ロマンスガールズ(ロマンス清美・由美・多枝子)

東京漫才を彩った人々
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ロマンスガールズ

(ロマンス清美・由美・多枝子)

 

 

 人 物

  ロマンス 清美きよみ

 ・本 名 服部 清美
 ・生没年 1930年代?~??
 ・出身地 群馬県

  ロマンス 由美ゆみ

 ・本 名 守屋 由美子
 ・生没年 1930年代?~??
 ・出身地 ??

  ロマンス 多枝子

 ・本 名 赤司 妙子?
 ・生没年 1930年代?~??
 ・出身地 ??

 

 

 来 歴

 戦後活躍した女流音楽トリオ。所謂歌謡漫談の一組として、西のかしまし娘や、同僚のさえずり姉妹などと人気を競い合ったという――が謎が多く残る不思議なグループである。ロマンスの名の通り、華やかで女の長所を生かした舞台を展開したという。

 前歴などには謎が残るが、幸いにして『東京新聞・夕刊』(1965年3月27日号)の『われらボーイズ⑨』の中に、彼女たちの事が記されている。これを引用して、前歴紹介としよう。逆に言えば、これくらいしか資料がないんである。

 女ボーイズの古手である。清美、多枝子、由美の三人組で清美がネエサン株。
背は高くないが、ガッチリしたからだ付きの妙子が一番重いアコーデオンを持ち、あとはギターをかき鳴らす。女だけにしゃべる方も達者で「クレオパトラ」「お夏清十郎」「小野小町」など、スジものが得意だ。衣装は和服。
三人とも一時、銀座のクラブに出ていた女ばかりのタンゴ・バンドにいた。清美は群馬県の生まれだけにカラッ風にはぐくまれた向こうッ気の強さ、それがいまの仕事になってもだいぶ年の離れた、そして女っぽい多枝子、由美のけん引力になって長続きしているゆえん。気の強い一方、無類のお人好しで、言わでものことをベラベラしゃべってしくじることもあるくらいである。多枝子、由美はノホホン型で「清美ねえさんがやるっていうからやりましょうよ」という調子だ。多枝子などは生来無口で、口をきかずにいるには楽器でもひいていたらいいだろうというので、アコーデオンを習ったそうだ。
最近やっと舞台に欲が出てきたようで、舞台のでき不できでケンカもするようになった。これで、チームも解散かと思わせるような激しいのもやるが、清美はきげん直しにいっぱいやり、多枝子・由美はそのそばでバクバクものを食べて、それでおしまいである。
「本当に独身かって……。もちろんですよ。多枝ちゃんも由美ちゃんも、お見合いの話はよく起こるんですが、てんで受けつけないのよ。親ごさんたちあきらめちゃったらしいわ。私はともかく、いえほんと、若いふたりには何とかいいおムコさんが現れてくれるといいんですが……。せっかくロマンス・ガールズって名前がついているのにロマンスのロの字も起きないんだから。名前負けっていうんでしょうかね
」清美が言うと「そんな宣伝しないでよ」と若いふたりがひとにらみする。

 結成年は、1959年頃か。遠藤佳三氏旧蔵の『第19回NHK漫才コンクールパンフレット』(上記写真がその抜粋)の中に「ボーイズを十年やったところで――妙子がやめ、おととしから二人になった。」とある。1971年のおととしは、1969年。そこから10年ひけば――

 しかし、これは清美・多枝子、由美のトリオ体制になった結成年らしく、1957年3月、松竹演芸場下席の番組の中に、「ロマンスガールズ」として出演している様子が確認できる。以下はその番組表の写し。

3月下席

五一郎劇団 人情悲喜劇楽しき人生双六

大朝家五二郎構成演出のロマンスガールズの全国民謡歌の旅

 お笑いボンゴ 服部清美
 ギターと踊り 明石美雪
 アコーディオン 三峰多枝子
 男装の麗人 豊茂美

堀井清水とそのグループダイヤトリオ

 三味線 堀井清水
 ギター 伊藤光男
 アコーディオン 小川久夫
 トランペット 馬場宏

中野弘子蝶々座 遠山櫻江戸ッ子奉行

腹話術(歌と楽器で)チャー坊と後藤宗吾

漫才(とかく浮世は)東右太郎 京左太郎

落語 三遊亭圓右

漫才(歌謡コント)片岡竜夫 竜子

奇術 塚田春雄

 当初は四人構成だったらしく、すぐに抜けたであろう二人の名前が記録されている。また、師匠分は大朝家五二郎だったらしく、長らく五二郎経営の芸能事務所が三人の住所として登録されているのは見逃しがたい。

 1961年3月、宮田洋容一派が立ち上げた「東京漫才協会」に加入。間もなく開催された漫才大会に出演している様子が、『読売新聞・夕刊』(4月27日号)の記事から伺える。

東京漫才協会は東急文化会館と提携、五月五日夜に「東急文化・漫才まつり」を宮田洋容・布地由起江、宮島一歩・三国道雄、隆の家栄竜・万竜、杉ひろし・まり、桜川ぴん助・美代鶴、朝日日の丸・東喜世美、ロマンス・ガールズ(服部清美、三峰多枝子、美良野由美)らの出演でひらくが、子どもの日なので漫才の内容もそれにちなむものを公演する。

 1965年、「東京ボーイズ協会」結成に伴い、上記の記事が紹介されたものの、当のロマンスガールズは協会の発足に関与していない。どうしたものだろうか。

 主に松竹演芸場や放送などで活躍。女三人組の珍しいスタイルの歌謡漫談として、相応の人気を博したという。また、新作落語・漫才の結束と発展のために結成された「落語・漫才長屋」に参加。新作台本を与えられ、たびたび出演している。

 1969年頃、多枝子が脱退し、トリオを解散。二人は引き続き「ロマンスガールズ」の名義で漫才師となる。

 1971年4月12日、NHKホールで開催された「第19回NHK漫才コンクール」に出場。その時のパンフレットの写しがあるので引用しよう。

ロマンス清美 ロマンス由美

 こんなヴェテラン・コンビが、なぜ初参加なのかと、疑問の向きもあろうが、裏にはこんないきさつがある。

 彼女たちはいままで服部清美(ロマンス清美)、守屋由美子(ロマンス由美)、赤司妙子のトリオで「ロマンスガールズ」という歌謡漫談のチームをつくっていた。歌謡漫談のことを、芸界用語で「ボーイズ」という。楽器をもって弾き、歌い、しゃべるチームの総称だから、女性でもボーイズという不思議な表現になる。ボーイズという芸界は漫才とはおのずから別のジャンルをつくり出しているのである。

 ボーイズを十年やったところで妙子がやめ、おととしから二人になった。二人なら漫才というので「漫才協団」に加入して、ようやくことしのコンクールに初参加という切符を入手したわけだ。同時にロマンス清美・由美と芸名も改めた。だからギターは二人ともお手のもの。楽器を放しても、対話の呼吸は合っている。

 歌ものでゆくか、コスチューム漫才でゆくか、このコンビの新しい道は二つある。紅一点(二点か?)は拍手をよびそうだ。

 1972年頃まで、その存在を確認できるが、間もなく名簿や番組表から名前が消える。寿引退でもしたのだろうか?

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