチテタ作……有吉光也
演出…有吉光也、梶孝三 美術…伊藤寿一 音楽…山本浩久 照明…原英一 効果…松井誠 舞台監督…森本宏 製作…林嵩
出演…黒木憲三、沖竜太、中山悟、赤羽茂、入江将太、坂本新兵、加茂喜久、加藤雄二、富士山竜、三田村賢児、長谷謙、高畑文也、浜野隆、高畑喜三、渡辺十四男、三遊亭万遊、北海助、志賀欣也、山本正明、中野譲、南進一郎、浮田左武郎、宮城麗子、西川薫、荒川佳子、泉珠代、今村紀美子、久保田綾子、中根恭子、田崎早苗、水野あけみ、井上宣子、峰阿矢、星清子、朝霧鏡子
しかし、そのシミキンも自殺未遂を起こしたり、大阪へ行ってしまったために劇団は解散。
その後は本格的に演芸界へと参入し、1960年代に宝大判・小判とトリオを組んで「兵隊トリオ」を結成。1963年度の『出演者名簿』には既に名前が確認できる。当時は太田プロに所属していたようである。
名前の通り、旧日本軍の衣装で高座に上がって、「間抜けな二等兵、威張り散らす上等兵」という戦前流行した兵隊漫才の味を見せた。
当時、兵隊酒場やキャバレーの人気も相まって、なかなかの人気を集めたという。
『週刊サンケイ』(1966年9月5日号)の「3秒に1回笑わせるトリオ・ブーム」に――
昨年あちゃらか・ぐるっぺ(四十年十月結成)の前身、兵隊トリオが、九州で舞台に出たときのこと、客がドタバタ喜劇のギャグにおこり出して、舞台がめちゃめちゃになった一幕があった。
リーダー入江将大ふんする”お笑い二等兵”が、将校相手の芝居で、軍歌のあいだに骨まで愛して”を歌ったりして、往年の軍国主義をチャカして客を笑わせていたところ、いきなり年輩の客が一人、真っ赤な顔をして立ちあがり、
「わが日本陸軍をぶじょくするとはなにごとだ。みなさん、どう思いますか。こんなバカな芸人がいるとはまったくもって言語道断、きさまら、ただちに退場しろ」と、本気でおこり出したという。
こんな大騒ぎはその後はないが、当の兵隊トリオはあちゃらか・ぐるっぺに脱皮して、目下“お笑い二等兵”の現代版を検討中。「自衛隊をネタにしよう」「いや、どうせやるならカッコいい水兵にしよう」と、トリオ内でもドタバタやっている。
と笑えないような話が出ている。
1965年10月、お笑いグループ「あちゃらか・ぐるっぺ」を結成。数人の芸人を引き連れて兵隊コントを行っていた。その中には若き日の大瀬こいじも在籍していた。
その後はメンバーを転々としながらも、昭和末まで兵隊コントを見せ続けていた
キャバレーなどでは需要があったというが、放送コードの厳しいテレビなどではほとんど出しては貰えず、いわばカルト的な人気を持つ芸人として存在感を発揮した。
1960年代後半から1970年代にかけては浅草松竹演芸場にも出ていたが、間もなく出て来なくなった。
兵隊漫才そのものが忌避されるようになった中で、最後まで兵隊コントを演じ続けていた――というのだからすごい。宝大判・小判と共に最後の兵隊漫才といえるだろう。
1990年代まで活躍が確認できるが――その後はどうなったのだろうか。