玉松サチ子・ミスワカミ

玉松サチ子・ミスワカミ

ミスワカミ・玉松サチ子(右)

ミス幸枝・ミスワカミ

 人 物

  玉松たままつ サチ子
 ・本 名 山田 咲子
 ・生没年 1915年10月20日~没
 ・出身地 北海道

  ミス ワカミ
 ・本 名 木村 まさ子
 ・生没年 1919年1月18日~没
 ・出身地 島根県

 来 歴

「ミス」の亭号通り、上方漫才の「ミス・ワカナ・玉松一郎」の弟子。貴重な女流漫才であったが、そのくせ経歴がほとんど知れない。

 わずかに、『芸能画報』(1959年4月号)掲載の『新撰オールスタァ名鑑』に略歴が出ている。

 ワカミ ①木村まさ子②大正8年1月18日③島根県④神戸市立高等家政女学校中退し、初代ミスワカナに師事修行し漫才界に入る。

 サチ子 ①山田咲子②大正4年10月20日③北海道④七才で三味線、長唄を習う。二〇才で中村力春に師事し漫才界に入る。戦後、家庭の事情で二年間中断する。

 ワカミの師匠・中村力春は中村種春門下なので、根は中村流という事となる、

 サチ子の本名の「咲子」という所から、戦前に活躍した東咲子という漫才師(本名・小林咲子)ではないか、という推測も立てられるが、同一人物かどうかまでは判らない。また、「玉松サチ子」と名前を変えた事情もハッキリとしない。

 1955年2月、ワカミは漫才研究会発足に伴い、入会。初期メンバーとして名を連ねた。その頃はミス幸枝なる人物とコンビを組んでいた。

 1957年7月、松竹演芸場下席に出演した際は、「玉松ワカミ・ミス恵子」なるコンビ名になっている。

 1959年、『芸能画報』に取り上げられた際は、ミスワカミ・玉松サチ子になっている。

 1960年1月、松竹演芸場上席に出演。その時は、「玉松ワカミ・幸子」名義。

 その後もしばらくの間、松竹演芸場の広告や香盤に名前が見えるが、間もなく消息不明となる。どうもその後は宮田洋容率いる「東京漫才協会」に籍を置いたらしい。

 写真がわずかに残っているだけましというべきだろうか。

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