文の家都枝・七五三

文の家都枝・七五三

都枝・七五三 関係者提供

 人 物

 ふみ 都枝とし

 ・本 名 藤原 竜之助
 ・生没年 1899年1月24日1970年
 ・出身地 大阪

 ふみ 七五三しめ

 ・本 名 藤原 りん
 ・生没年 1897年3月10日1980年以降
 ・出身地 ??

 

 

 経 歴

 関西を中心とする活躍をしたコンビ故、少々東京漫才の趣から外れる所もあるが、戦前に東京を拠点にしていたので、東京漫才として記す。また、都枝の落語家時代もまとめて記す。字数制限がないからね、しかたないね。

 都枝は、明治の終わり頃に、上方落語の大御所、二代目桂文之助に入門。その経歴は、『上方演芸人名鑑』に出ているので引用。

都枝 本名藤原竜之助。一八八九(明二二)~一九七〇(昭四五)。はじめ桂文之助(二代)に入門。後に笑福亭福松の門下となる。妻の文の家七五三と、小道具を使用して珍芸を披露した。自らはこれを“漫芸”と名付けた。

 前座修行を経て、1914年頃より「桂都枝」名義で、大阪や神戸の寄席に出演するようになる。以下は、『上方落語史集成』を参考にし、新聞や雑誌に当たった。

 一番古いのは、1915年2月1日、『大阪朝日新聞神戸付録』で、

◇ゑんげい 一日から変る各席の顔触れは、
◎戎座 圓車、春堂、正輔、都枝、圓三郎、一朝、春輔、小文枝、朝枝、米紫、正楽、扇蔵、ジョンベール
◎都座 扇雀、福圓、枝三郎、福林、圓都、圓水、扇蔵
◎栄館 圓可、扇蔵、福圓、福林、福圓

 さらに、『神戸新聞』(5月10日号)に、

◇大和座 京阪合同落語は頗る好人気たるが、本日より六時開演、出番を左の如く変更

團幸、都枝、市馬、正輔、太郎、春輔、花橘、小文三、小米、圓三郎、鶴吉、小四郎、イルマン、アルマン

 また、『神戸新聞』(7月7日号)に

◇面白い余興(須磨海水浴余興) ・・・尚右の外余興場では大和座出勤落語家連中の落語、手踊、滑稽琵琶、軽口、曲芸、滑稽奇術があり何れも得意のものを演じてヤンヤといわせる筈であるが、中にもこの一行に依って演ぜられる本社小説「雲」の喜劇は絶好の悲劇を喜劇にしたもの。如何に面白いものになっているかは見た上でのお楽しみ、場面は「凱旋祝賀会」「水野花枝宅」「真島浩造邸」の三場から成り役割は左の如くである。

真島浩造(扇蔵)娘喬子(春輔)妻元子(玉助)高利貸武平(ジョンベール)悪漢銀次(正輔)唐津夏彦(三升)島御堀(太郎)龍岡敬三(鶴吉)屑久(團幸)女房やす(都枝)娘花枝(一圓)魚屋藤三郎(圓三郎)

 このあたりから定席にも出演するようになり、

◇演芸だより 
△栄館 文鳴、南朝、一奴、歌昇、東兵衛、呂光、若呂光、三尺坊、かほる、小正三、阪本、天地、小圓太、鶴八、亀八、文字助

△都座 南朝、歌昇、文鳴、鶴八、亀八、小正三、かほる、一奴、小圓太、文字助、呂光、若呂光、東兵衛、三尺坊、阪本、天地

△戎座 生田前戎座は一日より木戸場代半額として出番を左の如く変更。圓車、都枝、明遊、玉輔、三升、太郎、春輔、圓三郎、龍生、鶴吉、一圓、扇蔵、千橘

『神戸新聞』(8月1日号) 

 

<都座改め日の出座>
◇落語 左の如く出番替え。
◎大和座 余興百物語、座員総踊、都枝、圓弥、玉輔、團幸、明遊、正輔、鶴吉、三升、太郎、市馬、圓二郎、弥次郎兵衛、春輔、圓三郎、扇蔵、千橘

◎栄館及び都座改め日の出座 文鳴、南朝、米之助、謹吾、金之助、時三郎、圓笑、望月、文紅、花月、五郎、三木松、門三郎

『神戸又新日報』(8月11日号)

 芸種が明らかになるのは、『神戸新聞』(1915年8月15日号)で、

◇各種の演芸(須磨海水浴場) 余興場にては大和座落語連の手に依り本紙七面に揚げたる「怪談涼床」を喜劇に脚色上場なるゝの外左の諸芸を演ず。

落語手踊(小三太、小圓、圓車)曲芸手踊(都枝)百面相(玉輔)落語音曲(正輔)音曲琵琶(團幸)落語手踊(三升)一人相撲(鶴吉、弥次郎兵衛)音曲舞(太郎)奇術身体運動(春堂)音曲鰌掬い(千橘)落語(春輔)音曲(市馬)相舞(扇蔵、圓三郎)

 と、あるのが、初出か。この広告群を見ると、日の出座なる閥に所属していたようである。

 『神戸新聞9月13日号)に、

◇栄館 落語家出番左の如し。正輔、玉輔、團橘、市馬、圓之助、三升、團幸、圓天坊、圓二郎、扇蔵、茂子、明遊、圓、鶴吉、弥治郎兵衛

◇日の出座 本日よりの出番左の如し。小圓二、團幸、正光、圓弥、美都、圓天坊、扇蔵、三升、市馬、圓三郎、都枝、圓二郎、圓、春輔

 『神戸又新日報10月1日号)に、

◇落語 本日よりの顔触れ及び出番順。
▲日の出座 都枝、圓之助、圓二郎、正輔、鶴吉、一圓、正楽、三升、圓三郎、圓天坊、扇蔵、萬光、春輔、花橘

▲大和座 圓橘、正輔、團幸、都枝、三升、圓二郎、圓三郎、鶴吉、弥次郎兵衛、正楽、萬光、花橘、春輔、圓天坊、扇蔵

 『神戸新聞』(10月15日)に、

◇落語連出番 日の出栄館出勤落語連本日よりの出番左の如し。

△日の出座 團幸、正輔、圓弥、玉輔、圓之助、都枝、圓天坊、かる口、春助、三升、光鶴、圓二郎、正楽、圓三郎、花橘、萬光 
△大和座 橘六、玉輔、團橘、都枝、正輔、團幸、三升、圓次郎、圓天坊、弥次郎兵衛、鶴吉、春輔、花橘、光鶴、萬光、正楽、圓三郎
◇落語連派名募集 新開地日の出座、大和座出勤の馴染みの落語連圓三郎、弥次郎兵衛等一座は、今回懸賞にて派名を募集することとなり、一等当選者は六ヶ月間有効の優待券を送るべしと。申し込みは日の出、大和両座。来る二十五日締切。

 『神戸又新日報』(11月1日号)に、

◇大和座 今月の出番は左の如し
圓、小米、米紫、正楽、光鶴、小圓丸、圓丸、圓天坊、圓三郎、喜多八、弥次郎兵衛、圓二郎、春輔、三升、鶴造、正輔、團幸、圓玉、玉輔、都枝、小文我等

 

1916年

神戸又新日報1月18日号)に、

◇大和座 東西合併落語は今晩より左の出番。

圓丈、圓弥、正輔、右近、左近、都枝、圓八、たふく、三升、歌丸、歌六、光鶴、圓三郎、春輔、次郎、太郎、馬琴、圓天坊、武生、正楽、大切次郎太郎の軽口

 『神戸新聞』(2月4日号)に、

◇大和座 大阪三友派合同一座にて開演左の如し。

都枝、圓丸、我太郎、正輔、圓弥、三升、春輔、次郎、太郎、馬琴、正楽、文我、小米、観月、蔵之助

神戸新聞』(4月1日号)に、

◇大和座 本日よりの落語出番左の如し。

玉輔、正輔、圓弥、都枝、圓丸、三升、次郎、馬琴、圓天坊、光鶴、春輔、圓三郎、一圓、正楽、太郎、萬冶、萬三、三八、小文枝

 翌日の『神戸又新日報』(4月2日号)に、 

◇落語 一日より左の出番順。

◎日の出座 本日より大阪俄喜笑會の團一郎、花喜津、團楽、芝喜、團輔、馬鹿八、團橘、團升、馬鹿六、十笑、團玉一座にて開演
◎栄館 春三、玉輔、圓丈、圓丸、都枝、馬琴、三升、萬三、萬冶、三八、小文枝、太郎、圓天坊、一圓、光鶴
◎大和座 玉輔、圓弥、正輔、都枝、圓丸、三升、次郎、馬琴、圓天坊、光鶴、春輔、圓三郎、一圓、正楽、太郎、萬冶、萬三、三八、小文枝

 このころから、吉原興行部のお抱えの芸人として、人気を博し始めた模様か。

神戸新聞』(5月20日号)に、

◇帝国館改称 日活直営活動写真常設館たりし帝國館は、今回内部の構造を改め千代之座と改称し、来る二十日より落語定席として開場する事となりたるが、初興行は大阪三友派の幹部桂文團冶、同小文枝、同春團冶、同米團冶、橘家圓太郎、同蔵之助、橘の圓、三遊亭圓子、林家染丸、金原亭馬生が毎夜交代出演するの外左記大一座なりと。
橘家春三、同弥左衛門、同小三太、同圓六、同圓丈、同圓丸、同圓天坊、同圓三郎、桂南喬、同米之助、同都枝、同玉輔、同三木弥、同春輔、同三升、同萬光、橘の一圓、同太郎、同次郎、金原亭馬琴、笑福亭光鶴、林家正輔、同正楽、美の家可祝、春風亭柳昇

神戸新聞』(6月1日号)に、

◇戎座 一日より左の顔触れにて出演

都枝、南喬、圓天坊、米紫、文我、馬琴、花橘、光鶴、染丸、圓三郎、松琴、圓枝、季有来

神戸新聞』(9月1日号)に、

◇戎座 桂小南、橘家圓三郎合同一座の顔触れ左の如し。

小南、春輔、馬琴、可昇、与二郎、都枝、圓丈、圓三郎、圓天坊、三升、太郎、三郎、南喬

 1917年

神戸新聞』(4月1日号)に、

◇千代廼座 一日より従来の連中に、桂三木助、英人ブラックを差加えて開演すべく。その出番は左の如く。

都枝、米之助、三升、可昇、三郎、太郎、圓天坊、春輔、文我、蔵之助、ブラック、三木助

 この時、「七福神」なる珍芸大喜利を披露したそうで、神戸新聞』(4月3日号)に、

◇神戸新聞社新築祝賀今明日の余興 千代廼座連中の七福神行列 

大黒天(橘家圓天坊)戎三郎(桂春輔)弁財天(立花家妻奴)毘沙門(桂可昇)寿老人(桂都枝)福禄寿(桂三升)布袋(桂米之助)

『上方落語史集成』に、写真が出ている。興味ある人は、リンクから飛んでください。

 5月1日、桂米丸襲名披露公演に列席。『神戸新聞』(5月1日号)に、

<三代目桂米丸襲名披露会・神戸千代廼座>

◇千代廼座 本日興行は大阪三友派桂小米が三代目米丸の襲名披露として三派の幹部松林若圓、桂春團冶、同米丸、同文團冶、初の家与次郎の新顔に、染二、都枝、米之助、可昇、三升、圓天坊、春輔が出演す。

 2代目桂米丸は、後年、桂小文治と改名。大阪の落語家にもかかわらず、東京落語の大幹部として君臨した。

神戸新聞』(6月1日号)に、

◇千代廼座 一日より花橘、染丸、小南が加わり出番を左の通り変更せり。

都枝、三升、可昇、三郎、太郎、氏原一、尾半、小半、東蝶、かほる、圓天坊、春輔、李有来、李金来、小文三、花橘、染丸、小南

神戸新聞』(6月30日号)に、

◇千代廼座 一日より花橘、染丸、小南が加わり出番を左の通り変更せり

都枝、三升、可昇、三郎、太郎、氏原一、尾半、小半、東蝶、かほる、圓天坊、春輔、李有来、李金来、小文三、花橘、染丸、小南

 夏は、海水浴場の余興に出演。『神戸新聞』(7月16日号

◇海も陸も人の波人の山(須磨海水浴場余興) ▲割れる如な人気 △お馴染みの千代廼座連中が出る春天、圓郎、春兵衛、春三、小三太、年之助、春太郎、小枝、染二、米之助ら連中の若手から飛出して御機嫌を伺うと、番毎にキャッとキャッとお腹を抱えて大喜び、次いで都枝の滑稽琵琶と体操ダンス △三升、圓天坊の落語と手踊、春輔の一口話、可昇、小文三、かほるの落語、手踊、さては太郎、三郎両人の音曲など何れも大喝采で余興場は割れるような人気である。

神戸新聞』(7月31日号)に、

◇千代廼座 一日より左の連中出演し大切余興として落語角力、怪談俄、滑稽萬歳等あり

小三太、春太郎、染二、米之助、都枝、可昇、三升、三郎、太郎、圓天坊、春輔、かほる、正團冶、歌次、光鶴、小文三、正楽

 この中に出ている歌次は、後年ボヤキ漫才で一世を風靡した都家文雄その人であるそうな。

神戸又新日報』(10月1日号

◇戎座 左の顔触れ。南喬、圓文、柴鶴、橘奴、橘三郎、都枝、枝右衛門、紋之丞、圓歌、吾妻太夫、白魚、圓三郎、明道、大切余興菊人形

 

1918年。

神戸又新日報』(1月31日号)に、

◇千代廼座 奇術正光を余興として、来月は左の顔触れ。

文團治、圓遊、小半、圓三郎、春輔、圓天坊、圓歌、染五郎、扇紫(蔵)、来(米)之助、都枝

山陽新報』(3月13日号)に、

<三代目橘家圓三郎一座・岡山大福座>

◇大福座 落語三日目の語物左の如し。

兵庫船(橘弥)伊勢参り(春三)ないもの買い(米三郎)掛合噺(社中)前田犬千代琵琶(都枝)材木丁稚(太郎)現今の芸界(歌路)辻占茶屋(染五郎)煙草盆(みどり)子猫(正楽)音曲集(三郎、太郎、歌路)景清(圓天坊)お文さま(圓三郎)大切総出踊

神戸又新日報』(4月1日号)に、

◇生田前戎座 本月は左の顔触れ

都枝、歌路、染五郎、圓歌、圓天坊、春輔、しん蔵、かる口、圓三郎、扇蔵、正楽、門左衛門、馬琴、小文三、妻奴、圓子

神戸新聞』(7月8日号)に、

◇本社主催海水浴場開場披露會 …余興開始のシャギリが入ると、モウ身動きならぬほどの満員で、白い扇子がチラチラと美しい。能舞台そのままの上品な舞台には、お馴染の落語家連が立替り入代つて御機嫌を伺う。扇松、圓郎、春三、小米喬、三太郎など、何れも可笑味タツプリで引退ると、人気者の春輔が真黒い顔を突出して、得意の「滑稽講釈」を弁じ立てる。小残月の「千人結び」は閑院宮妃殿下の御仁悲物語というべき高尚な話で大喝采、次いでチャップリン、ウグイスの萬歳、春松の音曲、圓歌の落語などいづれもお腹の皮を撚らせて余興場大景気である。三升が落語と自慢の踊りで大當てると、太郎三郎が相舞いの「汐汲み」で、涼しい舞振りを御覧に入れ、歌路、染五郎、門左衛門亦何れもヤンヤで引退る。次いでワンダー正光の奇術は「不思議の帽子」と「飛行時計」でアツといはせ、一圓小半の軽口から立上つての滑稽舞、美人若呂光の舞では、茶目の一圓が飛込んで興を添へ、それから圓天坊の落語、謎かけに都枝の滑稽琵琶、太郎三郎の鰌掬いと、面白い見物や聴物が続々現れ、最後に圓三郎、扇蔵の十八番、胸の透くやうな「槍錆」から奉書試合までキツパリした型と呼吸の合つた所で大盛況。・・・・・・。

神戸新聞』(7月22日号)に、

◇賑わい立つた境濱 昨日の境濱海水浴場は土用に入っての第二日、折柄日曜の余興デーで、おまけに興味の深い寶探しがあるというので、朝から海水浴へ出掛ける人々夥しく兵電兵庫終点は一方ならぬ混雑を呈した・・・・・・・続いて瀧子の真正剣舞、歌路の音曲、圓歌の話、染五郎の踊から春輔が気の利いた小話で喝采を引浚へ、圓天坊の話から、圓三郎の舞「六歌仙」は相変らず巧いもの、次いで扇蔵の「槍錆」に圓三郎も加わりて十八番の「奉書試合」を見せ、都枝の滑稽琵琶と鰌掬いでワッといわすと一郎三郎太郎三少年の踊りがあつて、小半の滑稽「活惚」で大喝采裡に打ち出したのは午後五時であつた。

 

1919年

 まだまだ噺家生活は続く。

北国新聞』(7月15日号

<三木助圓馬二人会・金沢一九席>

◇一九席 本日より東京落語三遊亭圓馬、桂三木助合同一座

笑話手踊(木馬)噺滑稽音曲珍芸(都枝)滑稽落語扇舞(とん馬)教育美談(小残月)滑稽人情落語舞踊(三木助)滑稽人情落語咲分(圓馬)大切掛合手踊沢山(三木助、圓馬)

 同年、初上京。当時流行していた東西交友の一環での上京であった。

 『都新聞』(9月1日号

◇広告 東西合同演芸会社案内出演順

◆京橋金沢亭 圓都、圓光、小圓遊、圓天坊、馬生、都枝、一光、幅丸、登美嬢、文楽、染五郎、談志、小残月、太郎、橘ノ圓
◆神田入道館 圓之輔、太郎、とん馬、小残月、染五郎、歌路、市馬、圓都、馬生、都枝、圓、登美嬢、圓天坊、一圓/小半、圓子
◆上野鈴本亭 さん好、一光、都枝、登美嬢、小残月、圓天坊、圓子、越山、市馬、一圓/小半、馬生、小團冶、小三冶、新朝、おも茶
◆浅草公園万世館 龍若、有村、橘太郎、圓、小三冶、鯉之助、助平、伯英、圓車、正楽、扇馬、小燕枝、さん好、圓光、都枝、燕柳

 

 翌興行も出演、『都新聞』(9月15日号)に、

◆神田入道館 花輔、橘太郎、市馬、都枝、吉奴/圓子、圓都、染五郎、登美嬢、一光、圓、長寿、三木助、一圓/小半、馬生

◆京橋金沢亭 春吉、文楽、圓天坊、茶風林ウグイス、市馬、小残月、長寿、吉奴/圓子、花輔、馬生、歌路、都枝、圓都、三木助

 チャップリン・うぐいすが出ているのが貴重で、かつ面白い。

神戸又新日報10月1日号)に、

◇千代之座 一日より左の顔ぶれなりと。

歌路、都枝、橘太郎、右圓遊、圓輔、扇三、幅丸、小三冶、登美嬢、曲芸丸井亀二、丸井亀次郎、米團次、馬生

神戸又新日報』(10月30日号)に、

◇千代之座 三十一日より出番変りの上左の如し 歌路、都枝、右圓遊、扇三、女道楽、小燕朝、燕朝、登美嬢、圓都、小半、一圓、門左衛門、花橘、三木助、圓

神戸又新日報』(11月1日号)に、 

◇生田前戎座 本日より出番順左の如し。 宗之助、圓丈、梅幸、橘太郎、扇三、花橘、圓都、歌路、右圓遊、三木助、都枝、女道楽、門左衛門、登美嬢、圓

 

1920年

 前半不明なところを見ると、巡業にでも出ていた模様か。また上京している様子が、『都新聞』(7月1日号)の広告から伺える。

◇東西落語演芸会番組

◆神田入道館 今太郎、圓歌、天雷一行、紀島史郎・魂之助・奴之助、扇三、夏雲風・夏雲升、圓、歌舞伎會、都枝、中村霞風、談志、ゆき栄、助平、一郎、燕枝

◆京橋金沢亭 清遊、國輔、蝠丸、栄三郎力菊森松、寿々馬、身振 市川佐久江、歌奴、張玉福、市馬、一郎、圓、都枝、馬生、中村霞風

◆駒込鈴本亭 龍若、助平、都枝、吉奴、三河家連、錦生、すゞめ、天雷一行、燕枝、妻太郎、チャップリン・うぐいす、圓洲、夏雲風・夏雲升、寿々馬

◆特別興行浅草萬盛館 都枝、扇三、今太郎、歌輔、妻太郎、友楽、龍若、歌奴、鯉之助、圓洲、燕柳、すゞめ、さん冶、寿々馬、圓遊 身振狂言市川左久江娘一座、今様仕舞中村霞風社中、江戸生粋岩てこ大一座 談洲楼燕枝 八木節堀込源太、松旭斎天菊嬢

 翌興行も出演。『都新聞』(7月15日号)に、

◇東西落語演芸会盆興行

◆人形町鈴本亭 扇三、小燕枝、天雷一行、圓洲、一郎、蝠丸、蘆洲、一光、圓歌、夏雲風/夏雲升、燕枝、岩てこ、都枝、市馬、歌楽、寿々馬

◆上野鈴本亭 歌三郎、鯉之助、圓遊、常磐津少女一座、馬生、歌楽、小燕枝、都枝、張玉福、妻太郎、蘆洲、歌舞伎會、すゞめ、今様仕舞中村霞風、圓

◆駒込鈴本亭 しん好、橘馬、妻太郎、小團次、鯉之助、ゆき栄、錦生、歌女吉、チャップリン/うぐいす、歌楽、談志、新朝、圓、張玉福、蝠丸

◆江戸川鈴本亭 花好、燕柳、ゆき栄、都枝、伯英、チャップリン・うぐいす、有村、新朝、助平、小團次、錦生、圓昇、天雷一行、さん次、談志

 この後、どういう風の吹き回しか、朝鮮は京城にまで出かけている。もっとも当時植民地だったこともあり、仕事があったことは否定できない。

 『京城日報』(10月17日号)に、

 ◇明治町 電話二六〇番 浪花館/當ル十月十六日ヨリ開演 東京落語睦會大幹部 三人會一行/落語手踊(桂雀之輔)落語(桂都枝)新□□人連長唄所作事(みよし家圓嬢、花の家小ゑん、竹本寿美登、近松家燕嬢)人情笑話(春風亭柳窓)笑話手品(三遊亭若遊三)滑稽振事(三遊亭門左衛門)

 

 1921年

 落語家としては、このあたりが全盛期だったようである。

都新聞』(1月15日号)に、

◇東西落語演芸會(吉原派)

◆人形町鈴本亭 今太郎、圓幸、正英/正風、蝠丸、天雷、麦團冶、都枝、紀國家連、歌舞伎會、楽丸三木助、圓昇、岩てこ、〆太〆松、龍玉、富士松家元連、小圓遊、玉之助、馬生

◆神田入道館 小圓、都枝、燕柳、圓昇、小てる、市馬、有村、奎水、ジョンベール、圓瓢、岩てこ、圓幸、紀國史郎・奴之助、楽丸三木助、張玉福、若輔、さん次、歌女吉、天雷、寿々馬

◆押上亭 圓洲、寿々馬、扇橋、蝠丸、小てる、さん次、助平、都枝、歌女吉、圓光、米三郎・小菊、正英正風、圓璃

 『都新聞』(7月1日号

◇新むつみ會東西落語會合同各席

◆両国二洲亭 武生、日本太郎、圓治郎、筑鮮、歌奴、天長、岩てこ、三福、燕柳、都枝、活動写真、有村、圓洲、橘之助、亀之助亀の子、龍玉

◆本所押上亭 月松、張玉福、扇太郎、京昇、有村、歌蝶團蝶、武生、圓治郎、松玉、三木蔵、圓きん、新朝、絹代、若輔、歌楽、燕柳

◆四谷喜よし 三福、若輔、紀伊國や、さん冶、都枝、猫八、市馬、正英正風、小南、駒國、寅子、歌女吉、文三、小菊栄三郎、むらく、日本太郎

◆江戸川鈴本 都枝、正風、市馬、圓洲、圓きん、橘之助、龍玉、寅子、圓鏡、猫八、武生、日本太郎、扇太郎、奎水、三木蔵、〆松〆太、蝠丸

◆浅草萬盛館(昼夜開演) 張貴田、歌輔、猫八、若輔、松玉、絹代、圓幸、小圓遊、歌楽、談志、寅子、小菊栄三郎、歌奴、張玉福、左喜丸、圓子、燕柳、弥次郎兵衛、蝠丸、うぐいすチャップリン、寿々馬、天長、圓次郎、〆松〆太、歌楽團蝶、筑鮮、都枝、阿波踊、岩てこ

 このころの技芸が、『寄席』(11号・8月1日発行)の中に出ているので引用。

◇「色物寸評 俎の上(上)」(あだきち)

都枝 器用な人なり。上方者特有の気障ッ気も少く、ラッパを吹いたり、御手製のシャモジの琵琶を弾じたり、四ツ竹を使ふかと思へば図抜けて大きな時計を出す、飛行機の宙返りをやる。絶へず目先の変化に苦心をして居る。色物と云ふ以上、多少御目先の変つた代物が出てこそよし。二昔も前の芸人は各自何かしら独創的な芸を持つて人気を呼んだものなり。ところが今の若い人達の殆が先人の模倣で、特種を持つて居る人はまんが稀、私は此意味に於て君を推賞する。

 と、称賛されている。

 しかし、1922年、突如失踪。番組表から名前が消える。しくじりをした模様か。

 この後、師匠の息子である文の家かしくの門下へと移籍したのか、文の家都枝、と名を改めた。

 1923年、復活を果たし、『大阪朝日新聞神戸付録』(8月31日)に、 

◇生田前戎座は、三十一日より落語珍芸として文の家都枝久々の出演に、補助として圓天坊、圓童、長之助その他。

 と記録されている。この直後、関東大震災が発生。東京の仕事を失うこととなる。

『神戸新聞』(12月28日号)に、

◇千代廼座と御代之座 二十八日より忘年特別興行として小原節、出雲節に、橘圓天坊、都枝等四十余名の大一座でお目見得。

 このころ、「珍芸 文の家都枝一座」を結成。1924年、安来節の小原萬龍一座に加わる。『近代歌舞伎年表京都篇』に、

〇一月一日~ 国技館 

小原節其他諸芸大会 小原万龍一行

【番組】東京吉原芸妓〆の家〆太連中 落語其他珍芸文の家都枝連中・東京改良万才・八木節・安来節・舞踊連中 

 しばらく、小原萬龍の一座で巡業した後、神戸千代乃座の専属格として同地に根を下ろす。

 1926年、久方ぶりに復帰。1月1日の『神戸又新日報』に、

◇千代之座 初春興行の番組は、萬歳、支那の正月、松づくし総踊り、小原節の西洋風・支那風・日本風に踊り分け、博多二○加、特別出演珍芸萬歳の橘家太郎、菊春及び初代梅坊主改め太平坊と女梅坊主奏玉章の大曲技、天旭嬢一行の大魔術、扇三、都枝の義太夫かけ合

神戸又新日報』(2月1日号)に、

◇千代之座 七色会一行は、今一日より所作事「浦里一新舞踊」「酒茶屋」「四つ竹小原節踊」金田晩□氏新作「新生」と芸題をかえ、諸芸吹寄せ萬歳の橘家太郎菊春、秦玉章一行の大曲技、天旭嬢の魔術、幸丸小ゑんの萬歳、橘家扇三の人情噺、都枝の珍芸、圓天坊染五郎等の滑稽落語、君廣勝政等の義太夫は例の通り引続き出演。

 この時、七色会にいたのが、後年の妻、七五三である。『上方演芸人名鑑』によると、七色会という、吉原興行所属の芸人たちのグループに所属していたそうで、七色会小〆と名乗っていた。

 さらに、『神戸又新日報』(2月21日号)に、 

◇千代之座 七色会一行は今廿一日より、小原節、花踊り、山中節踊り、新舞踊、初牛神楽、所作事桜狩、奇術、秀丸圓朝の萬歳、橘家太郎菊春の諸芸吹寄せ、扇三の人情噺、都枝の珍芸、秦玉章の大曲技、君廣勝政の義太夫に新作俄「酒地獄」

 『神戸又新日報』(3月24日号)、

◇千代之座 廿四日より二年振りにて落語講談色物合同一座にて開演。毎日午後二時開演。通し興行。顔ぶれは、浪花講談(旭堂南陵)浪花落語(笑福亭松鶴)東京人情噺(橘の圓一門)其他琵琶講談にて宮殿下の御前公演の栄を賜りたる相起元公郎、英国人のジョンデー、大曲技張金波一行、東京より東京落語幹部雷門三升、福助、燕路、桂春輔、都枝、枝輔其他。

 と、千代乃座を中心に珍芸や落語で奮闘していたが、同年夏、解雇された。『笑賣往来』(第二号・1926年11月21日発行)の長谷川生「笑売側面観」に、

▲神戸の都枝は復興節や極内節を宣伝したり小原節をもつて今全盛の安来節に対抗せしめた男で、可成に如何に観衆にま見へんかと苦心をしていたが、遂に馘首されたとの風評を聞いた。彼の血の出る様な努力を買つてやるものはなかつたのか。

と、紹介されている。この事件がキッカケになったかは推測の域を出ないが、都枝は漫才に転向をした模様か。

 上京してきたのも早く、1927年9月には、早くも遊楽館に出演している。『都新聞』(1927年9月1日号)に

▲遊楽館 1日より出雲福奴、田村愛子、花の家小奴、文化萬歳都家静代、文雄、珍藝七五三、桃枝等加入

 という記載がある。桃枝は誤植だろう。翌日には「都枝」に戻っている。

 1928年1月、七五三吉・都枝のコンビで新京極花月に出演。以来、吉本専属として寄席に出るようになった。

京都の寄席案内 二十一日より

△新京極富貴 東都講談界の大家神田伯竜及東洋メリー、直造、小春団治、枝鶴、可蝶、芝鶴、馬生、ざこば、助六、三八、源朝、桃太郎にて開演。
△新京極花月 夜万歳大会 小正、正右衛門、康男、当月、川畑連、春子、正春、一春、出羽助、七五三吉、都枝、セメンダル、小松月、照子、菊丸、小夜子、喜楽。
△新京極笑福亭 連夜安来節と諸芸大会。

 1928年11月に、松島花月に出演。

△松島花月 勝太郎、重隆・武司、小春団治、蔵之助、喬之助・清子、都枝・七五三、円枝、金語楼、花奴・登吉、円馬、升三、春団治、小円馬、円若。

 その後は、東京の端席や巡業などで、芸を磨いた模様。

 1933年4月、南地花月に出演。

大阪の寄席案内 三十日より

△南地花月 小雀、源朝、七五三・都枝、重隆・武司、千枝里・染丸、三亀松、小春団治、エロ子・キング、大辻司郎、九里丸、伯龍、金語楼、エンタツ・アチヤコ。

 漫才師になった後も、掛合やしゃべくりよりも、所謂珍芸を主とした「漫芸」で人気を集めた。その芸種は幅広く、音曲や舞踊はもちろんの事、曲芸、寸劇、俄芝居、怪談噺、果ては九代目結城孫三郎直伝の獅子人形まで取り扱った。

 東京漫才が勃興しはじめた1930年代に本格的に上京。浅草にあった芸人アパート「交楽荘」に住み、当地を拠点に活躍していた。

 波多野栄一『ぼくの人生百面相』によると、家賃は十六円でガス・電話・トイレ付という当時としては高額物件だったそうで、他の入居者には、「波多野栄一夫婦、東ヤジロー夫婦、大空ヒット、青柳ミチロー・ナナ、文の家都枝・七五三、東家三燕」がいた。

 1937年に芸術協会に入会し、寄席に出入りするようになる。

 根は関西の人であるが、人気はあったと見えて、『キング』に珍芸が取り上げられたり、東宝名人会の笑和会などにも出演したりしている。

 1939年には、小道具づくりと発明の才能を生かして、「幟応用軽便救命具」なる避難道具を生み出し、『都新聞』(1939年12月10日号)に取り上げられた。以下はその引用である。旧字体は全て常用漢字に直した。

漫才文の家都枝が発明の
幟応用軽便救命具
実験成績は却々宜しい

漫才の文の家都枝、浅草の義太夫座や橘館の舞台で、珍芸を表看板にしてゐるだけに
手先の器用さは、此社会でも聞えた人だが今度この持前の器用さを役立て時局的な応用代用品を考案して評判である、それがまあの歓呼の声に送られて、出征又は入隊の際の戦士に贈られる「祝出征」又は「祝入隊」のこの幟旗を材料にする事で、戦士出発の時こそ、その行を壮にして、なくてはならないものだが、一度この栄ある勤めを果すと、その後は何しろ、戦士の名を認めたものであり雑多な所に代用品扱ひも出来ず、あつたら持腐れになるのが無常である、これに眼をつけたのが都枝で、一晩二晩寝ずに(と本人は言ひました)考へた末に案出したのが、万一の際に役立てる家庭用非常具である、この作り方を簡単に紹介すると、先づこの幟旗の両襠に強い麻紐などを縫ひ込む、そしてその上端に、ステツキの握り箇所か、或はこれに類した曲つた金具を取りつける、これが目指す場所にひつかゝる役目をつとめるのだが、かうしてこれを二階の窓口などに掛けて、件の幟を地上に此を垂らすと、重量は優に二つ三つの赤ん坊を降すのに堪へる位の非常具が出来上るのである、尤もこの幟を二枚併せると、もつと重量に堪へる事は言ふまでもない
さてこれを二階などから垂らすのなら当り前の事で、さして振つた考案とは言へないかも知れぬが、本人の味噌とする所は、これを下から上に伸ばして引つ掛ける事が出来るといふ事でーそれには子供の玩具で両手が開いたり、閉ぢたりする度、その上に取りつけてある兵隊などが、グンと飛び出て整列したり、戻つて来て○まれたりする
あの原理をそのまゝ応用した木の細工を取りつけて、弾みをつけてグンと投げると、これは易々として二階の窓に引つかゝるといふ仕組である、これが引つ掛かればヂカに地上に落して危い品物や赤ん坊などは易々として降されるといふ譯でこの実演は既に本人の住む浅草松葉町の交楽荘アパートほか一ヶ所で試験したら案外の成績で、ヤンヤの喝采を浴び、近日象潟署でも試験して見る事になつてゐるといふ、
ところで、これには金がいくらかかるかといふと、幟はタダとして、後はこれに取りつける木の細工だけで、全体で一円も掛かるまいといふ話、都枝は別にこれを商売にする訳ではなく、手に入れた幟を材料にして暇さへあれば拵へて、殊にもアパート住居の人達などには一つ位宛備へさせたいのが念願であるといふ

 1941年4月、東宝名人会笑和会創設に伴い、メンバーとして出演。

4月上席

漫  才  寿美・小万   ジャズ漫才  喜美枝・英二
曲  藝  新坊・時二郎  珍藝漫才   七五三・都枝
青春部隊漫才 一路・突破  奇  術   松旭齋清子
音曲漫才  奈歌三・笑楽  漫  才   金波・銀波
浪曲漫才  捨奴・市丸   ニュース笑談 〆駒・五二郎

 同年、6月上席にも出演。以降常連として、1942年末まで、毎月のように出演。

6月 上席

繁子・繁夫 米子・主水
七五三・都枝 染吉・染二郎
松旭齋清子一行 咲子・万龍
三壽 とん子・二郎
まり子・若二  小坊・大坊

 同年、7月下席。

7月 下席

美千代・壽美代 語楽
須磨子・染松 ひとみ・?作
小豆・シゲオ 時二郎・新坊
茶目丸・一八 七五三・都枝
琴路・慶司 ノブコ・モモコ・キヨシ

 同年、8月下席。 

8月 下席

漫  才  つた子・龍二 唄と踊り 山村社中
ジャズ漫才 米子・主水  漫  才 セメンダル・金之助
姑娘と兵隊 アジア楽劇隊 立体漫才 喜代志・源六
珍  藝  七五三・都枝 音曲漫才 いろ香・圓太郎
漫  劇  波多野栄一一党

 同年、9月中席。

9月 中席

小勝・染三 歌江・柳歌 金波・銀波 七五三・都枝
歌蝶・助六 光児・光菊 一路・突破 喜美枝・英二

 同年、10月中席。

10月中席

小勝・小円 七五三・都枝
上田五万楽とその一党 松旭齋一行
琴治・慶司 日本ニュース 弘明・栄一
三壽 紫香 邦雄・民雄

 同年、11月中席

11月 中

漫  才 勝巳・慶太郎  奇  術  栄光
ジャズ漫才 米子・主水  浪曲漫才  年子・忠坊
漫  才  文恵・逸郎  漫  才  七五三・都枝
女流漫才  妻吉・萬龍  漫  才  〆吉・〆坊
立体漫才  波多野栄一

 年変わって、1942年1月上席。

1月 上席

日本ニュース 玉子家菊奴・圓昇
桂小豆・大朝家シゲオ 松旭斎天菊
文の家七五三・都枝 柳家三壽
天龍三郎 吉原家〆吉・〆坊
豊来家寶楽社中

 その後、暫く間が開いて、同年4月。 

4月 上席

漫  劇 波多野栄一一党
音楽漫才 イサム・アケミ・ススム
珍藝漫才 七五三・都枝   奇  術 天勝一座
映  画  日本ニュース  曲  藝 健坊・小楽
漫謡漫才 美津子・比呂志  女流漫才 妻吉・萬龍
青春漫才 一路・突破    曲  技 邦夫・民夫

 同年、5月上席。東宝小劇場となるのは、同月から新宿帝都座でも公演が始まったことから。

5月上席 東宝小劇場

玉千代・目玉 柳家三壽 七五三・都枝
美津子・比呂志 光菊・光児 テイチク美代司
茶目丸・一八 音之助・源一 寶楽社中

 同年、5月下席。今度は新宿に出演。

5月下席 帝都座

七五三・都枝 美津子・比呂志 光菊・光児
栄一一党 妻吉萬龍 小坊大坊
荻野幸彦 〆吉・〆坊 権太楼

 同年、6月中席。巳代子・笙子は、大江笙子・京美智子である。

6月 中席

巳代子・笙子 柳美 一江・亀造 美津子・比呂志
日本ニュース 七五三・都枝 華井新
〆吉・〆坊 大坊・小坊 琴路・慶司

 同年、7月上席。

7月 上席

征・梅笑 英介 せん子・南海男
七五三・都枝 工藤姉妹 ミチロー・ナナ

美鈴 東洋一郎 喜久奴

 同年、7月下席。

7月 下席

辰三郎・志郎 天徳一行 笑楽・奈歌蔵
七五三・都枝 一江・亀造 一奴
シゲオ・マンマル 武田三郎・吾妻美佐子 一路・突破

 同年、8月中席。

8月 中席 

松旭齋良子・花子 三壽 喜代志・源六
七五三・都枝 啓子・喜代子 光児・光菊
金波・銀波 大坊・小坊 山村舞踊隊

 1943年、帝都漫才協会に参加。第九区の幹事に就任される。然し、戦争の激化で、田舎の巡業などをこなすこととなる。

 戦後は関西へと戻り、松鶴家団之助事務所を経て、吉本に復帰。

 1959年3月、うめだ花月のこけら落としに出演している。

 以来、「漫芸」の名前で、吉本系の劇場を中心に淡々と古風な漫藝を披露し続けていた。

 晩年の都枝は奇人の気があり、その人柄や逸話が『米朝・上岡が語る上方漫才』の中で詳しく語られている。以下は、その引用。

いとし あの珍芸やった、文の家七五三・都枝さん。あの方が、ミノルさんがあとで漫才でかぶらンならんかつらを自分の道具と思って、持って帰ってしもうてあらへん。

米朝 あの人はあわてもンやさかいね。

いとし なんか服着てる上から人の服を着て帰る(笑)。

米朝 東京でな、春風亭柳橋さんのコートをな、自分のと同じ色のやさかい間違うて着て帰った。「またやりあがったよ。都枝だよ。しょうがねェなァ」とか何とかいうていたらフラフラ帰って来てな、「おい、そのコートは俺のじゃないか」「あ、えらいすんまへん。同じ色やさかい」。また出ていってからしばらくしてまた戻って来た。「すんまへん、その中のサイフから銭百円使いましてん」(笑)。サイフ出しても気がつかん。

いとし あの紙芝居の怪談噺で、テーブルのうえから客席へビヤッと伸びるオバケのついたマジックハンドみたいなのがありました。

こいし それがな、富貴の客席というのは舞台のすぐ前やからな、バッと急にオバケを出したら、お客にえらい怒られた。「こらアホか、ビックリさすな!」「怒られる思たけどな」というて。

いとし 自分で幽霊でも何でも全部作りはるンだ。それを自分の家のモノ干しに干してある。それで、「あそこの家は幽霊が出る」といわれて(笑)

米朝 まァ、都枝さんは仰山エピソードがあるわ。トリネタは『金色夜叉』のお宮・貫一を半分半分メイクして半身だけで演じ分けるというのをね、ボテかづらで半分は学生服の貫一で、反対が島田家なんかを結うたお宮を演じた。それで衣装がボロボロでな。

いとし 例の四角い紙の真ん中から顔だけ出して、クリッとひっくり返して、女形とかを演じ分ける。柳家三亀坊さんと同じネタもやってました。

米朝 一ぺん、天王寺かどこかの大きなお寺の余興があって、私の浪花節の人と一緒に行ったことがあった。そしたら都枝さんが自分のもち物を全部大広間に広げよる。ボロボロの汚いもンばっかりや。住吉神社の昼店や(笑)。ゲタの片一方とか草履の片一方とかわけの分らんもンがいっぱい並んでる。まあそこの、獅子だけは別やったけどね。

こいし でも、獅子ね、これは立派なもンでした。おひとりでね、今のニューマリオネットみたいに。

米朝 あの獅子の操りは結城孫三郎に習うた。

『同書』(224〜226頁

 1970年、都枝没。七五三は、芸能界から引退をした。1980年に『上方演芸人名鑑』が刊行された際、七五三はまだ存命という扱いになっている。

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